気まま勝手に

札幌界隈+αのフォトブログです。

復刻版 ヨーロッパ旅行 パリ郊外

2015-05-02 14:05:40 | 海外旅行

21年前、ヨーロッパへ行った時に撮ったネガフイルムをCDに保存しました。

過去の思い出として整理した古い画像です。

 

ヴェルサイユ宮殿

パリ郊外の南西22キロに位置するヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世によって建造され、

貴族たちが強制的に移住させられたことでも知られています。

 

ヴェルサイユ宮殿正門前に建つルイ14世の騎馬像

 

ヴェルサイユ宮殿「王の中庭」から見た南翼棟

この棟に王妃の寝室や、戴冠式の間がある。

 

 

 

バルビゾンにあるミレーのアトリエを保存するミレー記念館

バルビゾンは、今も画家ミレーが描いた「晩鐘」さながらの田園風景が広がり、

芸術家ゆかりの建物が点在します。

 

ミレー記念館の入り口

 

ミレー記念館のアトリエの中

 

フォンテーヌブロー城

フランス歴代国王の居城だったフォンテーヌブロー城は、ヴェルサイユ宮殿と並び

称される世界遺産の城。

ナポレオンが愛したことでも有名です。

 

フォンテーヌブロー城

 

 


復刻版 ヨーロッパ旅行 パリ

2015-04-30 08:02:27 | 海外旅行

21年前、ヨーロッパへ行った時に撮ったネガフイルムをCDに保存しました。

過去の思い出として整理した古い画像です。

 

フランスの新幹線

スイスのジュネーブからパリへ移動する時にフランスの新幹線TGVに乗りました。

 

パリのリヨン駅

重量感のある立派な建物で、パリからリヨンを始め南東方向に向かう

列車のターミナル駅になっている。

 

ノートルダム寺院

ナポレオンが戴冠式を挙げ、せむし男で有名なビクトル・ユーゴーの小説によって知られている。

ノートルダムは「我々の貴婦人」を意味し、聖母マリアを祀る教会である。

 

ノートルダム寺院

ゴシック建築の最高傑作で、外観の美しさだけでなく、内部のステンドグラスも美しい。

 

セーヌ河岸

セーヌ川の河岸のうち、シュリー橋からイエナ橋までのおよそ8㎞が世界遺産に登録されている。

 

リュクサンブール公園

きれいに整備された大きな公園で、パリ市民の憩いの場になっている。

右の建物がリュクサンブール宮殿、現在は上院の議事堂として使われています。

 

自由の女神像

リュクサンブール公園内に、アメリカの独立100周年を記念してフランスからニューヨークに贈られた

自由の女神像の原像がある。

 

モンマルトルの丘のテルトル広場

19世紀から20世紀にかけて芸術家のたまり場になっていたテルトル広場。

今も似顔絵を描く画家と観光客でにぎわう。

 

サクレクール寺院

パリ市内の至る所から遠目に眺められる純白のサクレクール寺院は、パリで最も高い

モンマルトルの丘の上に建っています。

 

ルーブル美術館の外壁

もともとフランス王が12世紀に要塞として建造した城を、その後幾多となく増改築して

現在のルーブル宮殿になっている。

年間800万人以上の人が来館する世界第一の美術館。

 

ミロのビーナス

1820年、ギリシャのミロ島で農夫が発見し、フランス大使に買い取られ、翌年ルーブルに贈られた立像。

その美しさと神秘さで見る人に深い感銘を与える。

 

タニスの大スフィンクス

スフィンクスとは、獅子の身体と王の頭部からなる怪物のような姿をした生き物。

このスフィンクスは紀元前2600年頃のもの。

 

エッフェル塔

フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造された。

現在では、パリを代表する観光名所で世界遺産に登録されている。

 

 


復刻版 ヨーロッパ旅行 スイス

2015-04-26 10:08:57 | 海外旅行

21年前、ヨーロッパへ行った時に撮ったネガフイルムをCDに保存しました。

過去の思い出として整理した古い画像です。

 

 

標高567mのインターラーケンから、ヨーロッパの鉄道最高地点3454mのユングフラウヨッホへ、

3の鉄道を乗り継いで、一気に頂上駅まで登ります。

所用時間は接続の乗り換え時間込みで約2時間20分、料金は往復26.800円ほどかかります。

 

「アルプスの乙女」という意味をもつユングフラウ、切り立った北壁が印象的なアイガー、その間に

そびえ立つ「修道士」を意味するメンヒ。

べルナー・オーバーランド地方の3名山はスイスを代表する観光地です。

 

ヴェルゲンアルプ鉄道の車窓から見た風景(上り)

 

ヴェルゲンアルプ鉄道の車窓から見た風景(上り)

 

ヴェルゲンアルプ鉄道の車窓から見た風景(上り)

 

クライネシャイデックでユングフラウ鉄道に乗り換えます

すぐ近くに氷河が見えます。

 

クライネシャイデックを出て10分ほどで到着するのがアイガーグレッチャー駅

アイガーグレッチャー(2320m)~クライネシャイデック(2061m)1時間30分の

初心者向け/距離2.3kmの「アイガー・ウォークハイキング」が人気です。

 

アイガーグレッチャー駅の展望窓から見たグリンデルワルト。

この先ユングフラウ鉄道は、アイガー切り立った硬い壁に掘られたトンネルを通過していきます。

 

標高2865mのアイガーヴァント駅で途中下車。駅のホームはかなり傾いています。

ここで5分ほど停車するため、電車を降りて展望窓から外の景色を眺めることが出来ます。

 

アイガーバウント駅の展望窓から見た風景。

 

ユングフラウヨッホの展望台から見たヨーロッパ最長のアレッチ氷河。世界遺産(自然遺産)に登録されている。

 

標高567mの山麓インターラーケンは夏だったのに、中腹のグリンデルワルトは花が咲き乱れる春に変わり

終着のユングフラウヨッホは氷河が広がる冬。

一日で四季を体験できる変化こそが、スイスアルプスの魅力。

 

ユングフラウヨッホ駅には日本語での案内表示があります。

 

ユングフラウヨッホ駅で見たエスキモー犬

10匹のエスキモー犬がソリに観光客を乗せて200mほどのトラックを走ってくれます。

 

クライネシャイデックから見たアイガー(左の山)とメンヒ(右の山)。

クライネシャイデックはユングフラウヨッホへ行く時に必ず通る中継地点。

レストランではアイガー北壁の雄大な姿を見ながら食事をすることが出来ます。

 

ヴェルゲンアルプ鉄道の車窓から見た風景(下り)

 

ヴェルゲンアルプ鉄道の車窓から見た風景(下り)

 

グリンデルワルト

 

グリンデルワルト

ユングフラウ観光の拠点となる村の中では比較的大きく、この村から眺める夕焼けの

アイガーは絶景。

 

 


復刻版 ヨーロッパ旅行 ドイツ

2015-04-18 09:23:39 | 海外旅行

21年前、ヨーロッパへ行った時に撮ったネガフイルムをCDに保存しました。

過去の思い出として整理した古い画像です。

 

ハイデルベルク城のフリードリッヒ館

ハイデルベルクは、古くから「学生の街」として栄え、ドイツ最古の大学ハイデルベルク大学

(正式名:ループレヒト・カールス大学)があることで有名。

 

ハイデルベルク城のフリードリッヒ館は、1607年にフリードリッヒ4世によって建てられて以来、

代々の選帝侯の居住館であった。

 

城のテラスから見るハイデルベルクの街並み

中央にネッカー川に架かる「古い橋」(別名:カール・テオドール橋)、左端の鐘楼のある大きな建物が「聖霊教会」、

右隣に長い屋根が白く光る建物が「市庁舎」。

 

古い橋(別名:カール・テオドール橋)から見たハイデルベルク城。

 

マイン川

ライン川の支流。ライン・マインドナウ運河により、ライン川とドナウ川が結ばれ

ヨーロッパを横断し、北海と黒海の水運が可能になった。

 

ローテンブルク

1950年にロマンチック街道と命名された、ヴュルツブルクからフュッセンにいたる350㎞の道は、

約2000年前に敷かれた古代ローマの道の一部で、政治・経済上の重要な役割を果たしてきた。

中世の街がこのロマンチック街道に多く残っている。

 

ローテンブルクのマルクト広場にある議員宴会場。

仕掛け時計マイスタートインクルが有名。

左右の窓が開き、人形が大きな杯を飲み干す動きをする。

 

ローテンブルクのマルクト広場に面して建っている市庁舎。

市庁舎の正面の塔からは市街が一望できます。

塔の展望台は狭いので20人の人数制限があり、混雑していたため登るのはあきらめました。

 

ローテンブルクで有名な撮影スポット「フレーンライン」。

 

ノイシュヴァンシュタイン城

ロマンチック街道の終点、フュッセンの街の近く急峻なアルプスに抱かれた丘の上に

ノイシュヴァンシュタイン城がある。

この城は、バイエルン王国の国王ルートビィッヒ2世(1845~86年)によって建てられた。

ワーグナーの熱心なパトロンであったことでも知られている。

 

ノイシュヴァンシュタイン城の後方に見えるアルプ湖

右の丘に建つ小さなお城が、ルートヴィヒ2世が育ったホーエンシュガウ城。

 

 


復刻版 ヨーロッパ旅行 ポンペイ、ナポリ

2015-04-14 09:39:42 | 海外旅行

21前、ヨーロッパへ行った時に撮ったネガフイルムをCDに保存しました。

過去の思い出として整理した古い画像です。

 

ポンペイ遺跡

西暦79年8月24日、ヴェスヴィオ火山の大噴火により押し寄せた火砕流や有毒ガスが

ポンペイの人々の命を次々と奪っていった。

その後、およそ1700年の長い眠りの後、発掘により古代都市が出現した。

火山灰に覆われていたのが幸いし、保存状態は完璧に近かった。

 

ポンペイの中心であったフォロ(広場)

公会堂、市場、神殿がある政治、経済、宗教の中心となる公共広場。

背景に見えるのがヴェスヴィオ火山。

 

約2000年前、ローマ帝国時代に数多く存在した典型的な一地方都市であったポンペイに

神殿、公会堂、舗装された車道・歩道、円形闘技場、上下水道、公共浴場等が完備されていたことに

カルチャー・ショックを受けました。

 

アッボンダンツァ通り

車道、歩道が区別され、横断歩道まである。

 

フォロ(広場)の一角にあるバジリカ

裁判所として使われていた。

 

現地ツアーガイドによる説明

 

 

ナポリ市街とナポリ湾。

背景にうっすらとヴェスビィオ火山が見えます。