友人が死んだ!
去年の八月だった。めずらしくメールがきた。いつもは電話なのに・・・
「お盆休みはいかがお過ごしですか?こちらは悲惨な状況です・・・」から始まる文章は腹部の異常のため検査入院する旨の内容だった。
腹痛のため近くの病院で診てもらったが、胆管が細く、すい臓を悪くしているという診断、精密検査のため千葉大附属病院を紹介されていた。
お盆明けの18日、その千葉大附属病院に入院。検査は半月にもおよぶ辛いものだったらしい・・・。
結果は非情にも「すい臓ガン!」。9月9日手術。そして退院は10月末だった。
11月3日、退院後の彼を自宅に見舞った。そして近くのファミレスで昼食を共にしたが、別人のようにやせ細った体になっていた。
早く体力をつけて、また旅行しよう?・・・との問いかけに、力のない笑顔で応える彼をみて、ひょっとしてもう無理かも知れない???そんな思いが脳裏をよぎった。
同じ時を、同じ空間を、たくさん過ごせなくなるのでは?という思いから予定のない週末はなるべく昼食に誘おう!と心にきめた・・・
彼にも予定があったり、体調が悪かったりで結局は5回ほどしか会えなかった。
最後に会ったのは3月の始めころだったろうか?いつものようにファミレス夢庵に行った。
年末に食事したときは、好きな「サバ煮定食」を完食していたのに、そのときは半分以上残した。足がむくんで靴が履けない!とも言っていた。それを聞いてドキ!っとした。
その後も何度となく電話で誘ったが、体調がすぐれず二人の昼食会は実現しなかった。
最後の電話は4月の末。めずらしく彼からだった。
「5月の連休はどこかに出かけるの?」「もし空いている日があったら昼食でも?と思って?・・・」
「わかった!そのときは電話する!」と答えたが・・・忙しさにかまけて結局はしなかった。
女房の「後悔するよ!」の一言が胸に刺さった・・・
その連休明け、彼からメールがきた。
「浮腫(むくみ)のため5月はじめに入院しました。良くなったら連絡します。心配しないでください。」と・・・
とりあえず待ってみたが連絡はない!。
5月28日、こちらから電話をした。しかし出ない。メールもしたが返ってこなかった。
それから4日も過ぎた6月1日、突然返信メールがきた。
彼の奥さんからだった。
「ごぶさたして申し訳ありません。5月後半から悪くなり寝たきりになりました。メールも見てはいるようですが、返信する気力がないようです。・・・いまは寝ていますので目が覚めたら代わりに返信したことを伝えます。」・・・
それから一週間経った日曜日の夕方ケイタイが鳴った。奥さんからだった・・・。
取り乱したその声は「6日の夜、死去!」の訃報だった・・・
この写真は2006年6月、山形に行ったときのも。
何回も旅行したのに、彼とのツーショットだけがなかった。しかたなく合成した・・・
彼との出会いは8年前。
お互い長年勤めた会社をリストラされ再就職した会社でだった。
同い年で、リストラ組という境遇も同じ、住まいも同じ稲毛ということなど共通点がたくさんあった。
勤務地は本社と工場だったが、そんな共通点からか?お互いに親近感を感じていたのかもしれない。
その後、事情があってまた別々の会社へとかわったが付き合いはつづいた。そして、あらたにもう一人の同僚が加わり、毎年の春と秋に「おやじ三人旅」と称して旅行を続けていた。
去年の7月、三人で栂池高原を歩いたのが最後の思い出となった。栂池高原は素晴らしかった!「また来年も来たいね!」という彼の声がいまでも耳に残っている・・・
「そろそろ仕事も引退だし、これからはたくさん旅行できるな!!!」といつもそう話していた。なんとも無念である・・・
栂池自然園にて・・・ケイタイで植物の写真を撮る彼。
きのうと今日、葬儀に参列した。
目を真っ赤にした娘さんの姿がまぶたからはなれない・・・
去年の八月だった。めずらしくメールがきた。いつもは電話なのに・・・
「お盆休みはいかがお過ごしですか?こちらは悲惨な状況です・・・」から始まる文章は腹部の異常のため検査入院する旨の内容だった。
腹痛のため近くの病院で診てもらったが、胆管が細く、すい臓を悪くしているという診断、精密検査のため千葉大附属病院を紹介されていた。
お盆明けの18日、その千葉大附属病院に入院。検査は半月にもおよぶ辛いものだったらしい・・・。
結果は非情にも「すい臓ガン!」。9月9日手術。そして退院は10月末だった。
11月3日、退院後の彼を自宅に見舞った。そして近くのファミレスで昼食を共にしたが、別人のようにやせ細った体になっていた。
早く体力をつけて、また旅行しよう?・・・との問いかけに、力のない笑顔で応える彼をみて、ひょっとしてもう無理かも知れない???そんな思いが脳裏をよぎった。
同じ時を、同じ空間を、たくさん過ごせなくなるのでは?という思いから予定のない週末はなるべく昼食に誘おう!と心にきめた・・・
彼にも予定があったり、体調が悪かったりで結局は5回ほどしか会えなかった。
最後に会ったのは3月の始めころだったろうか?いつものようにファミレス夢庵に行った。
年末に食事したときは、好きな「サバ煮定食」を完食していたのに、そのときは半分以上残した。足がむくんで靴が履けない!とも言っていた。それを聞いてドキ!っとした。
その後も何度となく電話で誘ったが、体調がすぐれず二人の昼食会は実現しなかった。
最後の電話は4月の末。めずらしく彼からだった。
「5月の連休はどこかに出かけるの?」「もし空いている日があったら昼食でも?と思って?・・・」
「わかった!そのときは電話する!」と答えたが・・・忙しさにかまけて結局はしなかった。
女房の「後悔するよ!」の一言が胸に刺さった・・・
その連休明け、彼からメールがきた。
「浮腫(むくみ)のため5月はじめに入院しました。良くなったら連絡します。心配しないでください。」と・・・
とりあえず待ってみたが連絡はない!。
5月28日、こちらから電話をした。しかし出ない。メールもしたが返ってこなかった。
それから4日も過ぎた6月1日、突然返信メールがきた。
彼の奥さんからだった。
「ごぶさたして申し訳ありません。5月後半から悪くなり寝たきりになりました。メールも見てはいるようですが、返信する気力がないようです。・・・いまは寝ていますので目が覚めたら代わりに返信したことを伝えます。」・・・
それから一週間経った日曜日の夕方ケイタイが鳴った。奥さんからだった・・・。
取り乱したその声は「6日の夜、死去!」の訃報だった・・・
この写真は2006年6月、山形に行ったときのも。
何回も旅行したのに、彼とのツーショットだけがなかった。しかたなく合成した・・・
彼との出会いは8年前。
お互い長年勤めた会社をリストラされ再就職した会社でだった。
同い年で、リストラ組という境遇も同じ、住まいも同じ稲毛ということなど共通点がたくさんあった。
勤務地は本社と工場だったが、そんな共通点からか?お互いに親近感を感じていたのかもしれない。
その後、事情があってまた別々の会社へとかわったが付き合いはつづいた。そして、あらたにもう一人の同僚が加わり、毎年の春と秋に「おやじ三人旅」と称して旅行を続けていた。
去年の7月、三人で栂池高原を歩いたのが最後の思い出となった。栂池高原は素晴らしかった!「また来年も来たいね!」という彼の声がいまでも耳に残っている・・・
「そろそろ仕事も引退だし、これからはたくさん旅行できるな!!!」といつもそう話していた。なんとも無念である・・・
栂池自然園にて・・・ケイタイで植物の写真を撮る彼。
きのうと今日、葬儀に参列した。
目を真っ赤にした娘さんの姿がまぶたからはなれない・・・