雀の手箱

折々の記録と墨彩画

6月の締めくくり

2012年06月30日 | すずめの百踊り
 今日で一年も半ばが過ぎたことになります。水無月祓いや夏越の祭りが行われている地方もあることでしょう。私の暮らしている土地では旧暦で行われますから、まだ先の話ですが、年の半分が過ぎたことに変わりはありません。年ごとに月日の経つのが早く感じられます。

 さて、半年分の描きためた紙反故を整理し、わが身の災厄とともに祓い清めることにして、先ごろから描いてみて気にいらぬ絵を完成???させることにしました。あるものは葉を描き加え、ほとんどは新しい構図で描いてみました。

 ごそごそと這い回っても、一向に消えてゆくことのない蟹が氾濫して顰蹙を買っていますので、今年の蟹も落款を押してこの辺で納めとします。
 梅雨の晴れ間、松の芽摘みに飽きての気分転換での一服です。「みそぎぞ夏のしるしなりける」とばかりに禊の雨も降りだしました。















和菓子の包装

2012年06月27日 | 日々好日
 なかなか口に入らない菓子です。ただし、口に入るまでに手間のかかる菓子ということです。
 娘が送ってきた荷物の中に、隙間ができたので自宅用に買っていた「たねや」の菓子を詰めたとメールがありました。
「蓮子餅」と書いた赤い札が下がっています。蓮の浮き葉に宿る露の珠をイメージしたもののようです。細長い筒状の包装の中には、きな粉と小さなピンが別に入っていました。
 少し深さのある皿で、菓子を指で固定してピンで突くようにと書かれていて、少しだけ冷やした方がよいとも書いてあります。昔この手の水羊羹があったのを思い出しました。

 夫は面倒がって口に運ぼうとしません。ピンで突くばかりにしてきな粉も添えて出しました。ほんのりとした上品な甘さでかすかに蓮の味わいもあります。口当たりも滑らかでした。
 一般に和菓子は、日本料理と同じく、目で風情を楽しむことも味わいのうちで、季節感が大切にされ、包装にも趣向があります。それでも、度を越すと嫌味になるので、このあたりがぎりぎりの限度でしょう。もう一つの方は「初々し」と書かれた栞がついています。種入りのままの青梅を加工したもので、ラム酒の入った和洋折衷の菓子でした。こちらは曲げわっぱ入りで、近くの贔屓の店の月替わりのものだそうです。
 いわゆる水無月祓いに供される和菓子の「水無月」とは別のものです。













誘われて

2012年06月23日 | 雀の足跡
 誘われて今日は日帰りの嬉野温泉行きでした。台風5号の余波で大雨の予報でしたが夜が明けてみるとなんと青空まで覗いて雨の気配は全くなしです。
 友人は、帰りには裕徳稲荷に行ったことがないから寄っていきたいというので、温泉だけならと言っていたわが連れ合いは敬遠して留守番を買ってでました

 もう手遅れもいいところですが日本三大美肌の湯というのがうたい文句の嬉野の湯はとろりとしてなかなかのもので、一時は和楽園を定宿にしていました。自宅を出発して、高速道に乗れば寄り道さえしなければ、鳥栖から長崎道経由で2時間ぐらいで到着します。
 本日の湯宿は、和多屋別荘でした。嬉野で一番大きな宿です。昼食もかなりな量と名物の温泉湯豆腐はじめ多彩な和食でお風呂も堪能できたのですが、やはり温泉は宿泊して何度か湯に浸かり楽しむものだと思いました。

 祐徳稲荷は、伏見、豊川と並ぶ有名なお稲荷様ですが平日とあって人も少なく、人出がTVで映し出されるお正月の喧噪とは無縁でした。年間300万人の参詣があるのだそうです。
(ご祭神や境内の詳細他はリンクからご覧ください)

 楼門前の太鼓橋は化粧直しの塗り替え中でした。私の足では150段余りの急な階段はもう無理なので、下の拝殿で参拝して日本庭園の、花菖蒲や紫陽花をめでて、本殿まで上った友人を待っていました。10代の幼い日、父に連れられて参拝したこの境内で、奉納される面浮立(メンブリュウ)の異様で勇壮な舞を初めて見た日を思い出していました。
 梅雨の晴れ間に恵まれて、人の運転する車の気楽さで、脇見の発見は、佐賀平野のあちこちにはまだ藁葺の屋根が瓦葺に混じって点在していることでした。上着も脱いでの快適なドライブでした。



車検

2012年06月20日 | 塵界茫々
 前回もそうでしたが、車検の時期が来るとそろそろ車の運転はやめにした方がよいのではと迷います。
 反応が遅くなってきたのは自覚していますし、もう長距離の運転は集中が続かなくて疲れ、片道150キロぐらいが限度のようですから。
 居住地の地理的条件や、交通機関の不便など理由はいくらでもつけられますが、やめる潮時は自分で見極めをつけるほかありません。
 外国で取得した免許で、もともと運転が好きではなかった夫は82歳の時、さっさと免許を返納してしまいましたので、以来6年間は、もっぱら私が運転手をつとめています。急な病気の時の病院通いや、老いた両親を看取っていた折には何度車のあることに感謝したことか。運転することができて幸いだったと思う場面も多々ありました。

 高齢者の事故が多いといわれると、居心地の悪いものがあります。ちなみに長年にわたりゴールドカードですが。
 定まった個人タクシーを見つけるようにと、娘に言われていますが、さて、タクシーで今のような行動が果たして可能かどうか。足の故障がなければ、遠くてもバス停まで歩けば健康のためにもいいのでしょうが。かつては最寄りの駅まで歩いて10分だったのが、今は15分かかります。

 確かに経済的には、税金、保険、ガソリン、そして車検をはじめとする維持費を考えれば、タクシーの方が安くつくのかもしれません。実際に、今回の上京では、天候もあって小田急で新宿に出かける以外は殆どタクシーのお世話になり、その気楽さと便利に馴染んだつもりでしたが、帰宅すると考えが変わり、すぐにキーを握ってしまいます。
 迷った挙句今回もまた車検を受けるべく、長年の付き合いの個人の自動車屋さんに今年も「多分これが最後になると思うけど」と予約の電話を入れました。


 






本日の蟹との戯れ
水鉢の睡蓮でお口直しを。



動く蟹を目指して

2012年06月16日 | すずめの百踊り
 先日の蟹を何とか動かしてみようと試行しています。実験の花菖蒲と、先日の例会の後始末が雨の日のつれづれを慰めてくれます。屑篭入り前に自戒をこめて、跡をとどめるとしました。
 紫陽花は好きな山紫陽花と、描けない白い紫陽花への挑戦中です。次回までには何とか白く浮かび上がらないものかと、いろいろと「お試し」中です。白抜きで残そうとしても、その技術は身についていませんし、花弁の薄い質感を表現したくても、叶わぬことです。

 庭の白い花たちも今日は雨の中で生き生きとしています。梅雨入り早々の大雨で災害が起こらないよう祈るばかりです。























この状態が一番好きな開き加減のニワナナカマドです。これが描きたいのですが今の私のレベルでは無理な相談のようです。

6月の例会

2012年06月13日 | すずめの百踊り
 提出するつもりの作品もいざとなると気に入らないところがあって躊躇ってしまいます。
 それでも「尚武」と令法(リョウブ)蟹を提出しました。

 裏山に続く山裾で年に2回花をつけるニワナナカマド(珍至梅とも)が満開の雲を棚引かせています。
 白い花が好みで植えていたアジサイも今では大きくなって見上げる高さです。
 令法と白の下野草は盛りが過ぎました。
 白い花は清浄なだけでなく、黒同様主張する色を持たないだけに自由な創造をはぐくみますが、白は表現するとなると手ごわいものです。

講評でも予想した通りの指摘で、まだまだの道のりの遠さを改めて自覚したことです。
 ニワナナカマドは提出は見合わせ、自分の楽しみとしました。



















宮地嶽神社の江戸花菖蒲

2012年06月09日 | 雀の足跡
 昨日は久しぶりの宮地嶽神社参拝でした。。社殿の奥庭には古民家苑があり、谷いっぱいに江戸花菖蒲が栽培されています。なんでも百種10万株も植えられているのだそうです。
 そろそろ見ごろと思って出かけました。折から花菖蒲祭りが開催されていて、梅雨入りが宣言された小雨も降る平日ですが、いつもと違いかなりな人出でした。参道の階段にも鉢植えが置かれ、拝殿前の玉砂利のところにも一面に菖蒲が配置してあり今が盛りの時でした。

 今回はルートを古代の官道にとって、宗像大社の手前から山間の細い道を辿りました。万葉集で坂上郎女が名児山の歌を残している大坂越えです。
 奴山古墳群の間を縫って走ると、多数の古墳が次々に迫ります。小さな円墳や前方後円のやや大きな古墳は、今も古代豪族、宗像一族のロマンを秘めて古代の眠りの中です。こちらは6年ぶりのコースでした。

 宮地嶽神社の奥ノ院には、6世紀末のものとされる横穴古墳があり、全長23mの石室は、5メートル級の巨石で組まれています。
 江戸期に山崩れで開口した古墳からは、馬具、刀装具など300点余が発見され、内17点は国宝指定されています。(その一部は九州国立博物館で常設展示されています)特に龍虎紋の透かし彫り宝冠、中国六朝時代の壷鐙などの馬具は見事なものです。
 ここ宮地嶽は、やはり九州古代王朝の聖域でしょう。一説にこの古墳は胸形君・徳善(高市皇子の母、尼子娘の父)のものではないかといわれています。

 花菖蒲は八つ橋とともに琳派の画題としてしばしば登場する花で、連想は自然に伊勢物語の昔男の「から衣きつつなれにし妻しあれがはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」の歌へと通います。じっと見つめていると、「井筒」の装束をつけた女が立ち現われてきそうです。
 たおやかな花に対してまっすぐに伸びた葉先は「尚武」と呼ぶ言葉へも通い、アジサイ以上にこの季節を代表する日本の花だと思いました。


補注 奴山古墳群に関してはこちらのブログに多くの写真とともに詳しく記されてい ます。

  高市皇子に関して 
 謎の多い皇子です。天武天皇の第一皇子で、壬申の乱では勝利への立役者でした。不破では軍事の全権を執行。
 母の出自から、天皇として即位することなく、持統天皇即位の折は太政大臣となり、皇族最高位についています。
 正妃は天智天皇皇女(御名部皇女、長屋王はこの二人の間の御子)
 異母姉十市皇女の急死の折の情熱的な挽歌が万葉集にのこされています。高市皇子の死に際して柿本人麿は挽歌で「わ           が大王」と呼びかけています。死後に「後皇子尊」ノチノミコノミコトと尊称が贈られています。
  (古代九州王朝説をとる方たちは天皇として扱っています。)








琳派への迷い道

2012年06月05日 | すずめの百踊り
 夜明け前には降っていた小雨は上がったものの、一日中重い雲に覆われていました。こんな日は琳派で楽しませてもらうことにしました。
 先日の根津美術館で出会った燕子花はまだ途中ですが、方向だけは決まりました。図録を見ながらあれこれと模索するのは愉しみなものです。
 なるほど燕子花図屏風は型紙を使ったのではという説も頷けます。

 線が一見鋭く見えても柔らかなことも、図録を横に置いて画いてみて発見しました。穏やかな線と、一気にもってゆくのびやかな筆使いが琳派の特徴のようです。どうやら、技法以前に私の場合は気持ちの持ちように問題がありそうです。もっと、ゆったりと構えるのが肝要と悟りました。
 
 まだまだ学ぶところが多い琳派習いの模索です。











懐かしのブラジル風景

2012年06月01日 | 日々好日
 このところ体調がすぐれなかった私を気遣ってか、次々に「懐かしいでしょう」と、ブラジルの風物の映像が送られてきます。それらの中からイグアスの滝を撮った映像は迫力が違っていました。今日から水な月。水といえばこれは壮大な景観です。
 さすがお膝元で何度も出かけている人のカメラの眼は格別なものがあります。そこで出会った鳥たちの写真も珍しく、初めてお目にかかるものもありました。人物が入っていないものを選択してUPします。アルマジロには何度も出あったのですが、鳥の記憶は薄れています。中でも気弱そうな眼差しの鳥が気にいりました。
 おすそわけを、お楽しみください。
 別に、絶妙のシャッターチャンスの愉快な写真がたくさんありましたのでおまけに何枚かUPします。