最近は漫画
「へうげもの」がアニメ化したりで
茶道に興味のある方が増えてるように思いマス。
自分も茶道に片足を突っ込んでいる手前、
茶道のとてつもない奥深さとそれに伴う膨大な知識量に驚いたり感心したりの連続デス。
ある写真家曰く、
「茶は金持ち同士の道具の自慢の仕合いにしか見えない」
「何で古今集や源氏物語まで知らなければならないのか?」
等と言っておりまシタ。
それは茶の湯を上っ面しか見てない証拠ではないデスかねぇ…?
茶道の成立から考えていくと…
栄西禅師が茶の種を大陸から持ち帰ったとされた時代、大体鎌倉時代デスか。
貴族や武家における「闘茶」から端を発するとも言われてマス。
一休宗純と親交のあった村田珠光が侘茶の創生に関り、
北向道陳・竹野紹鴎から千利休に至って大成するというのが一般的な見解だと思いマス。
ではどういった歴史上の面々に茶道が好まれたのか?
織田信長、豊臣秀吉といった武将、
神谷宗湛や島井宗室といった商人、
幕末から近代に至って考えると…
井伊直弼、井上馨、益田孝、松永安左ヱ門といった幕閣や政治家、経営者。
「茶」には教養とは別に、「バランス感覚」が求められると思いマス。
その一つが「道具組み」。
一席を設けるのに実に様々な道具が必要となりマス。
ただ雑多に道具を揃えて組み合わせるのではなく、
道具が持つ形や色だけではなく、時代背景、銘、作者、物語・演劇等の引用先、席との相性…
様々なバランス感覚が要求されマス。
古くより残る茶会記に目を通せば、席主の意図が読み取る事も出来るのデス。
「バランス感覚」は政治や経営にも活かされているのではないか?と思う節も多く…。
先に挙げた三井財閥の総帥であった
益田孝こと鈍翁(どんのう)は大茶人と評される程の経営者。
三池炭鉱の払い下げ後は、團琢磨(作曲家・團伊玖磨のお爺さん)を送り、現場単位までの炭鉱経営に力を注ぎ、炭鉱の現場従事者には危険が伴うので保険に入るよう強く薦めたそうデス。
傾きかけた王子製紙には藤原銀次郎(暁雲)を送り、こちらも現場単位から徹底した経営の立て直しに成功。
自分に関る写真業界の世界でいえば、
富士周辺は良質の水が確保出来るのでフィルム事業を起こしてはどうか?との鈍翁の意見で始まったとされるのが「富士フイルム」だといわれてマス。(現在でも静岡に3工場ありマス。更に言えば富士フイルムは三井グループ系列)
最後に名前を挙げた
松永安左ヱ門は「電力の鬼」と称されたほどの経営者。茶人として耳庵(じあん)。
耳庵の蒐集した道具類は東京国立博物館等の博物館・美術館に収蔵されてマス。
耳庵は原子力発電には推進の意見の持ち主で、その為に研究所の設立にもかかわっていたのだそうデス。
詳しい耳庵の生涯についてはリンクのWikipediaを参照に。
将来の電力量の必要性を見抜いていたとも捉える事が出来マスが、
一方(特に反原発派)では「悪魔の手先」と言われてもおかしくはないでしょうね。
では、何故その必要に耳庵は迫らねばならなかったのか?当時の時代背景は? 社会情勢は?
だからこそ、「バランス感覚」が必要ではないか?と、この頃は思ってマス。
画像は自分が持つお気に入りの茶碗の一つ。
加藤麦袋(かとうばくたい)作 瀬戸茶碗