不思議な袋の夕べ

よじくれた男、アンダーソンの駄言

5月のライブ予定

2011年04月28日 08時45分25秒 | ライブ予定



早いもので、1年の3分の1が終わろうとしている。

時間は容赦なく過ぎ、油断しているとあっという間に正月になってしまいかねない。
時間と共に様々な事が忘却の彼方へ流れ去ってしまうが、ここ一ヶ月半の出来事は記憶に留めておかなければなるまい。

喉元過ぎればなんとやらで済んでしまうくらいが一番いいのかもしれないが。


さて、5月のライブ予定です。


5月14日(土)
長野市インディア・ザ・ロック
月之民企画『月夜の一雫ライブ 二十一雫目』
19:00開場 20:00開演
500円+オーダー
出演
月之民
サトチエ
ハルミ
大平俊郎
アンダーソン

5月26日(木)
碑文谷アピア40
『少年ギャンブラー』
18:30開場 19:20開演
1500円+ドリンク
出演
プレジー3吉
高橋小一
アンダーソン
登坂尚高


以上ですので、東京及び長野近辺にお住まいの方、宜しくどうぞ。


流し目

2011年04月15日 09時23分26秒 | お知らせ


こちら前橋では桜吹雪とまではいわないが、花びらが風に舞っている。

桜吹雪とくれば、時代劇の「遠山の金さん」こと北町奉行・遠山金四郎影元の名台詞「この桜吹雪、見覚えがねぇとは言わせねぇぜ」を思い出さずにはいられない。

自分等アラフォー世代(既に死語か?)にとって、遠山の金さんといえば杉良太郎だが、
その“杉様”が奥方の伍代夏子と共に、被災した石巻を訪れ炊き出しを行っていたニュースが記憶に新しい。

炊き出しは勿論であるが、杉様必殺の“流し目”は被災地のオバサマ方を癒しただろうか。
「流し目で殺される」のなら大歓迎だろう。


そんな「必殺の流し目」を持ち合わせていない私アンダーソンは明晩coolfoolで歌います。


4月16日(土)
前橋coolfool
20:00~
400円+オーダー
出演
rusty notes
十六夜
galuda
アンダーソン


桜吹雪を見飽きた方、自粛ムードに辟易している方、宜しくどうぞ。

ありがとう

2011年04月11日 07時09分41秒 | Weblog



大地震の発生から、今日で一ヶ月が経った。


一昨日、週末を利用して宮城の被災地まで物資を届けに行ってきた。

とはいえ、「物資」といえるほどのものではなく、個人で用意出来る範囲の微々たる「差し入れ」程度ではあるのだが。

金曜の夜に群馬を出発し、翌土曜の早朝に名取へ入った。
そこから仙台、松島、東松島を経由し、石巻の避難所に差し入れを届けて帰ってきた。


テレビの報道や、インターネットで嫌というほど被災地の映像・写真を目にしていたが、現地に足を踏み入れてみると、それがただの耳学問でしかないことが解った。

実際に自分の目で見、そして五感で感じた現実の重さと厳しさは、筆舌に尽くし難い。
自分のような大雑把で感受性の鈍い人間ですらかなりの衝撃を受けたのだから、これからボランティアに出かけようと思っている人、特に繊細でセンシティブな人は今一度よく考えてから行動に移した方がいいかもしれない。
どこぞのロックバンドのメンバーに関しては、被災していないにも拘らず今回の震災による心労でダウンしてしまった位なのだから。


自分は以前、住宅の撮影の仕事で名取を訪れた事がある。
そこは、どなたも一度は観たであろう、今回の地震で津波に襲われる模様がヘリコプターから中継されていた田園地帯である。

自分が仕事で訪れた当事、そこには見渡す限りの水田が広がり、所々に防風林が散見出来、古い小さな神社が味わい深い、のどかな田園地帯であった。
今から20年近く前の事だが、梅雨が明けたばかりの陽光が眩しく暑い日で、撮影に伺ったお宅のおばさんが異常に甘い手作りのコーヒー牛乳を出してくれたのを今でもよく覚えている。
野次馬と言われても仕方が無いが、自分の記憶に残っている平和でのどかな田園風景が津波でどう変わってしまったのかを、自分の目で確かめておきたかったのだ。

当時はまだ無かった仙台東部道路に入った途端、目に飛び込んできた光景に愕然とした。
そこには泥に覆われた茶色一色の荒野が広がり、自分の知っているのどかな田園地帯は跡形も無くなっていた。
所々に散乱した瓦礫や倒木、自動車がまだそのまま残されており、流されてきた家や漁船もあった。
報道で現地の様子を見て心の準備は出来ていたつもりだったが、現実にその光景を目の当たりにして、余りに重い現実に打ちのめされた。
撮影に伺ったお宅の詳しい場所は忘れてしまったが、そのご家族のご無事をただ祈るばかりだった。


そこから物資を必要としている避難場所を探して石巻へ向かった。
行く先々で目の当たりにする被害の大きさに気が遠くなり、遺体安置所の案内板などを見る度に気持ちが重くなったが、実際に被災地を訪れてみるとテレビや新聞、インターネットからの報道や情報では伝わってこない事も見えてきた。

それは被災の程度による温度差であり、同じ被災地であってもひとくくりでは捉えられないということだ。

名取を例にすると、仙台東部道路を境に東の海側は泥に覆われた見渡す限りの荒野、反対側の西側、津波に襲われていない地域では、ぱっと見た限りではあるが、住宅の屋根や外壁に若干の被害は見受けられるものの地震以前とそうは変わらないであろう風景が広がっている。
津波に襲われた場所から僅か3キロほど離れた国道沿いのファミレスや牛丼チェーンは普通に営業しており、家族連れなどが食事をしている。
そして、そのファミレスに近い文化会館では、被災者が避難生活を続けている。
津波の到達の有無によって明暗がくっきりと分かれているのだ。
しかし、それは遠方からやって来て、ろくに取材もしていない傍観者の視点でしかないのかもしれないが。


そんな中でも、途中立ち寄った松島の被害が少ないことに驚いた。
松島湾内の小島群が防波堤の役割をしたらしく、津波で流された建物は見受けられなかった。
とはいえ、やはり地震や津波の被害とは無縁ではなく、今でも多くの人が避難生活を余儀なくされているという。
津波によるものであろう、街では店舗のシャッターが折れ曲がっていたり、水に浸かって使い物にならなくなった家具などが歩道に積まれていて、営業している店は皆無で静かだった。

この日の松島の海は何事も無かったかのように、波も無く穏やかだった。
瑞巌寺はまだ拝観出来ず参道を歩くのみであったが、近々拝観を再開するようである。
松島が以前のように観光客で賑わうようになるのは、そう遠くないかもしれない。


最後に訪れた石巻ではまだライフラインが復旧していないようで、木曜の余震によるものだろうか、場所によっては信号が点いておらず、警察官が交通整理をしていた。
物資を届けた避難所となっていた小学校では自衛隊の給水車が水を配っており、若い奥さんたちが並んでいた。
仙台近辺ではファミレスやコンビニが営業していたが、石巻では停電しているせいか殆どの飲食店が店を閉めていた。
一見したとこり津波の被害が無いようにも見えたが、路地裏には水に浸かって使い物にならなくなったと思しき家財道具や畳が歩道の隅などに整然と並べられていた。
そして海に近いところへ移動すると、世界が一変した。
津波に直撃されたであろう、その一帯の惨状は凄まじく、戦慄した。



今回被災地を車で移動中、所々で「がんばろう東北」や「支援ありがとう」などと書かれた手書きの看板を見かけた。

中でも印象的だったのが、帰りに通った石巻バイパスの歩道の電柱に貼られていた、ただ「ありがとう」とだけ、お世辞にも上手いとはいえない、朱色の墨汁で書かれたと思しき厚紙だった。
何に対して「ありがとう」と言っているのか判らず、頭の隅に引っ掛かっていたのだ。

翌日インターネットのニュースで、その「ありがとう」と書かれた厚紙の写真が紹介されている記事を見つけた。
どうやら、そこは自衛隊の給水車が水を配る場所らしく、「ありがとう」が貼られた電柱の脇には自衛隊の給水車が停められ、二組の母子がにこやかに笑っている。

東北の人達は、この様な過酷な状況下でも笑顔と「ありがとう」という感謝の言葉を忘れていない。



被災していない自分達が、暗く思い沈んだり被災地に変に気を遣った自粛などしている場合ではないと、パソコンに映し出される高円寺の喧騒に若干の違和感を感じつつ、宮城の酒を飲みながら改めて思った。







4月のライブ予定

2011年04月08日 09時52分36秒 | ライブ予定


ようやく春めいた日が多くなってきた。

今月は諸事情により長野遠征が延期となったためライブは地元での一本のみであるが、ライブが出来るという環境を享受している事に感謝すべきであろう。


4月16日(土)
前橋coolfool
20:00~
400円+オーダー
出演
rusty notes
十六夜
galuda
アンダーソン


以上ですので、宜しくどうぞ。

通常営業虫の音ライブ

2011年04月04日 08時50分27秒 | Weblog


くどいようだが新年度が始まった。
まだ朝晩は冷え込むものの(昼間も寒いが)、春なのである。

春には様々な出会い、そして別れが付き物である。
そこはかとなく漂う花の香に胸を躍らせ、そして散りゆく桜の花びらに無常を感じるのだ。
少々おセンチ(死語)な枕であるが、特に意味は無く下記文脈とも何ら関係は無い。
ただ書いてみたかっただけである。


さて、日曜は今年度最初の虫の音ライブを開催した。
冬季休業(週末は営業していたが)を終え、心機一転通常営業に戻っての初開催ライブ、お客さんも集まり上々のスタートが切れた。


トップは地元のGirls%(えりつぃん)。

何があったのかは知らないが、何時に無く伸び伸びと歌っているように感じた。
ギターもいつものオベーションから持ち替えた事により音抜けが善くなった。
以前のギターと比べると大分グレードは落ちるだろうが、シンガーにとってギターは値段ではく相性が重要なのだ。


2番手は久々登場、長野の成川修。

流石はサイクルカフェのオーナーだけあり、前日に松本から10時間かけて自転車でやって来た(余りの強風の為、近所のコンビにまで迎えに行ったが)。
そのため、私アンダーソンのギターを貸与してのライブとなった。
格安で手に入れたFGのハカランダ、鳴りは抜群だが、本人が言っていたように成さんのダークな歌には少々明るい音色だった気がする。
しばらくライブを休んでいたようだが、その独特の世界は健在だった。


3番手はお馴染み居候、福井の河井良信。

先々週、アポ無しツアー(?)で群馬に来たばかりだが、今回はレコ発ツアーとの事である。
新作中の曲中心の構成ではあったものの、虫の音をはじめ頻繁に群馬に来ているため皆聞き覚えの有るお馴染みの曲であった。
そのせいか、ライブ中曲を口ずさんでいるお客さんもいた。


終演後、お客で来たツヨポンや片山翔も混ざっての打ち上げ・宴は異常な盛り上がりであり、エンドレスの様相を呈していたので途中で離脱して寝た。


行過ぎた自粛ムードが蔓延する中、大いに結構な話ではある(売り上げも上がるしね)。


4月馬鹿。イヤ~ン、バカ~ン

2011年04月01日 08時36分10秒 | Weblog



今日から新年度が始まった。

4月とはいえまだ随分と肌寒いが、新しい生活、そして希望に胸を躍らせる人もいるだろう。
その一方、暗い現実が待ち構えていることも考えないわけにはいかない。


先月半ばからの三週間は、嵐のような怒涛の三週間だった。

我々がこの三週間で観、聞き、体験した事はあまりに大きく、そして深く脳裏に刻まれ、そして多くの事を考えた。
被災の有無に関わらず、精神面においては地震以前の状態に戻ることは出来ないだろう。
散る桜が元の枝に戻ることは無いのと同じである。


関東以東では直接的な地震の被害は無くとも、物流の滞りによる食品やガソリンなどの生活に必要な物資の不足を体験した。

我が家では幸運にも、地震前に済ませてておいた食品の買い置きがいくらかあり、また地震前々日に車の給油を済ませていたためこれらのパニックとも云える状況に巻き込まれずに済み、何とかやり過ごせた。
懐中電灯やラジオも普段から使っていたため、電池の予備もあった。
灯油の買い置きも有り、無計画停電になっても暖が取れた。

遠く離れた土地での自然災害が、我々の暮らしにも多大な影響を及ぼすことを思い知った。

今回の震災で、良くも悪くも日本人は様々なことを学んだと思いたいが、喉元過ぎれば何とやらで、すぐに忘れてしまってこの貴重な経験が何ら活かされないような気がしてならない。

さて、大地震の発生から三週間が過ぎ、ここ群馬をはじめ、関東では茨城や一部の被災地を除けば物流の滞りも大分解消されてきているが、放射能の脅威に神経を尖らせながらの生活は今も続いており、嫌な緊張感のある生活を強いられている。

それだけではない。
「三年殺し」の様にじわじわと、直接目には見えない所で我々の生活に様々な影響が出始めている。

放射能汚染で苦しんでいる農家は勿論の事だが、行過ぎたイベント等の自粛も由々しき問題だ。
イベントが中止される事により、それに関わる業者の打撃は大きい。

この時期各地で行われる、桜まつりを例にして考えてみよう。

自粛によって日本全国至る所で桜まつりが中止に追い込まれていると思われるが、そうなるとこれを当て込んでいた的屋が大打撃だろう。
これからは桜祭だけではなく、いろいろな祭りが中止になることも考えられる。
祭りやイベントが無ければ屋台は出せない。
たとえ祭でなくとも、自粛ムードも右にならえの自治体がこの時期的屋に出店許可を出すとは考えにくい。
的屋にとっては死活問題だろう。

早くも中止が続々と決定している花火大会も深刻だ。

多くの花火大会は企業などの協賛で成り立っており、この広告を自粛する流れの中においては、開催されたとしても花火の提供をする企業は激減するだろう。
つまり、主催者側が中止するまでも無く、花火大会そのものが成立しなくなるのだ。
花火大会が無くなれば、この時期の注文に依存している花火製造業者が干上がるのは火を見るより明らかだ。

どこかの都知事が「一杯やって歓談する状況ではない」と言っていたが、見当違いも甚だしい。


そういう自分にとっても他人事ではなく、津波のように震災の影響が迫っている。

自分の所属する弱小出版社は収益の殆どが広告収入でまかなわれており、広告自粛の動きは痛い。
それに追い討ちをかけているのが、印刷業界の紙不足およびインク不足だ。
インク不足に関しては、先日インク業界から「非常事態宣言」が出ているほど深刻な状況である。
廃業に追い込まれる業者が出てもおかしくない、極めて深刻な事態になりかねないのだ。

「発行したくても広告が集まらない」、「広告が集まっても発行できない」、「発行できないから広告代をもらえない」という、負のスパイラルに陥りかねないのだ。

ならば、この状況が落ち着くまで発行物を休止或いは休刊にすればいいだろうと言う方も居られると思うが、うちの様な零細出版社には発行を再開するまでの間をしのぐだけの体力は無い。
定期刊行物は一度でも発行が滞るとスポンサーからの信頼を失うことにもなり、余程のメジャーな出版物でもない限り、再び発行に漕ぎ着けるのは難しいという現実がある。
津波が去った後にはぺんぺん草も生えないのだ。


新年度が始まったとはいえ、目の前には以前とは比べ物にならない荒波が待ち構えている。
ただでさえ景気の悪いところに加えてこの有様だ。
泣き面に蜂である。



今日はエイプリルフール、ここ三週間の出来事が全て嘘だったと思いたが、現実は厳しい。

ここで記したことが杞憂で終わってもらいたいと、ただただ願うばかりである。