解放同盟の力に大きな期待を寄せる必要など何もないと蛙は考えている。
取り敢えず、我が身の回りで「必要な情報」を「必要な人」に届けるとか、「困難に直面している人々」の「支え」になれればいいと考えているだけだ。
勿論、「差別」を含めて、あらゆる「差別」を無くしたいという想いは強くあるけれど、「無くする手立て」ということになれば、「解放運動」の延長線上には「単純」には無いだろうと思う。
「ことば」で言えば「被差別統一戦線」みたような運動の構築ということになるのではなかろうか。
それは必ず「グローバル」な展開が要求されるだろうと思う。
また、必ずしも「被差別者」だけに限定されるような「結びあい」ではないだろう。
蛙が接する情報では「札幌自由学校・『遊』」の活動が、「進むべき方向」を指し示しているように思われる。
http://www.sapporoyu.org/
神戸では、「神戸学生青年センター」の取り組みが「それ」に近いように思われるが、
http://www.ksyc.jp/
両者とも、腹の底では「未来を切り開くために」という想いが込められていると思うけれど、随分、控えめな「姿勢」だ。
以前、「被災地NGO」の村井君と話してたんだけれど、「一杯素敵な取り組みはあるんだが、お互いが没交渉で優れた経験は共有されないし、協力関係も築けない」、現在はそんな状況なのだろう。
「この国」の支配の側でも統一した「指令センター」は無いように見受けられるが、古今東西、支配の鉄則である「依らしむべし知らしむべからず」という原則は貫かれているのだから、「反権力の側」がバラバラなままでは対抗などしようがない。
今のところ、「何もない」けれど、「時代」が「新しいナショナルセンター」を産み出すはずだという想いを持って、自身の分野で精一杯な努力を積み重ねていく外ないというところだろう。
現状、解放同盟には大きな期待はかけられない。
「狭山」は「国家とは何であるか」ということを問う闘いであるから、これだけは「民衆の力」を結集して必ず勝利しなければならないが、「同盟」の組織そのものは「贅肉をそぎ落として」もっとスリムな陣形を取る時期に来ていると蛙は思う。
ということで、「変われるか」などという割には大した話にもならなかったが、このシリーズはこれで終了。
取り敢えず、我が身の回りで「必要な情報」を「必要な人」に届けるとか、「困難に直面している人々」の「支え」になれればいいと考えているだけだ。
勿論、「差別」を含めて、あらゆる「差別」を無くしたいという想いは強くあるけれど、「無くする手立て」ということになれば、「解放運動」の延長線上には「単純」には無いだろうと思う。
「ことば」で言えば「被差別統一戦線」みたような運動の構築ということになるのではなかろうか。
それは必ず「グローバル」な展開が要求されるだろうと思う。
また、必ずしも「被差別者」だけに限定されるような「結びあい」ではないだろう。
蛙が接する情報では「札幌自由学校・『遊』」の活動が、「進むべき方向」を指し示しているように思われる。
http://www.sapporoyu.org/
神戸では、「神戸学生青年センター」の取り組みが「それ」に近いように思われるが、
http://www.ksyc.jp/
両者とも、腹の底では「未来を切り開くために」という想いが込められていると思うけれど、随分、控えめな「姿勢」だ。
以前、「被災地NGO」の村井君と話してたんだけれど、「一杯素敵な取り組みはあるんだが、お互いが没交渉で優れた経験は共有されないし、協力関係も築けない」、現在はそんな状況なのだろう。
「この国」の支配の側でも統一した「指令センター」は無いように見受けられるが、古今東西、支配の鉄則である「依らしむべし知らしむべからず」という原則は貫かれているのだから、「反権力の側」がバラバラなままでは対抗などしようがない。
今のところ、「何もない」けれど、「時代」が「新しいナショナルセンター」を産み出すはずだという想いを持って、自身の分野で精一杯な努力を積み重ねていく外ないというところだろう。
現状、解放同盟には大きな期待はかけられない。
「狭山」は「国家とは何であるか」ということを問う闘いであるから、これだけは「民衆の力」を結集して必ず勝利しなければならないが、「同盟」の組織そのものは「贅肉をそぎ落として」もっとスリムな陣形を取る時期に来ていると蛙は思う。
ということで、「変われるか」などという割には大した話にもならなかったが、このシリーズはこれで終了。