ミニシアター 2008-05-26 | 子育ち No.2914 東京は西武池袋線・江古田駅前です。 公演中のポスターが掲出してあります。 くわしくないけど → こちらでお知らせ。 で、 出演者の1人が左端に立っているけど、 いやはや、どこかのご存じバカ息子です。 その祖母と、右端には親バカその1も。 残る日程は、5月26日、27日のみですが、 7月下旬には韓国公演も決まったんだとか。 その話を聞いた次女の反応 「まだ(引き出しが)あったのかぁ!?」 に共鳴しました。 クリック感謝 « 1回で仕上げ | トップ | 緑 餌 »
3 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 こちらでも (さえ) 2008-05-26 01:43:16 しつこく紹介。感想書きました。http://8158.teacup.com/sae/bbs Unknown (はまやん) 2008-05-26 18:52:26 三人の笑顔が最高! 転載させていただきます (親バカ31) 2008-05-26 22:18:59 掲示板だと下にいってしまうので、さえさんの感想、こちらにも転載させていただきます。(転載ここから)「劇」なのかなぁ。「パフォーマンス」というか「表現」というか。でも「無言劇」というのは以前からあるから、それかなぁ。肉体表現。登場は5人。50席ほどの小屋。低いステージ。無表情に黙々とステージ上を歩き続けること20分、とか。箱で造られた「壁を壊し」、箱をあれこれ「動かし」ては立ち止まって「考える」こと20分とか、箱を「たたきつけ」、箱を「利用し」・・・最初はお互い目線も合わせずに黙々と動いている彼らが、「箱を手渡し」「手をつなぎ」だし、最後は箱で造った階段(「広場」…群れをつくることで全ての文化を生み出してきた人間の、その文化誕生の「場」でもあり、社会変革の萌芽もそこに存在する「広場」…の石段か?)から5人揃って、初めて意思を持った顔で、客席をしっかり見つめて、おわり。せりふは無し。照明と録音された様々な音楽はある。私が勝手に想像したストーリーは、まさに「蟹工船」そのまんま。黙々と歩く彼ら。無表情さが非人間性を伝える。効果音のテンポがだんだん上がって、苛立ちを誘うような音質になって、それに従ってヒステリックに歩かされる彼ら。やがてふと、歩く列から外れて考え始める一人。立ち塞がる壁を壊し始める彼ら。けれど壁を構成していた箱を、いたずらに右往左往させては途方にくれる彼ら。箱に弄ばれる彼ら。やがて箱で意味あるものを造ろうとしたときに協働を覚える彼ら。協働で作り上げた階段から、落ちるのではなく意思を持って飛ぶことを始める彼ら。ここではじめて手をつなぐ。はじめて個性が現れる。音は高揚し、音に励まされて飛び続け、飛ぶことをくり返しくり返し、いつの間にか音に踊らされていることに気づいた時、音は突然止み、けれどそのとき、彼らはすでに集団を知り、揃って客席に向かって「もう一度!」「ん。もう一度!」と意思表示をするのだ。蟹工船の彼らのように。私は、以前文学作品の読み方を教えてくれた先生が「書いてあることだけを深く読みなさい。書いて無いことを読んではいけない」と言われたのを忘れずにいるのだけれど、言葉の無い表現からなら何を読み取っても勝手だろう。その「何を感じるかはどうぞご自由に」と言っているようなこの「表現」の手法が、この方法に慣れていなかった私に「そうだった、これも在りなのだ」と思い出させてくれた。息を切らし、汗を流し、懸命に身体を使ってその表現に取り組む彼らの内在するエネルギーに、共感する。そして、これはもうほんとに「好み」の問題なのだけれど、私はやっぱり「言葉」を使う表現・働きかけが好きなことにも気付かせてくれた。音とリズムだけの器楽ではなく、言葉の付いた「歌」を選んでいるように。そしてだからこそ、異種のものに触れるチャンスをくれた出演者のお一人(31さんの息子さん)に感謝する。 規約違反等の連絡 コメントを投稿 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
感想書きました。
http://8158.teacup.com/sae/bbs
さえさんの感想、こちらにも転載させていただきます。
(転載ここから)
「劇」なのかなぁ。「パフォーマンス」というか「表現」というか。でも「無言劇」というのは以前からあるから、それかなぁ。
肉体表現。登場は5人。50席ほどの小屋。低いステージ。
無表情に黙々とステージ上を歩き続けること20分、とか。箱で造られた「壁を壊し」、箱をあれこれ「動かし」ては立ち止まって「考える」こと20分とか、箱を「たたきつけ」、箱を「利用し」・・・
最初はお互い目線も合わせずに黙々と動いている彼らが、「箱を手渡し」「手をつなぎ」だし、最後は箱で造った階段(「広場」…群れをつくることで全ての文化を生み出してきた人間の、その文化誕生の「場」でもあり、社会変革の萌芽もそこに存在する「広場」…の石段か?)から5人揃って、初めて意思を持った顔で、客席をしっかり見つめて、おわり。せりふは無し。照明と録音された様々な音楽はある。
私が勝手に想像したストーリーは、まさに「蟹工船」そのまんま。
黙々と歩く彼ら。無表情さが非人間性を伝える。効果音のテンポがだんだん上がって、苛立ちを誘うような音質になって、それに従ってヒステリックに歩かされる彼ら。やがてふと、歩く列から外れて考え始める一人。立ち塞がる壁を壊し始める彼ら。けれど壁を構成していた箱を、いたずらに右往左往させては途方にくれる彼ら。箱に弄ばれる彼ら。やがて箱で意味あるものを造ろうとしたときに協働を覚える彼ら。協働で作り上げた階段から、落ちるのではなく意思を持って飛ぶことを始める彼ら。ここではじめて手をつなぐ。はじめて個性が現れる。音は高揚し、音に励まされて飛び続け、飛ぶことをくり返しくり返し、いつの間にか音に踊らされていることに気づいた時、音は突然止み、けれどそのとき、彼らはすでに集団を知り、揃って客席に向かって「もう一度!」「ん。もう一度!」と意思表示をするのだ。蟹工船の彼らのように。
私は、以前文学作品の読み方を教えてくれた先生が「書いてあることだけを深く読みなさい。書いて無いことを読んではいけない」と言われたのを忘れずにいるのだけれど、言葉の無い表現からなら何を読み取っても勝手だろう。
その「何を感じるかはどうぞご自由に」と言っているようなこの「表現」の手法が、この方法に慣れていなかった私に「そうだった、これも在りなのだ」と思い出させてくれた。息を切らし、汗を流し、懸命に身体を使ってその表現に取り組む彼らの内在するエネルギーに、共感する。
そして、これはもうほんとに「好み」の問題なのだけれど、私はやっぱり「言葉」を使う表現・働きかけが好きなことにも気付かせてくれた。音とリズムだけの器楽ではなく、言葉の付いた「歌」を選んでいるように。
そしてだからこそ、異種のものに触れるチャンスをくれた出演者のお一人(31さんの息子さん)に感謝する。