「激しい雨が~、俺を洗~う~」という、懐かしい歌のサビが聞こえてきそうな激しい夕立の中、放射能雨を浴びようがヴィンテージのB-25が濡れようが、そんな事には我関せずとばかりにハルミは叫ぶ。
独パン旗を支えている西やんとチバ氏、ずぶ濡れで観ている森田智子を除き、自分を含めた殆どはテントの中から声援を送った。
音楽解放区は午前11時から14時までの僅か3時間足らず、ここで中断してしまうと歌えなくなる人も出てくるだろう。
そんなハルミの男気(?)を受けてか、函館くんも土砂降りの中「友情山脈」で応える。
通り雨とはいえなかなか止まず、止むどころか自分の出番の直前にはゲリラ豪雨にも等しい降りになり、流石にチバ氏から「中断しようか」と言われた。
しかし、ここで中断してしまっては、豪雨の中歌い続けた彼等の想いを無にしてしまう。
「よし、やるか」と覚悟を決めた途端に雨は小降りとなり、自分が2曲目を歌う頃にはピーカンの青空に戻ってしまった。
大広場での生音とあって、路上などは殆どやった事のない自分は音がモニター出来ないことから、つい力みがちになり、何年か振りに弦を2本切ってしまった。
2本切るとチューニングもガタガタ、伴奏楽器としての機能は殆ど果たさないので2曲目の後半から“ギターパーカッション”での歌となってしまった(チバさんスンマセンでした)。
だが、福島の地で「海が無い(震災後バージョン)」と「お地蔵さん」を歌えたことは、自分としては感慨深かった。
自分の後にも飛び入りは続き、土曜にcoolfoolで会っためめこちゃんも飛び入っていた。
そして、サプライズなのか、はたまた最初から決まっていたのかは知らないが、最後に遠藤ミチロウ氏が何の前触れも無く登場し、2曲を披露してくれた。
観客も報道陣も含め殆ど撮影会の様な有様だったが、音楽解放区独パンエリアの象徴的なラストを飾ってくれた。
音楽解放区終了後は、皆がそれぞれのエリアに散らばった後の、閑散とした独パンエリアのテントでしばし休憩し、ウォーターステージでの“嵐”のエンケン、フラワーステージでは、前日ピストル氏に貸してあげたピックアップの調子を確かめ、球場ステージに移動して頭脳警察のほんの少し、スターリン246、ラストの渋さ知らズ(渋さをバックにしてのknocking on the heaven's doorは感動的だった)を堪能し、函館くんを福島駅まで送り届けて帰路に就いた。
途中事故渋滞に巻き込まれ、虫の音に到着したのは「午前惨事」を少し過ぎていた。
出演者・関係者が異口同音に「このプロジェクトは今年だけで終わりにはしない」と言っていた。
来年以降も開催されるとしても、終了時の段階で既に近隣からの苦情があったとの話もあり、会場の使用や近隣住民への根回し等、そう簡単に事は運ばないだろう。
しかし、これだけの面子がノーギャラ、手弁当で参加、運営もボランティアでやりきったのだから(内情は知る由もないが)、改善すべき点は改善して、来年以降も存続し、また開催される事を切に願う。
(おわり)
※写真提供:ゆきこさん