マジシャン秋元正のブログ

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マジックを演じる際の動作の統一 その2

2011-08-30 18:02:57 | マジック
一つの演目内で同じ目的の動作(カードをシャフルする、コインを握る、など)は
どれくらい統一するべきなのかを前回から考えている。
前回はハンドリングの点から考えてみたが、今回は演技の点から考えてみる。

同じ演目を同じハンドリングで演じても動作の不統一が目立つ人と目立たない人がいる。
動作の不統一が目立つパターンはそもそも技法を行っているときに
それが単にカードを数えとるとか、コインを握るとか、無造作にカードを切り混ぜるとか
見た目以上の(そう思って欲しい以上の)意味が感じられてしまう。
理由は色々とあるだろうが、一つはその技法の前(導入部)と、
後の部分ののりしろが考えられていなくて動作に不連続点が生じている場合である。

さらに技法に入る前に気持ちを落ち着けるとか、今からやるぞ、という
精神面の助走が必要で、心の中でも不連続点が生じる場合も
それが表に出てしまい目立つ一因となる。

では、どんな演技が技法が目立ちづらいかといえば上記の逆で
技法の前後ののりしろが考えられていること、
極度に手元に集中しなくても動作を行うことが出来、
気づいたときにはそれは終わっているという状態を作れる演技だろう。

実際、演技者自身が手元に過剰に集中しているのでなければ
動作の不統一に気づかない観客も少なくない。
デックの色が途中で変わっても気づかれないことだってあるのではないか
とさえ、思うことがある。

と、ここまで書いたところでこの話がどこに向かうのか自分でも見えなくなってきた。
隣のテーブルの女性の会話の声が大きくてつい耳がその内容をとらえてしまうのが原因かもしれない。

シークレットムーブが自己主張し過ぎず、動作の不統一が目立ちすぎないためには
物理的には技法ののりしろが考えられているかどうか、
内面的な部分では何のためにそれをその動作で行っているかが自分の中で
理由付けされているかどうか、というのがあるだろう。

・ リズム、見栄えにバリエーションや緩急をつけるためにコインを消す方法を色々と変えている、
・ ここはエースをデックに入れて混ぜるところだからこの混ぜ方、
  次は演技の意味上の段落が変わり、もう一度エースを探すステージだからこの混ぜ方、
・ ここはカードを改めているからこの持ち方、次は一枚ずつ変化を起こすからこの持ち方で、

などなど。

それをわざわざ台詞で説明する必要はないが、そういった思い入れが演じる側にあれば、
それは見せ方、見え方にも反映されるだろうし、説得力を持つと思う。
演技的な観点から考えると動作を完全には統一しなくても
演技のリズムや意味づけで吸収できればいいのではないかと考えている。

マジックを演じる際の動作の統一

2011-08-23 16:52:48 | マジック
一つのマジックを演じている際にハンドリングの都合で
さっきはカードをシャフルするときにリフルシャッフルだったのに、
今度はオーバーハンドシャフル、ということがある。
これはシャフルに限らずカウントでもカードの返し方でも置き方でも様々な場合において起こり得る。
ハンドリング上、必要性がなくてもついうっかり(?)と、
統一性に欠ける動作を行ってしまうこともあるだろう。

そして、マジックを評価するときに、ここでリフルシャフルだったのだから
あちらでオーバーハンドシャフルになるのはおかしい、という話になることがある。
さて、どこまで動作を統一すべきなのか?

マジックのハンドリングを作品として見た場合、その完成度を上げるために
動作の見た目を統一するという方向は一つのアプローチとして有効だろう。
確かに私自身もハーマンカウントを使わなくなったのは
カードマジックでハーマンカウントを使ったと思ったら次はディーリングポジションでエルムズレイカウント、
というのが気持ちが悪く、徐々にハーマンカウントを遠ざけてしまったからだ。

しかし、そんな自分のハンドリング中にもシークレットアディション系の動きで
パケットをビドルグリップに持ち左親指でカードを引いてとる動作をすることはある。
それは演じている側からするとカードを改めている段階であるから、と思えるのだが
だったら、ハーマンカウントもマジックの最初に改めとして使い、
その後はディーリングポジションからのカウントを連続で使うのなら良いはずになり
すると見た目がどうこう言うより、演じる側の気持ちの問題に帰結しそうでもある。
勿論、演じる際の思い入れの差異が演技上の表現にも反映され
それが説得力を持たせることもあるだろうが。

カードではなくてコインに目を向けてみよう。
コインズアクロスやアセンブリで各コインを消す際に、
それぞれ別のテクニックを使うことはどうだろうか?
おそらくその都度、コインの握り方、構え方が違ってくるはずである。
それは出来るだけ似せる必要があるのかどうか?
デビッドロスのウィングド・シルバーはこの意味では究極とも言える。
四枚のコインの移動をたった一つの同じ技法で実現させるのだから。
これならコインの持ち方、渡し方の見た目も統一される。
が、今度は同じ現象を全く同じ手法を繰り返して四回分成立させるのは
ハンドリング的観点からこれはこれでマイナスポイントとなることがある。
ウィングド・シルバーを演じるのが難しいのはまさにこの点にあり、
デビッド・ロスのあの説得力に満ちたシャトルパスと
彼のリズムがあってこそ、の部分が少なくない。

一つの考え方としてコインが消えるときのように現象を起こすための動作は
見た目の変化、緩急をつけるために動作・技法が多岐にわたるのはあり、
何でもないときの動作(カードを持つ、コインを渡す)は日常的動作の延長であるから
動作がぶれるのはなし、というのが一見的を射ているようにも思えるが
これも少々微妙だなと思う。
コインを握って消す動作においてコインを握るのは、
まだそれは不思議な現象の始まりではなくて無造作な動作として
提示されることが多いのだから。

また、人は通常、何も意識してないときでもカードを切りませるときや持つときに
さっきはああしたのに、今度はこう、のようなことはよくあるだろう。
それはnaturalなのかunnaturalなのか。

以上は先に書いたようにマジックをハンドリングの点から眺めたときの考えである。
では、次回は演技の点から考えてみる。

一気にまとめ

2011-08-15 16:27:53 | マジック
4月9日のブログで早稲田ウィークリーの取材を受けたことを書きましたが
掲載号も7月に無事発行されました。記事の内容は公式サイトの
http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2011a/1249/249e.html
こちらからもご覧いただけます。

さて、最後に書いてから一ヶ月以上が過ぎてしまいました。
その間、マジックバーサプライズの合宿イベントがあったり
色々とマジックやっていたり、珍しく(!)新しい道具に手を伸ばしてみたり
私事ではエアコンが壊れたり、Windowsのブルースクリーンに立て続けに
何回もお目にかかったりと色々なことがありました。

それとか、遂に諦めてWindows 7機を一台購入、ということもありました。
さすがにもうXPがなかなか手に入らないのと、この辺で64bit環境にも
手をつけておかないと完璧に乗り遅れそうな気がしたので。
メインの作業用PCも4スレッドをこなせるようになりまして
Mpeg4系の2パスエンコードが実時間以下で終わるということに感動しております。
今までより多少は動画作成作業でクライアントの皆様をお待たせすることも
少なくなるのではないかと思います。

そうそう、先日は名古屋のマジックショップ手品屋の将魔さんと
久しぶりにお会いし、龍生氏と三人でこれまた私には珍しくの
朝までコース。マジック界の世間話や今後の話等々。

・・・と、こんなふうに数行でこの一ヶ月以上をまとめようとしていることに
少々の後ろめたさもあるわけですが、さすがにもう少し更新の頻度を上げたいな、と。
もう何度思ったか数え切れない状況ではありますが気持ちを新たにした次第でした。