後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

平成25年度に入って

2013年04月23日 | 戯言

年度替わると4月には毎年必ず行われる行事や、新しいカルチャーを探したり従来のカルチャーを継続するか決めなればならない。

*総会
  4月7日、日詰区の通常総会・11日には日詰老人クラブ長生会の通常総会がが開催された。大変見勝手なことで申し訳な
  いが区の総会は毎年出たことがない。長生会は以前会長をやったことがあり、今も会計監査役を仰せつかっているので出席せざ
  るを得なかった。どうも総会というのは苦手で、酒好きの私にとっては閉会後の懇親会が楽しみである。長生会は現会長の努力
  のお陰で70歳前後の方が多数加入され、減少の一途をたどっていた会員数も盛り返し百拾数人となった。しかし80代が多くな
  て居るのでこれからが思いやられそうだ。

*隣組長
  今年の隣組長を仰せつかった。当地に住まいを構え40年になるが、それまで7年ほど家を空けたこともあってか、隣組長は1度
  やっただけなので、今回は引き受けざるを得なかった。大分前から組の構成が全く変わっており、昔からの近隣は他の組にな
  っている。どういう経緯で隣組編成が変わったのか知る由もないが、どうも釈然としない。わが隣組は世帯数が多く 17世帯、
  他は殆どが7世帯~13世帯で、バランスがかけておりこれも釈然としない。しかもその内10世帯がアパアート・借家住まいで、
  回ってみると表札がかかっていなく引き継ぎがなければ名前も解らない。近くの知人が言うには、殆ど留守で区費などの集金が 
  大変だそうだ。。17世帯もあれば今回が最後なので、1年なんとかやらなければならない。

*同級会(会の詳細は昨年4月23日のブログ参照)
  小学校の同級会を毎年4月に開催していていたが、ここ数年加齢と共にめっきり参加者が減少し、8名前後となり昨年で同級会 
  の開催は止めることにした。しかし小学校周辺に居住している数名の発起で希望者だけで集まることにしたところ、9人の参加で
  上山田温泉で再会出来た。9人中2人は男性で体調の不具合などで4人(含男性2人)は宴会後帰宅した。来年の事はどうなる 
  か解らないので、元気で再会できること祈るのみだ。

*カルチャー
  年度が変わって4月も半ば、寝たきりの老人にならないよう健康維持のため「ハタヨーガ・シルバー健康体操・太極拳」の3講座を 
  昨年度と同様受講することにした。もっともヨーガとシルバー健康体操は3月上旬の受付であった。又大人のピアノ教室は指の
  運きや記憶力が大分衰え、そろそろ限界だろうと今年から止ようと思ったが、認知庄予防のためは指の運動が良いと言われて
  いるので、続けることにした。
  何れののカルチャーも同じだが、男性は参加人員の10~15%である。ちなみにヨーガは29人中4人・シルバー体操は40人中
  7人・太極拳は19人中3人である。
  


信濃三十三番札所めぐりー1回目の続き

2013年04月10日 | 神社・仏閣巡り

*二十番鷲峯山長安寺 千手観世音菩薩(愛称岩井堂観音) 真言宗智山派  松本市会田四賀
  長安寺は廃寺となり、かつて岩井堂はこの寺のお堂だったそうだ 。お堂の周囲は岩山で数十体の石仏群・岩壁には大小の
  磨崖仏や、弘法大師が刻んだとされる爪彫り(魔崖浮き彫りの)大黒天があった。

     
            岩  井  堂 (観音堂)                            千 手 観 音

    
                                           石造仏群の1部

*二十六番栗尾山満願寺 千手観世音菩薩 真言宗智山派 安曇野市穂高
  725年頃、裏山の奥にある長者ヶ池から出現した一寸八分の黄金仏像を、聖武天皇の勅願によって堂宇を建て安置したの
  が始まりと伝わる、「信濃高野」の異称もある古刹だそうだ。

  信濃三十三番札所の中で三番目に急勾配の長い参道だそうだ。確かに年配者にっとってはきつかった。参道の入口にある
  「微妙橋」は、欄干屋根付きの太鼓橋で極楽浄土への結界を表しているという。

  本堂には、亡くなった後の四十九日の苦しみを現す、「地獄極楽変相之図」が飾られている。 血の池地獄、針山地獄、
  閻魔大王の裁判所などの地獄の絵だが、お寺ならではの妙な説得力がありそうだ。 

      
             参 道 入 り 口                              微 妙 橋

       
           満 願 寺 本 堂                                 山 門

  

     

     
            地獄極楽変相之図 最初の図              地獄極楽変相之図の1部

*二十五番天陽山盛泉山 千寿手観世音菩薩(愛称水沢観音) 曹洞宗 波田町
  ここから1.5キロほど山へ入った水沢山に「通称水沢観音」とよばれる若沢寺があった。江戸時代には「信濃日光」と呼ばれた
  ほどで、全山に素晴らしい建築物が数多くあり栄えていたそうです。明治の廃仏毀釈により、お堂等の建物は取り壊されて廃
  寺となり、再建されたのは明治20年代で、この寺の住職と村の有志の努力によるものだそうです。

       
              盛泉寺 本 堂                        山 門       大慈閣(水沢観音堂)

   
       盛泉寺本尊 釈迦牟仏                      若沢寺からっ移された仏像の1部                                    


     独特の光背がある不動明王 

wikipedia百科事典によれば。
水沢観音堂は、廃仏毀釈により取り壊された若沢寺にあった救世殿を盛泉寺に移し、観音堂として1895年(明治20年代後半)ころ再建したもので、銅造菩薩半跏像、銅造伝薬師如来坐像御正体残闕、銅造菩薩立像、木像(不動明王立像)、真言宗祖師像(木像弘法大師坐像・木像興教大師坐像)2体、絹本不動明王掛軸などを収納している。建物は1984年(昭和59年)に改築された。子授け、アカギレ、イボ等にご利益があるとされる。若沢寺は、長野県内でも有数の古刹で、江戸時代後期には信濃日光と称されるほどの規模を持ったが、明治初年の廃仏毀釈で取り壊されて廃寺となった。当寺が信濃三十三観音霊場の第25番札所であるのも、若沢寺からの継承である。山門前の六地蔵も、もとは若沢寺にあったもの。

  



 

 
    

 

 
        


信濃三十三番札所めぐりー1回目

2013年04月05日 | 神社・仏閣巡り

過日新聞折り込みに信濃三十三番札所めぐりのチラシがあった。発行元を調べたら札所めぐりが専門の観光会社で、信濃三十三番札所めぐりもいろいろコースがあった。特段と観音仏に帰依している訳ではないが寺院・仏像に興味があるので、中でも一番早く回れるコースで行って見ることにした。3・5・7・9・11各月1回の計5回で三十三番札所めぐりの計画だ。

参加してまず驚いたのは総べての寺院で般若心経・十句観音経・普回向を唱えることだ。やはり観音信仰者の札所めぐりだと実感した。1回目3月23日のコースは次の8観音だった。 
 
  麻績・1番法善寺───2番宗善寺───3番岩井堂───坂北・15番岩殿寺───本城・17番関昌寺───四賀・20番長安寺

  ───穂高・26番満願寺───波田・25番盛泉寺  

案内人は札所めぐりを企画した観光会社の社長で、住職のいない寺院・観音堂では般若心経等を先導して唱え、寺院・観音堂の故事来歴を説明してくれた。住職が居たのは1番法善寺だけだった

*一番仏眼山法善寺 聖観世音菩薩 曹洞宗 麻績村
  曹洞宗の寺院で、親子2人の住職がいる。今日は若住職がお焼香のやり方・木魚・鐘の鳴らし方その意味など説明した。
  ここの若住職は一風変わっており僧衣を纏うのは葬儀・法要の時だけだそうで、今日も普段着だった。木魚はのリズムに合せ
  お経を唱え、大木鐘は進行の合図、小さい鐘はお経が終わる知らせだそうだ。希望者が木魚と大きい鐘を担当した。

  ← 法善寺本尊 聖観世音菩薩

          
     法善寺本堂            法善寺山門

 

 



*二番宗善寺楊柳山 十一面観世音菩薩 元曹洞宗 麻績村
  

  ←宗善寺十一面観世音菩薩

       ←安置されているお堂
 
  曽洞宗の寺院だったが廃仏希釈で廃寺されており観音像のお堂だけが
  残されており、管理は法善寺がしているようだ。お堂への参道入り口
  に、観月の名勝姨捨山の里に因んで麻績村が信濃観月苑を開苑して
  いる。一般にはこちらの方が知られるている。

*三番笹命山岩井堂 馬頭観世音菩薩(愛称古司の尻つみ観音) 筑北村坂井 

 ←岩井堂馬頭観世音菩薩

      ←安置されているお堂      

   愛馬を葬った継信(源義経の家来)から手厚い供養を依頼された
   村人が、後に堂を建立し、馬頭観音を祀るようになったという。 
   集落の管理で近隣の民家が面倒をみている。

 


*一五番富蔵山岩殿寺 馬頭観世音菩薩 天台宗 筑北村坂北
  中世には七堂伽藍が立ち並び、75社4院12坊を連ねたとされ、岩殿山とその南の富蔵山一帯に広がる天台修験道場の中心
  寺院として格式と隆盛を誇ったが、江戸、昭和の大火で堂塔のほとんどが消失した。信濃三十三観音札所は当寺の前住職が
  生前、寝食を惜しんで復興に尽力され、現在に至っている。戦前「富蔵の草競馬」が開催されていた富蔵山の麓にある寺院で 
  ある。本堂入口の両脇には馬の木像がある。 又、境内では毎年年末に修験道の行者などが行う「火渡り」があるそうだ.


 ← 岩殿寺本堂
          
     本堂左脇の馬像          右脇の馬像
    

 


    
         本尊馬頭観世音菩薩                            岩殿寺のかや葺き山門 

*一七番福寿山関昌寺 十一面観世音菩薩 曹洞宗 筑北村東条
   お寺は、住職不在の民家風。直ぐ傍を篠ノ井線が走っていて、大正時代に萱葺き屋根は汽車の煙から火事になり、
   鉄道省からの見舞金で現在の民家風の堂が再建されたという。
   本尊の十一面観音像は、明治以前には近くの今見堂の本尊であったが、廃仏毀釈で堂が廃止れたさい、関昌寺に
   移されたた。 かなり離れた所に有る龍沢山碩水寺が朱印所になっている

      
            山門も無く案内板だけ                                              関昌寺本尊 十一面観世音菩薩