SUSHI ROCKS

「真音通信」(まおんつうしん)
写真と音楽。猫や鳥や草花、
時に酒に纏わるよもやま話など・・・。

あの頃の少年 5.

2012-05-08 14:35:24 | 日記

5.コンドルは飛んでゆく/EL CONDOR PASA

☆中学二年生になった夏に、母上に無理を言ってラジカセを買って貰った。
これが人生初のいちばん高い買い物だった。ナショナル製のモノラルの
しょうもないラジカセだったが、こいつが当時で32000円くらいした。
思えば、ラジカセや自転車ってのは当時すごく高いものだったんだね。
自転車なら五段変速器/方向指示器つきのサイクリング車で三万ちょっとしてた。

1ドルが360円の時代に、この値段だからね。
ラジカセなら今どきドンキーあたりで 5000円くらいで買えるよね?
自転車もデザインにこだわりないなら7000円~
一万円くらいで買えたりするよね?

☆19歳の頃、一人暮しで借りた六畳一間のアパートの家賃が
16000円くらいだったから、ラジカセは当時としては、
やっぱりすごく高い代物だったな。
しかし、このラシカセが後年僕の人生を変える事になった。
母上様ありがたや、ありがたや。日給二千円の清掃業で
、雨の日も風の日も嵐の日も 朝早くから仕事に出かけ、
モップ担いで働いて、バカ息子のためにこんな高価なものを・・・。

☆時を同じくして、我が家では革命的な出来事がおこった。
同じアパート内にもう一部屋借りてもらったのだ。
記念すべき新たな一歩。六畳一間の部屋には父上と母上、
そして新たに借りて貰った四畳半の部屋には、姉上と僕。
これは我が家にとっては、万博よりも、月に人類が降り立った事よりも、
遥かに偉大なる一歩であった。
(まあこの時点で未だ、家電話はなかったが・・・)


☆しかし!なんせ音楽が聴けるのである。
(っていうか、アル中の父上と顔合わせなくて済む)
同じ頃、親戚のお兄様からでっかい家具のようなステレオを貰った。
こいつが凄かった。 右と左、スピーカーが二つもあるんだ。
毎日学校から帰ってくるとこいつでレコードを聴いた。
レコードは枚数があまり無かったので、 飽きるとラジオを聴く。
夜中の三時頃まで聴くんだ。銭湯になんか行ってる暇はない。

学校へ行けばひたすら眠い。勉強なんかしてる間はない。
宿題なんかやった事がない。
そんなこんなで、いそいそと学校から帰って来て一日中音楽を聴く。

これが今の僕のすべてのルーツだ。
レコードやラジオから流れる音楽に世界を垣間見た。
万博の会場でも、たくさんの外国人を見たけど、
流れる音楽の遥か彼方に本当の世界を見た気がした。


そして僕は或る日、素晴らしい歌に出会って泣いた。
それはこんな歌だった。

♪かたつむりよりも むしろ雀になりたい
そうだとも もし なれるなら そのほうがずっといい
釘よりも むしろハンマーになりたい
そうだとも もし なれるなら そのほうがずっといい

遠くへ 船に乗って海の彼方へ行きたい
昔 ここで見かけた白鳥のように

人は大地に縛りつけられ 世界に向かって 悲しげな声をあげている
この世で一番悲しい声を♪

(SIMON&GARFUNKEL / EL CONDOR PASA/コンドルは飛んでゆく)


注:この頃は本当にラジオから流れる音楽に耳を傾けていたなぁ・・・
僕の世界のすべては、そんな小さなラジオから僕のもとへ届いていた。
ギルバート・オサリバンの「ALONE AGAIN」やニルソンの「WITHOUT YOU」
バッド・フィンガーやパイロット、10ccの「I'M NOT IN LOVE」なんか、
今でも大好きだし。サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」は
中学校の下校時間のエンディング曲だった。

初めて買って貰った、あのラジカセはいつの間に壊れてしまい
そしていつの頃に、捨ててしまったのだろう・・・。


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