農 家 便 り (ブログ版)

産直ニュースでは書ききれないことや、みんなに早く伝えたいことなどを書いていきたいと思います

元気だよ。

2012年02月13日 | 今日の便り
気がつかない間にお付き合いがある家で葬儀があったそうで、届けに行ってない。
移転した家だし、場所良く知らないしどうしようか?と考えたけど
じいちゃんの時も父さんの時も来てくれているのにそんな不義理をしては、父さんに叱られると
思いなおし行ってきましたが「父さんなら?」と考える癖が出来てしまった。
生きてる間は当たり前に何でもしてくれていたから、本当に大変
灯油、軽油、ガソリン、肥料、工具?毎日何かしら問題が起きる。
洗濯機が壊れた、取り替えたけどホースは?延長?どれを買ってつけたらいい?
毎日娘と相談して何とかこなしています。
「出来ない事は現闘さん達が手助けしてくれていますので」
とても図太い性格ながら睡眠は浅い、少しのゆれや音で起きてしまうし寝られない。
これは若い時からなんですが、介護中のばあちゃんが夜中や明け方に歌を歌ったり目が覚めると騒ぎを起こす。
父さんには全然起きない人だったからずいぶん愚痴りました。
父さんが急に亡くなり、全然寝られない食べられない状態の数日、
倒れて入院した頃から夜早い時間から眠くて夜更かしだったのが、早寝早起きに?
1回寝たら早朝まで起きない、父さんが守ってくれている寝ないと体壊すから寝かしてくれていると
勝手に思っています。


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あの時は、

2012年02月11日 | 今日の便り
まだまだ落ち着くというまでにはいきませんが、少しだけ振り返ると後悔だけが鈍く疼きます。
深夜「足がつる、頭痛い」と言いながらトイレに立ち倒れ、声を掛けたんですが返答がなく
うなり声だけ、見に言った時は「痛い、足が立てない」とつぶやき意識不明に
すぐ救急車を呼びましたがその時間の長く感じる事
たぶん15分くらいできたようですが、余りの怖さに本当に長く感じたのを覚えています。
庭先に止まった救急車の中で病院へ電話、「受付無理です」「治療出きる医者がいません」
「今、緊急が込み合っていて無理」など病院のたらい回し
父さんの手を握り締めながら本当に怖かった、娘達の話では1時間以上かかったと
やっと受け付けが出来た病院が「九十九里病院」で菱田からは1時間以上かかりました。
病院についた頃から意識が多少戻り、MRIなどの検査中は話せるほどで
医者の説明も「太い血管は切れていないようなので命に別状はないと思います」と
言われ本当にほっとして、父さんに本当に怖かったんだから死んジャ運じゃないかと思ったんだからと
言ってたほど、安心して
集中治療室には居られず、廊下の椅子とロビーで一晩付き添い
明け方、娘達を返し翌日は、兄弟が駆けつけてきた時に姉に「痛かった死ぬかと思った」と
話していたくらい元気で薬剤師さんに自分で飲んでる薬の説明をし
尿の管を嫌がりトイレに連れていってくれと私と看護婦さんにだだをこねる程元気だったし
医者は説明時第3者もいれず、2週間くらいは様子見ないと危険かもと?言うだけ
脳外科医がいないなら他の病院へ転移をさせてくれと言ったら、
「様子見ましょう、大丈夫そうだから」と
その言葉を信じて、会計に高額医療の申請を役場でもらってきてくれと言われ
使用中のインシュリンを取りに自宅へ往復2時間
病院へ帰った時は寝ていたと思ったんだけど現に看護婦さんもそう言ってたので
もう意識不明だったんだと後で思いましたが、、、、
その日も先生は「重いなら転院させてくれ」という私に大丈夫と
それを聞いて娘達に家へ返され、交代で娘が付き添うと夜9時完全介護だと娘が返され
心配で寝られず、7日の日は早朝4時に病院へ5時ごろついた時はもう高熱で体は身動きもしない
ひどい高熱なのに、下げる治療もしていない
泣きつき何とか氷嚢を入れるがまったく利かず、先生を呼んでくれと言っても呼んでくれず
呼吸が止まり、娘達と呼びかけると呼吸が戻る状態に
先生を医者を呼んでくれと泣き騒ぐ私達に、看護婦はもう手の打ちようがないと諦め状態で呼んでくれない
その10分くらいの長かった事、本当に怖かった、今思い出しても怖い
医者に延命措置の間、部屋から出され看護婦詰め所の心電図を見ながら何とか生きてほしいと願い
障害が残っても生きていて欲しかった、たとえ寝たきりでも生きていて欲しかった。
泣く家族を尻目に看護婦が大声で笑いながら作業していたり、同じ部屋で、、、
医者は助からなかったのに謝るどころか、なんと4回もやったんですよ、普段は2回ですから」と威張る始末
悲しくて、離れられない私達に婦長は次が来ますのでどいてくれというような言い方で
兄弟が家族がくるまで待ってくれと言うのがやっとで、今でもくやしい、悲しい
10万預かりますとか、1万こずかいですとか、本当に酷い病院で看護婦の処置ようのゴム手袋などこずかいからと
引かれ、パジャマは1日1000円、オムツなど使用も1日1000円とか、最悪だった。
愛する家族に死なれ泣き崩れる家族に、死ぬ事に慣れきっている余りな態度の病院でした。
遺体安置所は病院の外のゴミ置き場のような建物で
大きな病院のない山武の救急車は、全て受け付けてくれるその病院へ次々運びこみ多くの救急車の全てが山武と書かれて
いましたが、その運びこまれた患者の大半が死んでしまう恐ろしい病院のようです。
近所の者はいかないと後で聞かされましたが、後悔しても帰ってきてくれないし
せめて、他の方が九十九里病院へ行かないように願うだけ
TVで見ていた医者不足で救急車でたらい回しに合うとは、思いませんでした。
余りのショックで寝られない食べられない状態での体を壊し入院騒ぎを起こし悲しみの中で娘達に心配を掛けてしまい
ましたが、頭にもやがかかったようで何も覚えていない悲しい夢の中のようで
何とか頭の霞が消えたのは、父さんが御骨になってしまったのを見てから
「ああ、もういないんだ」と
悲しみは消える事はありませんが、時が薄めてくれるはず
父さんに合えるその時まで、父さんに顔向けの出来ない生き方はしたくないそれだけです。
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産直記事更新 

2012年02月09日 | 今日の便り
厳しい寒さが続き春が待ち遠しい毎日です。
例年陽だまりで早々に春を告げるふきのとうも余りの寒さにまったく出てきません。
最初の作付け、大根、小松菜、ジャガイモと始める時期ですが土が凍りつき少し遅れ気味
余り無理して作付けを開始してもどうかな?
天気予報とにらめっこより、畑や野山の虫などの動きを見ながら思案中
来月頭に移植できるように数種の種まきをビニールハウスで始めたりしています。
跡継ぎの娘にいろいろ教えたり、共に試行錯誤をしながら年々厳しくなる自然相手に
共に生きる農業を目指して
安全な無農薬野菜を育て努力しても、人の力では制御出来ない原発で全てが無になる現実に
いまさらながら食の大事さを実感中
福島の全国の子供達の健康に生きる権利の為にも原発をなくす運動を続ける事が
食を考える農家として人としてこれからの道だと信じています。

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父さん見守って

2012年02月08日 | 今日の便り
寒さ厳しい日が続いていますが、ビニールハウスを何とか張替え例年より遅くですが
苗作りを始めました。
少しずつですが前向きにがんばっていこうと思えるようになってきています。
農業も家も各地の戦いも1から自分が継ぐといっている娘の支えになってやらないと
いけない、教える事が二人で勉強する事がいかに多いか?
まずは、娘のオートマ解除から「トラクター路上を乗れない」
父さんがいればたぶん一生トラクターを動かす事などしなかっただろうけど
周りが全て移転し1件だけで残る我が家で娘が農家を継ぐ事がいかに厳しい事か
母親の自分からは頼めない事でしたが、本人が決めた決意です。
今は亡きじいちゃん、父さんと共に戦ってきた全国の仲間へ、
安全な野菜をおいしい野菜作りを共に作り上げてきた産直消費者のみなさんへ
娘共々これからも宜しくお願いします。
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農家として生きる

2012年02月05日 | 今日の便り
父さんへ沖縄から今年も一坪反戦地主会から総会の案内が届いた。
行きたかっただろうな、と沖縄の現状を実際に見てから共に闘うんだと言ってたから
じいちゃんの反戦の歴史の一反である沖縄一坪も、死後「ばあちゃんと子供達4人に分けられ」
今度は父さんの分が、私と子供達3人に
面積は小さくなるけど、これも私達が継いでいきます。
働かないと生きていけないからぼちぼちと農作業はしてますが、心配してくれる方もあれば
「農家続けるの?」という驚きの人も
父さんが愛した農業をそう簡単に止めない
仕事が休みの勤めの娘まで巻き込み畑へ、帰宅時私服車が家に張り付いてる?
誰か来てる?
北原のじいちゃんがお線香あげてくれてた、娘達が母親を助けているのを見て
逆に涙ぐまれてしまった。
共に最初から戦ってきた家のじいちゃんや市東家のじいちゃんなど多数に先立たれ
まだ、若い父さんが逝き北原のじいちゃんにはまだまだ元気でいて貰わないと
厳しい戦いの正念場を迎えてこれからですから
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情けないけど

2012年02月03日 | 今日の便り
本気でがんばるから、ここでくらい愚痴言わせて
忙しくしてる間は考えませんが、寂しさは増すばかりですね。
大事な人を亡くした方は判ると思いますがじわーと寂しさと悲しみは増すばかり
激しい悲しみより、ある意味きついかも知れない。
ため息だけが増えていく。
ため息ばかりだと幸運はこない、何とか運気回復を願い
久しぶりに節分の豆まきを娘としましたがこういう行事父さんが好きだったな。
何をしててもふっと思ってしまう。
父さんの分もがんばって生きるから
仕事の合間にビニールハウス張替えの道具を買いにいって、大きさ、長さはかっていったんだけど
こういうのも父さんが買いにいってたので、なんげんのハウスですか?と聞かれ?
こんな事ばかり、
あせらず、ゆっくり1歩ずつ前へ進まないと

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なんだろうな?

2012年02月01日 | 今日の便り
メール確認で起動したら、見慣れないものがセキュリテイレポートにスパイウエアの処理数19?と
何だ?それも人が入院していた15日に集中・
誰が何を知りたいのか?
数度だけど私の部屋の電気を消した瞬間にワンギリされたり、何処で見てるの?
家の山に誰か隠れて家を見張っていたり?
犬が吠えるので見上げるとカラフルな物が動いていたり
警察?
誰?
本当にふざけるな
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厳しい寒さ続く

2012年01月30日 | 今日の便り
ものすごい寒波が続いて農作物にも大きな被害が出始めました。
1ヶ月以上も雨がなく水分不足で成長不良、やっと雨が降ったと思ったら雪と大寒波が続いています
例年この時期を乗り切る為にさまざまな葉物を蒔いていますが、寒菜花など寒に強い物が寒さで
立ち枯れ状態に、ほうれん草も寒さは強いのですが強風にやられて周りがパサパサに、
大根もクビが凍り切り大根になります。
午後になっても畑の土は凍りつきとても硬く、強風で飛ばされたトンネルなど直すのに
鍬が入れにくい程です。
この時期が生き物も乗り切るのが大変で、必死に餌探しにでていますので大変珍しい
巣立ち直後のオオタカ、フクロウなどを近所で見かけました。
百舌などもこの時期は、畑に良くいます。
収穫作業など、心配して現闘さん達が手伝いに来てくれていますので私は早々と帰宅し
家の用事をしたりしています。
悩んだ時は「父さんならどうしただろうか?」と考えながら少しずつ先に進みます。
「これは、若くして連れ合いを亡くされた友人の口癖
これからは、私も
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つい、父さんがいたらと

2012年01月29日 | 今日の便り
今朝は、この寒さで作業場の水道管破裂、こういう時本当に父さんが居たらと思ってしまう。
全部父さんが直してきた、私は傍で見ていただけ
道具は揃ってるし、足りない物は近所で買えるけど力が足りない。
現闘さん達に声を掛けて直してもらいながら、情けないなと思う。
業者さんに頼めばいい事は、何とかなるけど
精神的に父さんに頼りきりだった自分が逆に娘達の支えになれるようにがんばらないと
いけない。
遺影に話しかけながら、1歩ずつ前に進もう
愚痴は、全国の仲間が聞いてくれるから
将来、自分の番になってあの世にいったら父さんにどんなに大変だったか聞いてもらおう。
それまで、何が出来るか、できる事を
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産直記事更新

2012年01月26日 | 今日の便り
前回、新年のご挨拶を載せるはずが父ちゃん「謙太郎」の訃報を記事にしなければならなかった事
とても悔しく残念です。
長年共に産直を作ってきた多数の消費者の方が葬儀に参列、最後の別れを惜しんで頂いた事
亡き主人の心残りは、まず残された家族の生活だと思いますので本当に安心してくれたと思っています。
野菜の事何も知らずに嫁ぎ、一から消費者のみなさんと育ててきた産直の会、主人と苦労した無農薬の会
私が潰す訳には、いきません。
幸い、次女が主人の跡を継ぐと言ってくれています。
若い娘が農家になるのは、本当に大変な事だとは思いますが娘が一人前の農家になれるように
ご支援ご支持、宜しくお願いいたします。
母子2人でやっと半人前ですが、これからも安全でおいしい野菜作りを続けて行きたいと考えています。
安全な野菜をと長年無農薬野菜を誇りにしてきた農家の主人にとり、福島の原発事故問題
たとえ自分の農地が汚染されていなくても、他の農家の苦しみやTpp問題、沖縄の問題、
三里塚問題などストレスも大きかったと思っています。
この地で農業を続ける難しさも残された私達の大きな課題ですが、1歩1歩地道に農業を続けて
いこうと娘と約束しました。
これからも宜しくお付き合いお願いいたします。

                               鈴木加代子
                                 由美
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