私に山のいろはを教えてくれた方が、山で亡くなって一年が経とうとしている。
三年前、クライミングジムで知り合い、アルパインは分からないけど、興味を持っていた私に、声をかけてくれた。一から丁寧に教えてもらい、岩、沢、山、色々なところに連れていってくれた。それまで、ハイキングしかしたことのない私にとって、行く場所、やること、全てが新鮮だった。沢山の仲間と出会う機会も作ってくれた。
明るくて面白くて、いつも人を笑わせてばかりの人だった。
でも、ひとたび山に入れば、とても慎重で、安全管理には厳しく、私が危険なことをしていたら、冷静に理由をつけて怒ってくれた。
本当によくかわいがってもらったし
「この人についていけば大丈夫。」
深く信頼していた。
でも、
どんなに強い人でも、人は、自然にかつことはできない。
私たちは、山の中で、観たい景色があるから、やってみたいことがあるから、ただ、勝手に遊ばせてもらっているだけだ。
あの日の突然の訃報。頭の中で大きな鐘がなったかのような衝撃…
意味が分からない。悪い夢だと思った。
見ていないし、状況も分からないから信じられない。信じたくない。
でも夢ではなく、事実だった・・・。
何日経っても、夢だと信じたかったけど、違った。
悲しいという談じゃない。
別れもお礼も言っていないのに、、
もう会えない?一緒に山に行けない?
そんなのないよ。
前が見えなくなった。
人の命って、儚すぎる・・・。
つい、2、3日前まで一緒に登っていたのに。
山って怖い・・・・。
好きだけど、、、
怖すぎる。。
彼が亡くなってしばらくは、山仲間の人達と飲んでばかりだった。お酒飲んで、彼の話をして、笑って、その時間だけは、気がまぎれていた。多分みんなそうだったからよく集まっていたんだと思う。それ以外は何もする気がなかった。あの時、沢山の仲間がいることに本当に感謝した。
飲んでばかりの時期もあったけど、次第に、周囲の人も自分もまた、元の生活に戻っていった。
クライミングジムに行き、山に行き、トレーニングに励み・・・
お酒は一滴も飲まず、山が大好きだった彼は、みんなに、そんなに飲んだっくれないで山に行って欲しいと願っていたんじゃないかな
彼が亡くなった後に、新たな仲間とも出会った。
新しい枠で山にも行くようになったし、ついて行くばかりの山から、自分でできることを考えて実行していけるようになってきた。平日のクライミングジムだって、賑やかになった。
彼に連れて行ってもらっていたあの頃も楽しかったけど、、
沢山のいい仲間がいて、やりたいことがあって、やりたいことができる今、
今は今で楽しい。
一年前のあの訃報を耳にした時は、とてもじゃないけど、またこんなに笑って登ったり、山行ったりできるなんて思っていなかった。
時間は流れている。
どんなことがあっても、前に進んでいる。
後ろを向かず、前を見て、進むこと。
今、天国の彼は、それぞれ軌道にのってきた私達をみて、笑顔でみていてくれているだろうか。
今日は、彼の家族によって、一周忌の会が催され、いつもの仲間や彼の家族と勺を交わしながら、彼と過ごしたの頃の会話に弾んだ。
これからも、私たちの心の中に生き続けている。