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白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々

2006年04月26日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
「白バラの祈り」を観て来ました。
わての書き込みはトラックバック先での表示を念頭に置いて、上記2行に続いてキャッチコピーのような1センテンスでまとめてから本題に入る、というパターンを作ろうとしているのですが、この作品だけは1センテンスでまとめらんね。

いくつかの視点がありますが、まずはドイツ映画として。
日本もドイツも同じ敗戦国ですが、作られる戦争映画には決定的な違いがあります。それはゾフィーの同囚だったおばさんの言う「ゲスな臆病者」が日本の戦争映画には存在しないことです。
第2次世界大戦の意義についてはここでは言及しません。正当性と正当性がぶつかるのが戦争なのですから、その正当性について論じても意味が薄いと思います。
ただ、その戦争を後押しした大衆はどうでしょうか?戦争の正当性や戦争行為の功罪についてどれだけの考えがあったのでしょうか?なにか考えたとしても戦争を行なう共同体の一員としての利害が優先されてはいなかったでしょうか?
故郷の善良な普通の村人たちがナチスを熱心に後押ししていた、そんな隠蔽された過去を明るみにしようとした学者が陰湿な妨害にあいながらも真実を暴き、その功績を賞賛する人たちにも共通性を見出し罵倒した「ナスティ・ガール」が公開されたのが1990年。
残念ながら日本はそのあたりにまでも達していないようですし、その気配もありません。悪い指導者、やむをえなかった指導者、悪い兵隊、一生懸命な兵隊、かわいそうな国民、清い日本人。なにか欠けてる、直視していないものがドイツの戦争映画には描かれています。

次に戦争映画として。
「ナチスは私たちを恐れている」全てはこのセリフに凝縮されています。
ゾフィーは初め、取り調べ官の前で声を震わせますが、自らの確信を深めるにつれ堂々と、逆に取り調べ官のモーアの声が震えてきます。法廷でも開廷時に揃っていた「ハイル、ヒトラー!」が閉廷時には微妙にバラバラ。良心がとがめないのは浮世ばなれした裁判官のみ。
「ヒトラー/最期の十二日間」ではこの浮世離れした人物だけが描かれていて、対照的です。(ゾフィー役の人もモーア役の人もともに出演してたりしますが)

そして青春映画として。
はっきり言ってショル兄妹は調子に乗ったクソガキです。安っぽい正義感に燃え、リスクも考えずに突っ走り、証拠は残しまくり、早く逃げなければならないのにビラがもったいないからとビラ撒き続行、最後はカッコいいからって3階から撒き散らす。
バカそのものです。
まして白バラって自己陶酔も甚だしすぎ。今の日本でいうゴスロリのセンスですな。


最後に宗教映画として。
ただの甘ったれたクソガキのおイタ。
冒頭で取調官のモーアも、そしてゾフィー自身もそれでおさめようとします。
ゾフィーは最初から後年全ドイツの尊敬を集める存在だったわけではありません。ちょっとインテリで小ざかしい知恵の回る女子大生に過ぎません。自分のしでかしたコトの大きさに気付いてもいませんでした。
しかしコトは露見、オオゴトに。
ここからの腹の括りかたがハンパじゃありません。座った目つきというか、抱かれたいというか。
腹を括れた理由はまず第一に自らの正当性を確信出来たことにあります。ユダヤ人が連れ去られ、精神障害児がガス室に送られる様を実際に見て、東部戦線の悲惨さを聞き、その過ちをもたらした組織や立場と接したナマの実感にあります。
第二に両親からの正当性の信頼。
そしてなによりもプロテスタントとして信ずる神の導きを実感できたこと。ドイツの民衆が立ち上がるため神に選ばれたという感覚は確実にあったはずです。
神が見ていてくださる、再三描かれる空を見上げる描写は決して太陽や外界を描いたものではなく、この前提をもとにしているのではないでしょうか。

光は神、神が見ていてくださる、必ず助けてくださる、99日間の執行猶予がある、だから米英軍の空襲をあたかも花火大会のように眺めていたのでしょう。
しかし、公判、死刑判決、即日執行。まさに神からの裏切りそのものです。知らされた部屋での嗚咽。
聖書によれば十字架に磔になったイエスは叫びました。「神は我を見捨て給うか!」
イエスのようにゾフィーも永遠の命を得ます。その源は両親との面会であり、兄、同士との抱擁。なぜなら彼らこそ人というものに永遠の命を与える神そのものなのですから。

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