SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

現代アートとポストモダン 序章

2007年03月26日 | Weblog
 もともと東氏は『動物化するポストモダン』で、アニメやゲームだけでなく現代アートの作品も分析しようとしていたのである。だが浅田彰氏からの脅迫を受けたことですっかり恐縮してしまい、その意欲を完全に失ってしまったのだった。この「二重基準」の浅田氏による「二層構造」の東氏への批判は、しかし今思えば浅田氏のルサンチマンに満ちており、そこで批判的に達成されたものは何もない。にもかかわらず、東氏はその要するに「オタクの君にアートが分かるの?」という脅迫に屈して『動物化するポストモダン』から現代アートに関するテーマをすべて消してしまうのである。東氏の「二層構造論」のもつポテンシャルから考えれば、この断念は、日本のアート界にとって大きな損失だった。しかるに、私はこれから東氏の「二層構造論」を用いて、90年代以降のアート、すなわち全体理論亡き後の表現実践について、脱構築不可能なレベルでの解読を試みる。私には失うものも、恐れるものもない。本論「現代アートとポストモダン」は、いわゆる「村上隆以後」の表現と、そして「椹木野衣以後」の批評について、その実践の可能性を同時に探る試みとなるだろう。ご期待ください。

東京から考える1

2007年03月21日 | Weblog
 もし東浩紀氏の著作を読んでいなければ、私がカリン・ハンセンの作品に興味を持つことはなかっただろう。デリダ試論に記されていた「手紙を送付することは記憶することに理論的に等しい」という言葉をもし憶えていなければ、そこにコラボレートされた照屋勇賢氏の招待状に関心を持つこともなかったのである。私はカリン・ハンセンの絵に漂う、そのどこか郵便的でデータベース的で、そして郊外的な離散の感触(THE THRILL OF IT ALL)に惹かれていた。私の考えでは、あの白い大きな壁のインスタレーション(ホワイト・ウォール)は、二重の構造になっていた。それはモダン・リビングなギャラリー空間の壁(意識のホワイト・キューブ)を表していると同時に、マジック・メモ的な記憶の面(無意識のホワイト・ボード)をも重ねて表していたのである。その二重の構造を見逃した永瀬恭一氏が、今度は東氏の新著『東京から考える』についても同様の無理解とルサンチマンを暴発させている。永瀬氏は東氏のポストモダン理論について、「とてもアクチュアルであるかのような感覚に陥るのだが、もちろんこの感覚はほとんど信用できない」と頑なにその理解を拒絶している。だが東氏の「二層構造論」は、徹底的に理論的なものであるがゆえの世界性を獲得しており、その応用領域はかなり広い。(続く)

日展、動く。

2007年03月16日 | Weblog
>この「動く」という文字は単に上野から六本木へという地理的な移動に止(とど)まらず、歴史と伝統にのみ負(おんぶ)された日展を脱し、常にこれらに裏打ちされながら時代と共に呼吸し続ける日展の姿勢をシンボリックに表した「動く」であると考えます。(日展理事長のご挨拶より抜粋)

 だが良いほうへ「動く」とは限らないのである。本展覧会場の上野から六本木への移動に伴ない、これからの日展はおそらく本格的にヤンキー化する。時代と共に呼吸するその空気が「郊外」から寒く吹いてきている以上、国立新美術館は早晩ジャスコ化するのだ。そもそも国立新美術館は、公募展の出展者数が殖(ふ)えすぎて東京都美術館だけでは捌ききれなくなったため新設されたのである。ジョージ・A・ロメロの映画『ゾンビ』では、満員の天国から溢れ出た大量の死者達が、郊外のショッピング・センターのドアをガンガンと叩いていた。同様に「上野の杜」は、殖えるだけ殖えた公募展の美術家達でもう満杯なのだ。「歴史と伝統」から溢れ出てヤンキー化した美術家達が六本木という「都心内郊外」へと流れ、国立新美術館の傘立てをガンガンと蹴っている様子が目に浮かぶ。芸術精神はすでに死んでいるが、中央画壇への欲望の記憶だけが微かに残っているのだ。日展(とりわけ洋画部門)の芸術がいまより悪くなるとは考えにくいが、もし「動く」とすれば、そんなふうに時代と共に「郊外化」することになるだろう。なんのこっちゃ。

ジャン・ラニョッティ

2007年03月14日 | Weblog
 WRCグループAカーによる競技が本格的に始まった90年代初頭に、仏ルノー社がワークスドライバーであるジャン・ラニョッティにドライブを依頼した車はルノー・クリオ。普通の人が普通に乗っているのと同じFF(前輪駆動・前輪操舵)のコンパクト・カーである。FF車は、普通に乗っている限り走行安定性は高い。だが前輪だけで走っているがゆえ、限界を超えたスポーツ走行をさせようとすると、かなり普通ではない走り方となる。このコーナーへと吹っ飛んでいくラニョッティの爆笑ドリフな走りを見ていると、「FF車でスポーツ走行なんてできるか!」と普通に思っていた自分が情けない。FFもFRも4WDも関係ない。アンダーステアもオーバーステアもない。どんな条件でもやる気と根性とテクニックさえあれば不可能はないのである。いい勉強させてもらいました。

THE NATIONAL ART CENTER 2

2007年03月12日 | Weblog
 ウィキペディアの「国立新美術館」の項目には、いろいろと面白いことが書かれている。まず驚くべきことにこの美術館はその構想の当初、なんとコレクションのみならず学芸員さえ置かない方針だったという(!)。さらには「ナショナル・ギャラリー」という仮称がそのまま正式名称となった場合、国外から来る観光客がワシントンD.C.やロンドンのナショナルギャラリーと同様の施設と「勘違いして来館する恐れ」があったため、その名称は回避されたという(!!)。なるほど、確かに欧米の美術ファンに「公募展のアレ」をいきなり開陳してしまうのは、人事とは言え同じ日本人としてかなり恥ずかしいものがある。いくら「開かれた施設」が必要とはいえ、あんなものを世界に開いてしまったらもう取り返しがつかないだろう。もう二度と世界が日本の「ナショナル」に目を向けることなどなくなる。お終いだ。

The National Art Center

2007年03月05日 | Weblog
 あの永瀬恭一氏が国立新美術館を批判している(もうリンクする必要もあるまい)。いわくこの「建物も中身もハリボテ」な美術館が、「国立」の「新」世紀の「美術館」の状況なのかと思うと「悲しい貧乏くささ」を感じるという。しかしどうやら永瀬氏には「アート・センター」と「アート・ミュージアム」との違いが解ってないらしい。国立新美術館の何が「新」なのかといえば、それはもはや実質的に――ということは近代的な意味での――「美術館ではない」ということに尽きる。あくまでもそれは「The National Art Center」なのであって「The National Art Museums」ではないのだ。国立のカルチャーセンターのやることに文句をつけても仕方あるまい。そんな所に行くのは「高校のとき美術部だった人間」だけだ。