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雑感や書評など

李相日「69 sixty nine」

2005-03-18 18:38:17 | 映画評
セピア調の過去は、細部があやしい


言わずもがなですが、原作を損なわない形で他のメディアに移植するのは、なかなか難しいものです。
特に小説という受け手の想像力による補完で成り立つものならば、なおさらです。

なんとなく頭に思い描いていた登場人物たちが、現実の人間としてあらわれた際にひどい幻滅を味わった、なんて経験は誰でもしたことがあると思います。
さらにヒロインなんかは、無駄に際限のなく美人に想定しいるとこはないでしょうか?


映画の「69 sixty nine」を見ました。

原作である村上龍の「69」は既読なので、どうしても比較してしまいます。

う~む。
原作のテイストを損なってはいないのですが、何かが物足りないような?
おおよその展開を知っているから、飽きちゃったのでしょうか?


あかるすぎるのかな?

原作もコメディ色が強くて、別に悲劇ではないんですがね。
でも、映画の方は、全くないとは言いませんが、せいぜい教師と生徒の対立がシリアスになる程度。
1969年なんて時代を、今の若者に理解させようなんて無理だから、映画としては尾崎豊的は反抗心をメインに据えざる得なかったのでしょうね。

まぁ仕方ないことだけど。


小説の「スタンド・バイ・ミー」では「過去」だけではなく、「現在」のことについても、けっこう書かれているんですけどね。あの四人組の以後についても言及されているけど、映画版では、その点はすっぽり抜け落ちていますね。

90分の映画に統一性を持たせる必要性もあるのでしょう。
「過去」は美しく、「現在」は厳しく。
「現在」を入れてしまうと、作品がぼやけちゃうと製作者は判断したのかなぁ。

あの愛くるしかった「過去」の子役が成長して、「現在」の犯罪者としてテレビに映し出されると、なんとなく自分の思い出まで汚されたような気になってしまうもんなぁ……。


「69」の原作でも、登場人物たちの「現在」が書かれているけど、映画では架空の「未来」が冗談として語られるだけで(それどころか、物語全体をも架空の「未来」にしてしまっているけど)、まったく臭わせることもなく終わっております。

そうだよね。
楽しい時間は、楽しい時間で。楽しい物語は、楽しい物語で。楽しい映画は、楽しい映画で。
原作を読んでない方が、気楽に楽しめるのでは?


69(シクスティナイン)

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