動物園で出会った子どもたち。彼女たちは、親がいて、学校に通えて、休日はこうして、友達同士で遊びに来て・・・
そういうのが普通の子たちもいれば、
街を歩いていると、5歳くらいの裸足の女の子が手を差し出してお金をくれ、とせがんできたり、10歳くらいの男の子が泣き真似をしてまで、買ってくれ、と物を売ってきたり・・・
どうして、この国はこうも生活が違うのだろうと心が痛くなります。
市内には、孤児院が男女別に数箇所あり、両親に放置された子、虐待を受け保護された子、問題を起こした子、様々なトラブルを抱えてた子が政府の支援のもと、保護、養育しています。
施設に入れれば、まだいいのですが、入れない境遇の子は、一生をどうやって生きていくのか・・
教育を受けなければ、まともな仕事にも就けられないし・・・
誰でも平等に教育を受けられるようにならないものかと。。
特にフィリピンは、ビサヤ語、タガログ語など、地域によって言葉が異なるため、共通語である英語を学校で教わらないと、仕事をするには、難しいようです。
ドミトリーの友人が、裸足でバスケットをして遊んでいる子どもたちを見て、靴を履かせてあげたいと、友人らで日本で古靴を集めて、2箇所の施設で子どもたちに100足以上の靴を渡してきたと聞きました。その友人らはまだ20歳代。その行動力には本当に感心です。 施設で暮らす両親がいない子どもたちは、政府や個人等、沢山の支援を受けて、トレーニングをし、仕事に就けるようになるようです。
友人らは、この物資の支援を続けたいと言っていました。ただ、靴を集めるのは知人に呼びかけ、着払いで送ってもらい、数がまとまったら、飛行機でセブまで飛んできて・・・費用がかなりかかったらしく、続けるためには、もっといい方法を考えなくてはと言っていました。
そこに一緒に付き添った学校のフィリピン人の先生は、「私は子どもが嫌いだったけど、あの施設の子たちは本当に可愛かった。みんながハグをしてきて、名前を聞いてきて、ありがとうと言ってきて、元気をもらった。また行きたいのよ」
みたいなことを言っていました。
彼らが支援を続けたいと言い、先生が元気をもらったという子どもたち。そこは一体どんなところだろうと気になって、アポイントをとって友人らと行ってきました。
施設を案内をしてくれたのは、21歳で13年施設で過ごすチームリーダーの子でした。
「僕たちはown storyがあって、みんなそれぞれ境遇が違う。毎朝、掃除のあとは、リーダーがグループの子どもたち全員に体調のことや、昨日あったことなど聞いている。平日は学校に行って、ここでは、寝食をともにしている。年長の人が小さい子とパートナーを組み、料理の仕方や掃除、洗濯、生活面をみている。土日は、ボランティアで算数の先生が来たり、英語の先生が来てくれるから、宿題など教えてもらっている。they need love.」
と言っていました。
小学校から大学までは政府が支援しており、皆、そこから学校に通っているようです。ご飯もしっかり食べて、学習もでき、子どもたちは皆安定しているようでした。日本の「YOTUKAIDOU」というところも支援していたようで、建物に名前が記してありました。
私たちは、パンとジュース、折り紙の差し入れを持っていきました。
皆喜んでくれて、日本語で、「ありがとう」と言ってくれました。
彼らは、ピアノやギター楽器で歌を聴かせてくれたり、小さい子は、ハグをしてきてたり、本とにみんな可愛かったです。
リーダーの子が言っていたthey need love.という言葉が印象的で、物資の支援も必要なのでしょうが、両親が傍にいない彼らにloveは必要不可欠。こうやって、訪問して、それを続けられれば、loveを共有できる気がします。
彼らが、本当に喜んでくれ、帰り際には「また来てね!ありがとう!!!」とハグしてきて、凄く嬉しかったし、単純に本当にまた行きたいと思いました。
私はセブを今週に経つのでもう行けませんが、まだ残る友人らは、来月また訪問したいと言っていました。
元気と勇気をもらいました。
彼らが、将来、仕事をして、食べ物に困ることなく、安定した生活を送れることを心から願います。また道端で生活する子たちが一刻も早く保護され、教育を受けられる仕組みができることを願います。