日刊「NOCUSる」

たとえば5年後、あなたは何を食べている? それは、どこで誰が作る?

ミニシアター

2008-05-26 | 子育ち


東京は西武池袋線・江古田駅前です。
公演中のポスターが掲出してあります。
くわしくないけど → こちらでお知らせ。
で、
出演者の1人が左端に立っているけど、
いやはや、どこかのご存じバカ息子です。
その祖母と、右端には親バカその1も。

残る日程は、5月26日、27日のみですが、
7月下旬には韓国公演も決まったんだとか。
その話を聞いた次女の反応
「まだ(引き出しが)あったのかぁ!?」
に共鳴しました。

 

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3 コメント

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こちらでも (さえ)
2008-05-26 01:43:16
しつこく紹介。

感想書きました。

http://8158.teacup.com/sae/bbs
Unknown (はまやん)
2008-05-26 18:52:26
三人の笑顔が最高!
転載させていただきます (親バカ31)
2008-05-26 22:18:59
掲示板だと下にいってしまうので、
さえさんの感想、こちらにも転載させていただきます。


(転載ここから)

「劇」なのかなぁ。「パフォーマンス」というか「表現」というか。でも「無言劇」というのは以前からあるから、それかなぁ。

肉体表現。登場は5人。50席ほどの小屋。低いステージ。
無表情に黙々とステージ上を歩き続けること20分、とか。箱で造られた「壁を壊し」、箱をあれこれ「動かし」ては立ち止まって「考える」こと20分とか、箱を「たたきつけ」、箱を「利用し」・・・
最初はお互い目線も合わせずに黙々と動いている彼らが、「箱を手渡し」「手をつなぎ」だし、最後は箱で造った階段(「広場」…群れをつくることで全ての文化を生み出してきた人間の、その文化誕生の「場」でもあり、社会変革の萌芽もそこに存在する「広場」…の石段か?)から5人揃って、初めて意思を持った顔で、客席をしっかり見つめて、おわり。せりふは無し。照明と録音された様々な音楽はある。

私が勝手に想像したストーリーは、まさに「蟹工船」そのまんま。
黙々と歩く彼ら。無表情さが非人間性を伝える。効果音のテンポがだんだん上がって、苛立ちを誘うような音質になって、それに従ってヒステリックに歩かされる彼ら。やがてふと、歩く列から外れて考え始める一人。立ち塞がる壁を壊し始める彼ら。けれど壁を構成していた箱を、いたずらに右往左往させては途方にくれる彼ら。箱に弄ばれる彼ら。やがて箱で意味あるものを造ろうとしたときに協働を覚える彼ら。協働で作り上げた階段から、落ちるのではなく意思を持って飛ぶことを始める彼ら。ここではじめて手をつなぐ。はじめて個性が現れる。音は高揚し、音に励まされて飛び続け、飛ぶことをくり返しくり返し、いつの間にか音に踊らされていることに気づいた時、音は突然止み、けれどそのとき、彼らはすでに集団を知り、揃って客席に向かって「もう一度!」「ん。もう一度!」と意思表示をするのだ。蟹工船の彼らのように。

私は、以前文学作品の読み方を教えてくれた先生が「書いてあることだけを深く読みなさい。書いて無いことを読んではいけない」と言われたのを忘れずにいるのだけれど、言葉の無い表現からなら何を読み取っても勝手だろう。

その「何を感じるかはどうぞご自由に」と言っているようなこの「表現」の手法が、この方法に慣れていなかった私に「そうだった、これも在りなのだ」と思い出させてくれた。息を切らし、汗を流し、懸命に身体を使ってその表現に取り組む彼らの内在するエネルギーに、共感する。

そして、これはもうほんとに「好み」の問題なのだけれど、私はやっぱり「言葉」を使う表現・働きかけが好きなことにも気付かせてくれた。音とリズムだけの器楽ではなく、言葉の付いた「歌」を選んでいるように。
そしてだからこそ、異種のものに触れるチャンスをくれた出演者のお一人(31さんの息子さん)に感謝する。

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