田吾作相談員

田吾作相談員の仕事と趣味の世界
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大正14年生まれの戦争

2020年08月24日 | ソーシャルワーク
大正14年生まれが語る戦争
彼女は、現在の元号も、数十年前に亡くした夫の名前も、先ほど食べた物の名前もしっかり記憶に刻むことができない

それでも、昭和20年8月15日は忘れない
軍部によって主導された戦争統治を憎み、我が子は国の為に死んで幸せだった、としか口にできなかった世情を憂い、本当は戦争に殺されたと悲しみに暮れた親の気持ちを諭し、夜半繰り返される空襲警報でまともに眠ることもできず、防空壕の入り口で押し合う人々の怒声と悲鳴を昨日のように記憶している

「終戦記念日なんておかしい。あれは敗戦の日なんだ」
同じ話は2度、3度と繰り返される。しかし、毎回、初めて聞く物語のように聞き、彼女も毎回、古くて新しい物語を語っている

2020.8.21ジェノグラムから考える事例検討会

2020年08月21日 | ソーシャルワーク
「努力の酒」

1964年10月10日 東京国立競技場
前日の台風が嘘のような抜ける青空。ブラウン管テレビの実況中継では、アナウンサーが世界中の青空を集めたような秋の青空、と謳った。上京したての24歳の青年は、カラーテレビから流れる映像と、同じ東京の青空を、自らの希望をもって見上げただろう。
戦後高度経済成長期。その世代でしか知りえない上昇気流の景気動向は、社会に生きる人々を高揚させてきた。熱気は仕事を盛り上げ、消費を喚起し、そして娯楽に楽しみを見出す戦後社会を力強く鼓舞する。東洋の魔女が世界を席巻し、裸足のアベベが甲州街道を突き進む。そんなアスリートの姿を競技場や沿道で眺めた青年は、人の力強さを目に焼き付けた。
家族成員の死は家族構造を大きく変化させ、その形態維持のバランスが大きく揺らぐ。
ある時期の死は予測でき、それに家族は対応することができるが、40代の死は家族にとって予測できない大きな揺らぎをもたらす。夫を失った妻は、10代前半の子を二人抱えて途方に暮れる。時代的にも、専業主婦という価値観が大勢を占めた時代である。これから二人の子を如何に養うか、父の存在を失った一家は唯一の弟にSOSを発信してもおかしくはない。SOSは、時に言葉で発せられるものでもない。
東京で職を転々とした弟は、夫を失った姉の期待に応える。経済的にも、生活の支えとして姉一家に献身的に関わる弟は、家族システムの一部として強く機能する。父を失った10代の子らは、そんな叔父の存在に父の役割を期待していたのかも知れない。
今、その弟が80代を迎え介護を必要としている。薄めた梅酒をちびちびやりながら、煙草を燻らせながら、2020年の東京オリンピックを楽しみにしている。アパートにはゴミが散乱し、風呂にも入れず、髭は伸び放題。周囲の支援者は鬱病やアルコール中毒などと騒ぎたてるが、本人は至って変わらない生活を送っている。
「思い残すことは何もない。仕事は転々としたが、十分に生きた。唯一思い残すことは東京オリンピックを見れていないこと。来年に延期されたオリンピックを見たい。あの頃のオリンピックを思い出すね」
セルフネグレクト、受診勧奨などと支援者システムは騒ぎ立てるが、本人にとってはどこ吹く風だ。そして、あの頃面倒をみた姉も年老いて、その子たちもそれぞれの課題を抱える。苦にもここでコロナ禍である。危機的状況に追い込まれる家族は少なくない。
しかし、親世代の哀しみや苦労、それを跳ねのける努力をその次の世代はちゃんと見ている。
世代を越えて否定的なパワーを引きずる家族もいれば、世代を越えて肯定的な強みを引き継ぐ家族も多い。困難を乗り越えようと強さを発揮する家族文化。
鬱病やアルコール、ゴミ問題などと、目先の「事実」に翻弄される支援にいかほどの意味があるか。「真実」は常にクライエント側にある。私たちはその「真実」を理解しようとする姿勢を崩してはならない。
残暑厳しいコロナ禍の夜に、ジェノグラムを読み解く