小料理日記

一般人のこだわり料理。
材料を買う店を特定し始めるとセミプロ認定を受けます。

勘弁して。

2008-04-18 12:13:13 | 日常
スーパーアグリ、F1参戦継続がピンチ…売却交渉が決裂(読売新聞) - goo ニュース

あー。まあねー。
無理矢理参戦したよーなもんだし、成績も低迷してるしねー。
スポンサーつかないのはしかたないのかもねー。

だがしかしばっとはうえばー!

F1に参戦するチームが減っちゃうのはいやだー!
ミナルディだってお荷物だとか参戦してる意味あんのかとか散々言われながら結構長い間戦ってきたじゃないかー! 撤退したけどー!
宇宙船つくるよーなカネをかけて排ガスとかゴムかすとかオイルとかカーボンクズとかを撒き散らすあのバカ騒ぎが好きなんだー!
あの壮大な無駄遣いが好きなんだよぉー!
誰か何とかしてくれー!

最後までワガママで他人頼みな私。

どうしようもないのかなー。
残念だなー。

無精者の癖が出てる。

2008-04-09 17:07:52 | 日常
反省だぁ!

いきなりすみません。

最近全くブログの更新をしてなかったので、こんな拙い落書きを心待ちにしていてくれるかもしれない一部の奇特な方々(失礼)へ向けて、お詫びを兼ねまして、子供じみた言い訳を述べようと思いました。
が、とりあえず何からはじめればよいかもわからなかったので、冒頭のような、自分へ向けての一喝を大書きするという、まさにアホウ丸出しの書き出しとなってしまいました。平にご容赦願いたく思います。

さて、更新が滞った理由ですが、直接の原因は体調不良でございます。
三月末くらいから風邪を引きまして、一週間ほど寝込んでおりました。
医者へ行けばすぐに完治する程度のものだったのでしょうが、市販の漢方薬と自作の病人食で治そうと頑張った挙句のこの体たらく。無様というほかありません。これも偏に『病院に行くのが嫌いだ』という私の悪癖に由来するものであります。申し開きのしようもございません。

加えて今週の月曜からアルバイトを始めまして、時間的な制約を受けるようになったことも、理由の一つとして数えられるでしょう。
おめー今までプーだったのかよとか言われそうですが、断言します、その通りです。

いろいろえらそーな事書いてたけど、実は天下のニート様だったのだー!
がっはっはー!

ごほん、ともかく。
まあいつまでもアルバイトで生計が立てられる見通しなどあるわけもなく、正社員としての就職口を探して活動中でもありますので、目下、私の生活は非常に強い時間的制約を受けているといえましょう。

そんなこんなで、これからもブログの更新は滞ることが予想されます。
おそらく有意な記事は週末の深夜にしか掲載できないでしょう。

以上で、私の言い訳を終わります。

しかし、『ごめーんね』の一言ですむ、あるいは断りすら必要ないかもしれない内容をどうしてここまで引き伸ばすのだか。
我がことながら、騒がしいにもほどがありますな。
いや、まったく。

昨日は63周年でした。

2008-03-11 00:28:34 | 日常
東京大空襲ですな。三月十日。
哀悼の意を表明してたりとか、アメリカけしからんとか憤慨してたりとか、戦争やっちゃいけねぇなーとか思ってたりとか、してるんでしょうね。
そんな中で、空気読まずに日本人自業自得論をぶち上げてみようか?

大日本帝国は立憲君主制国家であり、国民の代表として立法機関として国会が存在しており、当時男子のみとはいえ普通選挙制を布いており、曲がりなりにも民主国家であり、その意味で、国民には当然国政への責任があった。
その政治が戦争を行うことを決定し、戦争を終了させる事を拒否し、戦争状態を継続し続けたのだから、国民は戦争によって得られる外交成果を享受する権利があると共に、戦争によって発生する不利益、戦禍を甘受する責任があった。
ゆえに、
『どうしてあんな戦争を始めちゃったんだろうねぇ、この国は』
だとか。
『あんな戦争さえなければ死ななくてすんだのに』
だとか。
そういうふうな言葉を吐くことは、本当なら許されないのだ。
あなた方は、戦争の被害者ではない。
単なる交戦当事者でしかない。あなた方は望んで戦争に突入したのだ。
悲劇を語ることは許されない。

……まあ、当時の大日本帝国に『国民』はいなかったんだけどさ。
そういう意味であの頃の『人々』に戦争責任を求めることは非道だなーとか思うんだけどさ、なんかさ、あの頃と最近と、臣民から国民に変わってもさ、政治への関係意識があんまり変わってない気がするんだよ。

59兆円の道路関係予算を見直せっていう人が9割っていうだろ?
でも、その9割のうちの大部分はさ、計画立てた政治を支持してきた連中だろ?
医師が足りなくて救急患者が見殺しにされちゃうのはけしからんって人がいるだろ?
でも、そういう人間の多くは医師を減らす方向で舵とってきた政治を支持してきたわけだろ?
ちょっと無責任すぎるだろ。
そういうのが気になるっていうかさ、腹立つんだよ。

潔癖すぎる?
まあ、わかいからさー。

これはあれだね。『思ってても言っちゃいけないこと』なんだろうね。

無過失責任は問えない。

2008-03-11 00:00:29 | 日常
「場所立証が不十分」2歳児交通死亡事故で会社員に無罪判決(読売新聞) - goo ニュース

轢死した男児が、運転手として一般通念上相当な注意を持っていれば当然予見されるべき場所に、事件当時いたのかどうか。争っていたのはそこでしょうね。
いきなり空から降って来るとか、いきなり物陰から飛び出して車体の下に潜り込むとか、どうしても死角になってしまう場所にいたとか、そういうことなら罪には問えない。まあそういう『ありえない可能性』を立証することは非常に困難なので、『一般通念上必要とされる注意を持っていれば認識しえた』ことを、原告側が立証する必要があるわけですよ。
裁判の基本。まああくまでも原則なんで、情報だとか調査能力だとかに著しい差が認められる場合には、立場が逆転することもあるわけですけどね。
医療過誤とか。判断ミスがあった証拠を患者側が出せなんて、どんなムチャクチャ言いやがるんだって話です。話がそれました。

まあ、現象の結果に対してのみ云々するものではないってことですな。
人が死んだから死刑ー! みたいな、単純なものではないのですよ。

この被告の人は普通にいい人みたいで、なんとなく応援したくなりますな。
あー、人間って、こういうもんなんだよなーとか、そういうふうに思っちゃう記事でした。

制裁としての刑罰には、防犯効果がない。

2008-03-08 10:19:42 | 日常
【制裁】:道徳・慣習または法規・申合せなどにそむいた者を、こらしめのために罰すること。また、その罰。
【こらしめ】:こらしめること。いましめ。
【こらしめる】:制裁を加えて懲りるようにさせる。
【懲りる】:ひどい目に会って二度とすまいと思う。

刑罰とは、ある違法行為に対して予定されている不利益取り扱いを、公権力がその違法行為を行った行為者に対して科すものである。これが制裁目的で科されているとなると、その効果は行為者に対して『ひどい目に会い、二度とすまいと思』わせることであり、それは再犯防止の効果ではあるが、一般的な犯罪防止効果ではない。これに一般的な防犯効果を期待するとすれば、それは、実際に犯罪を為した者が罰せられたという事実をもって刑罰の存在・その不利益性を広く社会に周知する、いわゆる『見せしめ』としての効果であろう。厳罰論とはつまり、この刑罰の不利益性の周知に防犯効果を期待するものである。
しかし、ここで見逃してはならない事実が存在する。刑罰という不利益取り扱いの存在は、行為者がそれを行う以前に、既に広く周知されているのである。
この不利益取り扱いを規定しているのは(広義の)刑法であり、現代日本の法典はすべて近代法であるから、それは行為規範として一般に公開されている。すなわち、犯罪行為を如何に取り扱うかについては、その刑罰決定過程も含めて、行為者が行為に着手する以前から予定・予告されているものであって、行為者は自らの行為が自身に多大な不利益をもたらすことを既に知っているのである。
それでもなお行為者は反社会的行為に及んだ。この事実は、刑罰の予告によって犯罪を抑止するのは不可能であった、ということを示している。
すなわち、刑罰の予告によって犯罪を抑止することは不可能であり、制裁としての刑罰には防犯効果が存在しない、ということである。

また残念なことに、この種の刑罰によって『こらしめ』られた者は、懲りはしただろうが別に改心したわけではなく、より軽度な犯罪を行う危険性が依然として高い。その意味で再犯防止効果も不十分である。制裁としての刑罰には、予告に留まった場合はもちろん実際にそれを科した場合においても、充分な防犯効果を期待できないのである。

さらに言えば、そもそもこの厳罰による犯罪抑止という観点には、他者への共感という視点が全く欠けており、社会政策としてあまりに杜撰である。責任放棄とさえいえる。
なぜ人の物を奪ってはならないのか。その問への答が『罰せられるから』では、つまり罰せられなければその行為自体に有責性はないということになり、その手段なり程度なりを『工夫』すれば、どのような行為も許されることになってしまう。
そのような社会は、控えめに言っても人心の荒廃が過ぎるであろう。

それは思考の放棄だ。

2008-02-25 17:39:31 | 日常
自分はだれそれの言うことが正しいと思っている。
このような主張を、たまに見る。

あなたはどの意見を支持しているのか。
このような質問も、たまに見る。

もちろん、いずれも私自身に向けられたものではない。

だからいつも私は、『この人は頭の中に何を飼っているのか』と考えながら、読み飛ばす。

その主張は他者の主張=自分の主張とする行為だ。
それは、自身の思考の放棄だ。

その質問は話相手の意見=どこか別の人の意見と看做すことだ。
それは、相手に思考の放棄を強いることだ。
これはとても失礼なことだ。

思考を放棄し、家畜の道徳に塗れたいなら一人でやってくれ。
そこが心地よいのは知っている。
私もかつてそこにいた。

だが、心地よさとは別の、もっと価値のあるものを見つけたのだ。

その愚かな善意で、誰かの理性を汚すのは、どうかやめてくれ。

エロ公国のコメントは要らん。

2008-02-21 18:11:52 | 日常
リンクを張るな。
そんなもんで小遣いを稼ぐな。いや、稼ぐのは構わんが、もっと別のところでやれ。確かに私は助平だが、思考自体を低コスト構造にからめとられているから、そんなところに金を落したりせんぞ。

TBも当然禁止だ。

削除するの面倒くさいんだよ。