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DVDドライブの交換

2005-01-29 20:48:48 | パソコン、インターネット
職場でメインに使っているデスクトップ(デスクアンダー?本体はデスクの下に置いている)マシンの DVD±R/RW ドライブを交換した。
記録を調べると11ヶ月前(2004.03.02)にも交換しているようだ。
(ということはメーカーの一年保証の期間中だ。修理に出してみよう。)
このときは4倍速DVD-R/RWから8倍速DVD±R/RWへ交換しているし、壊れたと思った4倍速ドライブはその後別のマシンで正常に使われている。
今回も、そのパターンかとも思ったが、ケーブルを抜き差ししても症状(CD-ROMのメディアを認識しない)は変わりなかった。本当に壊れているようだ。そもそも、1月上旬にDVDを何枚か焼いているときに、少し変な音がし、書き込みに失敗した。その時は別のPCで書き込みをした。

その後、チェックせずにいたところ、な、何とCD-ROMさえも読めないことがわかった。何の役にも立たない木偶(でく)の坊になっていた。ということを、ソフトをインストールしようとして気づいた。 Yに言わせると「2回も壊れるなんて、マザーボードを交換した方がいいのでは?」
もう一回壊れたらマザー交換することにして、とりあえずドライブを買ってきた。時間のとれた今日の夕方からドライブを交換。

換装後の写真、古いDVDが上に乗っている。

新しいドライブは16倍速の高速書き込み(DVD+R)に対応し、DVD+R DL、DVD-RAMも使える「スーパーマルチドライブ」にした。実は店頭にはRAMは使えないが、DVD±R DL対応ドライブがほぼ同じ価格であり、どちらにしようかと迷った。DVD-R DLは正式規格待ちでもあり、RAMを選択した。これが今週の水曜日。

と、金曜日には、どちらにも対応した「ハイパーマルチドライブ」発売のニュースが届いた!!! 価格も安くなっている!!! 許せん!! という感じですが、後の祭りですね。

まあ、泣きはこれぐらいにして。
16倍速となると片面一層であれば4GBの書き込みが5分程度になるのかな。
メディアプレイヤでの音楽CDの取り込みも1曲の演奏が終わらないうちにCD1枚の取り込みが終わってしまった。CD読み込み40倍速、1枚2分弱ですから当然ですね。
という意味で快適に使えている。

古いCD、CD-Rドライブは取り替えの時期が来たようだ。

厄払い 由加山

2005-01-29 18:00:00 | Weblog
例年の厄払いに行って来た。
節分より前に行かなきゃとなると、今日しかない。と、30日由加山へ行って来た。

讃岐の金刀比羅宮と並び称せられ、瀬戸内海を隔てて向かいう両社は二つ回って「両参り」として知られている(?、岡山の人でなくて両参りを知っている人っているのだろうか?)金刀比羅宮ほどではないが、参道は石の階段。これを登って

本殿に到着。

ここは「厄除け」神社として有名な所。
お祓いは本殿に登って毎時0分から30~40分程度。
お札をもらって御神酒を頂き、護摩の煙を全身に染みこませてお参りを終わる。


液晶ディスプレイ

2005-01-27 22:10:11 | パソコン、インターネット
職場のモニタをCRTディスプレイから液晶ディスプレイに変更した。
スペースの節約と省エネによる環境への小さな貢献!

これまで17インチのCRTディスプレイで、XGA(1024×768)で使っていたのを、
17インチの液晶でSXGA(1280×1024)で使うことにしたので、画面が広くなった。
デスクも広くなった。

スピーカ付で1台29,800円。安くなったものだ。3台でしめて89,400円。
CRTモニタの処分に費用がかかかる。

モニタの交換はたまたまいたKがやってくれた。
重たいモニタをか細い?腕で入れ替えてくれた。
3台目のときはだいぶ手際よくなっていた。

携帯用HDD

2005-01-23 22:59:55 | パソコン、インターネット
最近外付けの記憶装置を結構買っているようだ。
これはUSB接続のハードディスク(HDD)で80GB。
マイ ドキュメント」をこのドライブに指定し、どこに行っても自分のファイル(ワープロの文章、送受信メール、エクセルの表など)が使えるというのが、標準的な使い方でしょうね。

8年前ほどに、ある研究会でASCIIの西さんと話したときに、彼はすべての文章(推敲して修正したファイルの修正前のファイルも)を残していると言っていた。当時は自分でプログラムを結構書いていた時代で、開発中は毎日プログラムファイルをバックアップしており、当時としては莫大な容量が必要だった。そのため、開発が終わると、すべて削除していた。これはプログラムに限らず、原稿でも同じ方針で、完成するまでの推敲中は別々おファイルにして、上書き保存は使わないようにしていたが、完成すると途中のファイルは消去するのを基本としていた。というようなことを話したら、西さんからは「もったいない。とっておくべきです」と言われてしまった。

外部メディアが5インチフロッピが主流の時代に、保存するスペースを節約するために3.5インチフロッピに切替、フロッピで足りないとなると、出始めdで当時は高価だった5インチMOディスクを購入。これは遅いのは許せるとしても「ホコリ」に弱かった。JAZという名のリムーバブル形式のカセット型HDD(1枚1GB)はよく利用した。自宅のPCにもこのドライブを購入し、職場と、自宅の間でファイルを持ち歩いた。MOに比べるとHDDなので、書き込み、読み込みが早いのがとりえだった。実はJAZの前にはハードディスク自身を持ち歩いていた。今でも開発系などで種々の環境が必要なときのために、HDDをケースに入れてパソコンの前面から抜きさしする物があるが、あれである。振動に弱いHDDを持ち運ぶために、昔の紙カード2000枚程度を運ぶケースを改造し、HDDがすっきり収まるようにクッションを付けたりしていた。
120MBの3.5インチMOが国内では普及したものの、海外では普及せず、海外とのやり取りには使えなかった。CD-RからDVD-Rへと書き込みできるメディアが大容量、低価格になり、保存用としては使いやすくなった。
保存する容量も文章中心であれば1GBもあれば結構使えたものが、メールを受けるようになると数GBが必要になり、デジカメの写真を保存するためには100GB以上が必要になってしまった。個人でTB(テラバイト)のファイルを持つ時代になったしまった。
CD-RやDVD-R/+RW/+R/+RW/RAMなど、保存用にはいいが、作業用としては読み書きでき、それなりのスピードがないと使い物にならない。
最近であればネットワークを利用したNAS(Network Attached Strage)のHDDや、USB2.0の普及に伴って主流となってきたUSB接続HDDであろう。
USB接続HDDには据え置き型の3.5インチHDDを利用したものと、
持ち運びを前提としたモバイル型の2インチHDDを利用したものとがある。据え置き型の方が大容量でスピードも少し速い。

USB接続では、フロッピの代わりとして使われ始めたUSB接続フラッシュメモリも大容量化が進んでいる。ついに2GBを注文してしまった。が、まだ来ていない。

写真に可搬型のUSB接続HDDと一緒に写っているのは、512MBのUSBメモリと、USB接続の物理乱数発生器である。これについてはまたの機会に書くことにしよう。

Tablet PC タブレットPC

2005-01-21 22:30:54 | パソコン、インターネット
師走に入ったときに注文していたタブレットPC(Tablet PC)がやっと納入された。
実はタブレット型のノートPCはこれが2台目。

前のときはタブレットで何ができるか確かめるのが目的で、普通のキーボード付きのノートと兼用できる東芝製のノートだった。松下のLet's ノートの軽さに慣れた身には重すぎて、あまり使われなくなっていた。

こいつは、このようにディスプレイ部が回転して、通常のノートPCからタブレットPCへ

変身することで有名。

今回購入したはNEC製のピュア・タブレットPC(キーボードレスのをこう言うらしい)で、重さも899グラム。「大きなPDA」と悪口を言う者もいるが、この軽さと薄さは魅力的だ! この薄さ(厚さ?)を比べて欲しい。


ついでに、すでに2年たつが現在もモバイル用として一番よく使っている 松下製 Let's note

も一緒に記念撮影。

ついでに、ついでに Akia の巨大ノート(SAMSUNGのOEM?)

も一緒に記念撮影。このノート、すでに4年ほどたつが、解像度が1450×1024(正確ではない)あり、デスクトップの代わりとして、開発には使っている。

えっ 何台あるかって? あと数台引っ張りだせばあるけど、現在でも使えるって言うとこのあたりかな。

もとより、文字を入力するのであれば、手書きよりもキーボード入力の方が速いのは言うまでも無い。でも、立って入力するとなるとどちが速いか? 
文字以外(絵、地図など)となると圧倒的に手書きが速い(きれいかどうかはいざ知らず)。
使い分け、住み分けは必要かもしれないが、各々にメリットはあると思われる。

それにしても入力欄に書いた手書き文字の認識率のよさにはびっくりする。

私の1月17日

2005-01-18 21:49:33 | Weblog
1月17日というと「阪神大震災」があまりに有名になりすぎてしまった。

10年前のあの日。起きるとも眠るともなく、半覚醒のまどろみの時間に揺れを感じ、目を覚ましながら最初に気づいたことは、蛍光灯の豆球(常夜灯)が切れていたのに、揺れでフィラメントがひっついたのか、暗く光っていたことである。この常夜灯、夜にはやはり切れていた。点いたのは地震の直後だけだった。

すぐに寝床からTVのスイッチを入れる。地震情報がテロップで流れはじめる。
関西で地震がありました。
そのうち、各地の震度が入り始める。岡山は震度3。
それでも私にとっては生まれてからこの方、一番震度の大きな地震だった。

最初のうち、震度が大きかったのは京都南部。神戸の「こ」の字も出てなかった。

淡路島から神戸付近が中心とわかったのは7時から8時になってからではなかろうか。
そのうち、阪神高速の倒れた映像などが流れ始め、大変な地震だったことがわかり始める。

本当に被害がひどいところはその情報さえ、伝えることができない所ということがわかる。

この日、東京から客が来ることになっていたが、新幹線もずたずたになっており、来れるわけがない。来岡はまたの日になると思いこんでいたところ、11時過ぎに、今日はと部屋に入ってきたのでびっくりした。昨夜のうちに来岡していたのかと思ったが、そうではなくて、今朝東京からという。
7時過ぎの新幹線に乗ろうと東京駅へ向かっていたら、新幹線が止まっているとの情報が流れ、そのまま羽田へ行き、飛行機で来たとのこと!

岡山空港からそのままやってきたので、地震の被害の酷さもまだわかっていなかった。
最初に聞いたのは「で、いつ東京へ帰る予定?」「金曜日」「じゃあ、金曜日の飛行機を押さえよう!」というと、「2~3日たったら新幹線も動くでしょう?」という。そんな程度じゃないことを説明し、すぐに帰りの飛行機の予約を入れさせる。少し遅れたら、飛行機の予約も難しくなる所だった。

社会人の院生でドクター論文の公聴会を翌18日に控えていたMは神戸の出身。神戸には両親がいるが17日は電話が輻輳しており連絡も取れず(そういえばよそから岡山にも電話がかからなくなっていたとあとで聞いた。)、18日の発表後夕方から、何時間かかるかわからないのを覚悟の上で神戸を目指して行った。家は倒れたがご両親は幸い大きなけがもなく、二人を連れて岡山に戻ってきた。




時計をもう数年戻した、1月17日(日)。
この日は下の娘のセンター入試の二日目だった。上の娘は15日の成人の日(昔は成人の日は1月15日に固定されていた)を岡山で迎え、月曜からの大学の講義のために東京へ戻る新幹線に乗っていた。
わたしはセンター入試の監督で立ち番をしていた。

と昼過ぎ、監督に当たっていない同僚が、急用といって電話が入っていると連絡してきた。
監督をその同僚に変わってもらって、電話を受けると父危篤の連絡だった。

博多の母から東京の兄へ連絡が入り、兄の家族が連絡してきた。家に電話してもだれもでない(そう言えば家内は上の娘を駅へ送って、倉敷へ行くと言ってたな)。センター入試だし、私は絶対職場にいると思ったとのこと。

訳を話して監督を別の人に変わってもらい、そのまま一人で博多へ向かう。
結局、父は倒れたときにそのままいってしまったようで、博多へ着いたときはすでに病院から自宅へ戻されており、近所の人が2~3人集まってくれていた。

という訳で、1月17日は個人的には父の命日であったが、ご存じの通り、社会的には阪神大震災の日となってしまった。

いずれにしろ合掌の日である。

阪神大震災

2005-01-17 05:46:00 | Data
1995年1月17日午前5時46分

■阪神大震災の被害
   (消防庁まとめ)

【人的被害】
死者      6433人
行方不明者      3人
負傷者   4万3792人
うち重傷  1万0683人
  軽傷  3万3109人

【住家被害】
全壊 10万4906棟 18万6175世帯
半壊 14万4274棟 27万4182世帯
計  24万9180棟 46万0357世帯

大学入試センター試験

2005-01-15 06:07:59 | Weblog
今日からセンター試験。
昨年より少し減り、57万人が受けるそうだ。
天気があいにくで、雪になってるところも多いようだ。
雪で交通が乱れないことを。
雪で足を滑らさないように!

試験は9:30からdが、集合は7時過ぎ。
ぼちぼち出かけよう。

何事も無いことを祈りながら。

受験生はがんばってくださいね。