壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

いま一度

2011年12月31日 12時15分40秒 | Weblog
 ――この一年、いろいろとお世話になりありがとうございます。お陰様で、一日も欠けることなく更新することが出来ました。
 来る年が、皆様に佳き年でありますようお祈り申し上げます。
 来年もよろしくお願いします。命の限り書きますので……


      いま一度 青蓮院の除夜の鐘     季 己

 

ありがとう!

2011年12月30日 22時53分33秒 | Weblog
 ――今年も余すところ、あと一日。皆様のあたたかい応援、励ましのお陰で、「壺中日月」も一日も欠けることなく、364句発表することが出来ました。ありがとうございます。深く感謝申し上げます。
 さて、来年も書き続けてゆく所存ですが、癌の進行が非常に速く、体感では全身に転移しているように思えます。命いや意識のはっきりしている間は書き続けます。
 拙ブログが更新されなくなった時には、あの世に旅立ったものと思って下さい。
 延命措置は拒否し、密葬の上、即、墓に納骨するよう、妹夫婦に頼んであります。
 「死者は生者をわずらわせず」を信条としておりますが、この日が一日でも遅くなるよう精進努力いたします。
 来年もよろしくお願い申し上げます。


      癌めらが大手を振って年詰まる     季 己 

生けるかひ

2011年12月29日 22時38分32秒 | Weblog
        蛤の生けるかひあれ年の暮     芭 蕉

 そもそもは、画賛としておかしみを志向した発想であろう。しかし、芭蕉自身に、画賛の句を、いわば述懐の句として独立させようとする気持があったためだと思われる。
 そこでは、俳諧師としての自分の侘びしい生活のあり方に、蛤(はまぐり)が蓋(ふた)にこもって生きているのと、隠微相通ずるものを感じて、境涯を詠じた作となっているのである。

 「蛤」は、歳旦の吸物に使われるという点を指して、「生けるかひ」ということが言われているものと思う。「かひ」は貝の意をこめての縁語仕立てと見るべきであり、「蛤の」の「の」は、「の如くに」という比喩の意をふくんだ用法ととりたい。

 季語は「年の暮」で冬。「年の暮」という一年のかぎりを指すよりは、新しい年への心の傾きが中心になっている発想である。

     「蛤が新春の料として珍重され、生きていたかいがあるがごとくに、自分も
      新年への生きがいをいだきつつ、この年の暮れを過ごしたいものだ」


      年詰まる片目達磨のままつまる     季 己

病気納め

2011年12月28日 22時08分00秒 | Weblog
 ――「Tさんへ」と題する、今日の「M通信」を読んで心ふるえ、胸が詰まった。
 Tさんは、明らかに私のことである。その一部を無断で抜粋させていただく。

    (前略)もっと、もっと役に立つ役目が貴方にはあるのです。私には
    そう思えます。まだ、楽にさせてくれませんよ。
     いかに、多くの画家さんが、貴方に自分の創造した作品を観て貰い
    たいのか知っているのですか。貴方のひと言が、どれだけ画家さん達
    の励みになっているのか知っているのですか。
     まさか「もう自分の役目は1月には終わる……」なんて思っていな
    いでしょうね。(後略)

 気付かなかった、そんなに多くの画家さん達に愛されていたとは……。
 奇しくも、これに似たようなメッセージが、この27日の午前中に届いていたのだ。
 26日、駒込病院の検査・診察が大幅に遅れ、帰宅したのは午後2時頃。池袋のU先生の治療予約が午後2時。そこで電話でドタキャンという始末。U先生は、「お目にかかれないのは残念ですが、準備しておいたものと、武田さんに付いている神様からのメッセージがあるので、お送りします」と、やさしくおっしゃってくださった。非常に面はゆいのだが、全文を公開する。後で後悔しなければいいのだが、と思いつつ。

             武田○○さんへ。
    「人を愛する」ということを心に掲げて、人の愛に気付かぬ一生であった。
    神が武田さんを称えている。ひとの力になろうとする熱き心に称賛している。
    これは武田さんが一生をかけて作り上げた大切な宝物である。
    武田さんは教育の理想を追求することにより自分を神の高みまで持ち上げた。
    人生に悔いなし。
    この心を持って生き抜くこと。
                              神より

 八百万の神と言われるように、ただ「神」と言われても、わたし自身まったく心当たりがない。
 もちろん神棚には、お伊勢さんのお札を中心に、右側に氏神さま、左側に伏見稲荷、天河大弁財天、伏見神宝神社のお札を納めている。
 心当たりといえば、伏見神宝神社の宮司さんは、毎朝、私のためにご祈祷して下さっていることは承知している。

 正直、あとどれだけ生きられるかは分からない。体調としては日に日に悪くなっているように思える。しかし、Mさんの言うとおり、「とりあえず、七月まで生きてみ」ようと思う。


      仕事納め病気納めとはならず     季 己

『去来抄』17 続・切られたる

2011年12月27日 11時32分03秒 | Weblog
        切られたる夢はまことか蚤のあと     其 角

 ――『去来抄』原文には、句読点やカギ括弧など、もちろん無い。したがって、読み手によってそれらが若干、時には大きく違う場合がある。この一条が、まさにそれである。
 芭蕉の言葉がどこまでなのか、また、芭蕉の其角に対する評価はどうなのか、この二点が問題となろう。

 其角は、十四、五歳で桃青(後の芭蕉)の門に入り、蕉門の中でも抜きん出た存在であった。去来・凡兆が編集した『猿蓑』の序を書いたのが其角。去来・凡兆にとっては、大先輩なのである。

 さて、掲句、「夢を見ていて、一太刀浴びたと思って、はっと目を覚まし、まことかと確かめたら、蚤の食ったあとがぽつんとあった」というほどの意であろう。
 たわいもないことを、ことごとしく言って、巧みに落ちをつけた面白い句である。
 これについて去来が、「其角先輩は、実に巧みな作者ですね……」と感心して言った。すると芭蕉先生は、「その通りだ。あいつは歌人でいえば定家卿のような作者である」と言ったそうだ。
 さて、去来の絶賛に対して、芭蕉先生の反応は意外に冷ややかと思うが、どうであろう。
 「その通りだ」と肯定しているように見えるが、これは皮肉ではなかろうか。芭蕉が肯定しているのは、架空の世界に飄然と遊び得る異色の才であって、こういう句がよいと言っているのではないのだ。むしろ芭蕉は、こうした句の作り方に疑問を持っていた。

 それでは、芭蕉が「かれは定家の卿なり」と評した真意はどこにあったのであろうか。
 「定家卿の論に曰く、家隆は歌よみ、我は歌作り、寂蓮は逸物なりといへり」(『青根が峰』・許六)とあるように、其角は定家流の知的構成を好んでいたのだ。
 芭蕉の目指すところはいわば「歌よみ」、しかし、其角は「歌作り」を目指していたのだ。
 定家は、生来の達吟で、わずかな素材でも巧みにこれを一首に仕上げる名人であった。その反面、定家にもそのまごころにおいて欠けるところがあった。
 其角にも、詩情よりもむしろ表現に達者すぎるところがあったのを皮肉ったのである。
 俳句は作るものものではなく、「こころのつぶやき」なのである。


      代受苦か腕輪失せたる年の暮     季 己 
 

今生の役目

2011年12月26日 17時19分07秒 | Weblog
 ――悪い報告ですので、関心のない方はパスして下さい。

 駒込病院で、定期の診察を受けてきた。案の定、血液検査の結果は、めちゃめちゃに悪くなっていた。個人差があるが、いつ死んでもおかしくない、という情況であろうか。
 以前、緩和ケアを拒否したので、訪問看護をすすめられた。このまま進行すると、いずれ通院も出来なくなる。だから今のうちに介護申請(母の分も一緒に)するようにと、院内の支援センターに行くよう指示された。
 次回の予約を、1月20日に入れてくれ、年末年始、夜間を問わず、異変があったらすぐ病院へ来るようにとも言われた。
 自分としては、今生の役目を果たし、天の神が1月中には戻ってくるように、と言っているような気がしてならない。
 支援センターの先生が、「その顔色で、1ヶ月ということはないでしょ。気をしっかり持ちなさい」と言ってくれたのが嬉しかった。


      今生の役目終へしか冬銀河     季 己

『去来抄』17 切られたる

2011年12月24日 15時24分29秒 | Weblog
        切られたる夢はまことか蚤のあと     其 角

 私・去来が
  「其角は実に句作りの上手な作者ですね。ほんのちょっと蚤が食ったということを、
   誰がこんなにあざやかに言い尽くせましょう」
というと、
 先師は、
  「その通りだ。其角は歌人でいえば、定家卿のような作者だ。大したことでもないこ
   とを、いかにも大げさに表現する、と定家は言われたが、其角もそれに似ているな」
といわれた。


      贈られし乳酸菌も年用意     季 己

 ――日頃、大変お世話になっているMさんから、「これを一日一つぶ飲んでくれませんか。よろしくお願いします」と、高価な乳酸菌のサプリメントが届いた。まことにありがたく、感謝に堪えません。
 多くの皆様にご心配をおかけし、心苦しく思っております。

冬至

2011年12月22日 22時52分53秒 | Weblog
 ――腰痛のため、気力充実しないので、本日も、今日の私の一句のみにて失礼します。


      腰に鉄負ひたるごとき冬至の日     季 己

恐縮です

2011年12月20日 22時39分23秒 | Weblog
 ――多くの方々にご心配いただき、恐縮です。何とか現状から立ち直ろうとしているのですが、一進一退の病勢です。歩かねば筋力がどんどん落ちてしまうので、攻撃の合間をぬい、近所を散歩しました。
 某電鉄会社の会長さんが、「もう一度スッキリ気持ちよく小便が出来るようにしてくれたら、全財産をやってもいい」とおっしゃったとか。財産より何より、健康第一としみじみ実感しております。
 世間では年賀状を出す時節。確かに年の初めにいただく賀状は、非常に嬉しいもの。だが、今の私には、賀状を書く心のゆとりさえないのです。先ず、自分の体調を元に戻すことが第一と考え努力します。そして、皆様にご心配をかけないことが大切だ、とも思っています。


      ものの翳ビルかけおりる冬の声     季 己

冬の竹

2011年12月19日 23時05分41秒 | Weblog
 ――食事をすると、ところてん式にゲリラ攻撃が始まるので、昼食を抜いて、ある治療を受けに行った。やっとの思いで。
 下痢の原因は精神的なものであるが、とりあえず、毎朝ヨーグルトを200グラム食べてみて下さいとのこと。今日まで毎朝100グラム食べていたが、早速、明日から200グラムにしよう。
 この他にもいくつかアドバイスを受けたが、それらは又の機会に、ということで……


      六地蔵にまだ日のありて冬の竹     季 己

冬埃

2011年12月17日 22時30分04秒 | Weblog
 ――頻度はいくらか少なくなったが、相変わらずのダブル攻撃。また、『去来抄』を通説にこだわらず、虚心に読んだところ、疑問・問題が生じたため、後日に。


      ガジュマルも金の成る木も冬埃     季 己