鳥飼玖美子著「危うし!小学校英語」
中央教育審議会の提言により、2010年前後には、小学校5・6年で週一回英語の授業が始まろうとしている・・でも、まだ完全に決定した訳ではない・・。
<今年が、とことん議論する最後のチャンス>だからこそ
小学校英語教育導入を手放しで喜ぶ前に、よく考え声をあげてほしいと、同時通訳として本物の英語を知る著者が、
<なぜ多くの専門家や有識者が「小学校英語」を反対しているか>を、分りやすく説明している本です。
■「早ければ早いほど」幻想を打ち砕く!として、
<「言語を身につけるのは『十歳』まで、その後では遅すぎる」という臨界説は、何の根拠もない、しかし、それを、多くの親が信じ込まされていることをいいことに>小学校英語が必修化されようとしている・・ ・英語は
<「臨界説」で脅かされて小学校でやらなくても、中学からきちんと学ぶことによって高度な英語力を身に付けるみちはいくらでもある>と。
では何故、小学校英語必修化への波が止まらないか?
■「親の過剰な期待」が英語必修化への道を開いた
<「英会話コンプレックス」と「早くやれば、ペラペラになるという幻想」に裏打ちされた「親の過剰な期待」と「英語が使える人材」を採用したいという「実業界の思惑」が一致して「世論」を形成し、それが大きな原動力となって、文科省や中教審、あるいは政治家と巻き込んだ動きとなった。その結果が「小学校英語」必修化なのです。>と、背景を詳しく。
しかし、総合学習枠の試験的英語教育の段階で、小学生にして既に30%が英語嫌いという報告もあるというのに・・。
さらに英語必修化に伴う教える側・・教師に言及し、
■誰が英語を教えるのか
<必修化したところで、英語を教える先生はいるの?頼みのALT(外国人講師)も全国二万三千校にたったの百二十一人。とはいえ、業者に「丸投げ」するには、あまりにもリスクが高く・・>
小学校英語が実施された場合、教えるのは担任の先生。だが小学校教員で、中学校の英語の免許をもつ教員は、4%に過ぎない・・・、
浮かび上がる<小学校教育のプロでも、英語の専門家ではない実態>現場の約54%が反対・・。
現場の先生の多くが負担に感じているというアンケートも紹介しながら、そのための現場を補助するALT(外国語指導補助)の質的な問題点を指摘し、とりあえずやってみて失敗では、済まされない教育だからこそ、
<全国二万三千の公立学校で英語が必修化された場合、誰が何をどのように教えるのか、議論を十二分に尽くすべき>
今回の必修化への波は、あまりに準備不足だと指摘。
■「日本の英語教育はどうあるべきか」について、
昨今よく耳にする
「文法なんかいらないもっと英会話を・・」云々には、「文法の重要性」を改めて強調、「文法訳読重視」「コミュニケーション能力重視」は、それぞれ社会の要請から生まれた外国語教育方法であって、<コミュニケーションだから文法や読解がいらないという対立関係ではない>と・・・。
さらに言えば、マスコミさえ、日本の英語教育が10年以上前に「聞く」「話す」にシフトしている現状を見落とし、英語教育が「読む」「書く」に偏っており、
「TOEFLで、日本は北朝鮮などと並んでアジアの最下位集団に・・」と憂いてみせても、そのTOEFLで何よりふるわないのは、「読解力」の点数であることには、触れない認識不足を嘆く・・。
そして、これからの英語教育は、グローバルネットワーク社会を視野にいれ、
<異なった文化や価値観に柔軟に対応する力を培い、ことばへの感性をはぐくむようにありたい>としながら、小学校から大学までの具体的英語改革勉強法(小学校英語の議論に隠れて、置き去りの形の中学英語を3時間から6時間にせよ・・云々は、3時間という現状に改めてビックリ)を提言
<小学校から「使える英語」までの道筋は、一直線につながるとは限らす、一見、関係がないような体験を経て、熟成しながらゆっくり進んでいく・・>
■昨年、「英語多読100万語」に挑戦しようとして・・
始める前から・・アキラメたスナ♪です。
エラソウなことは、言えませんが
小学校以下のお子様を持つ方は、
小学校英語導入反対派の鳥飼先生の緊急メッセージ・・
今からでも遅くはないです、一読をおススメします。
追記:小学校英語に関連し、世界一小さい新聞で
英語の「百ます計算方式」での授業を紹介し、
「これで良いのか?」と心配されてます・・
参考までに映像は・・これ・・・う~~ん
中央教育審議会の提言により、2010年前後には、小学校5・6年で週一回英語の授業が始まろうとしている・・でも、まだ完全に決定した訳ではない・・。
<今年が、とことん議論する最後のチャンス>だからこそ
小学校英語教育導入を手放しで喜ぶ前に、よく考え声をあげてほしいと、同時通訳として本物の英語を知る著者が、
<なぜ多くの専門家や有識者が「小学校英語」を反対しているか>を、分りやすく説明している本です。
■「早ければ早いほど」幻想を打ち砕く!として、
<「言語を身につけるのは『十歳』まで、その後では遅すぎる」という臨界説は、何の根拠もない、しかし、それを、多くの親が信じ込まされていることをいいことに>小学校英語が必修化されようとしている・・ ・英語は
<「臨界説」で脅かされて小学校でやらなくても、中学からきちんと学ぶことによって高度な英語力を身に付けるみちはいくらでもある>と。
では何故、小学校英語必修化への波が止まらないか?
■「親の過剰な期待」が英語必修化への道を開いた
<「英会話コンプレックス」と「早くやれば、ペラペラになるという幻想」に裏打ちされた「親の過剰な期待」と「英語が使える人材」を採用したいという「実業界の思惑」が一致して「世論」を形成し、それが大きな原動力となって、文科省や中教審、あるいは政治家と巻き込んだ動きとなった。その結果が「小学校英語」必修化なのです。>と、背景を詳しく。
しかし、総合学習枠の試験的英語教育の段階で、小学生にして既に30%が英語嫌いという報告もあるというのに・・。
さらに英語必修化に伴う教える側・・教師に言及し、
■誰が英語を教えるのか
<必修化したところで、英語を教える先生はいるの?頼みのALT(外国人講師)も全国二万三千校にたったの百二十一人。とはいえ、業者に「丸投げ」するには、あまりにもリスクが高く・・>
小学校英語が実施された場合、教えるのは担任の先生。だが小学校教員で、中学校の英語の免許をもつ教員は、4%に過ぎない・・・、
浮かび上がる<小学校教育のプロでも、英語の専門家ではない実態>現場の約54%が反対・・。
現場の先生の多くが負担に感じているというアンケートも紹介しながら、そのための現場を補助するALT(外国語指導補助)の質的な問題点を指摘し、とりあえずやってみて失敗では、済まされない教育だからこそ、
<全国二万三千の公立学校で英語が必修化された場合、誰が何をどのように教えるのか、議論を十二分に尽くすべき>
今回の必修化への波は、あまりに準備不足だと指摘。
■「日本の英語教育はどうあるべきか」について、
昨今よく耳にする
「文法なんかいらないもっと英会話を・・」云々には、「文法の重要性」を改めて強調、「文法訳読重視」「コミュニケーション能力重視」は、それぞれ社会の要請から生まれた外国語教育方法であって、<コミュニケーションだから文法や読解がいらないという対立関係ではない>と・・・。
さらに言えば、マスコミさえ、日本の英語教育が10年以上前に「聞く」「話す」にシフトしている現状を見落とし、英語教育が「読む」「書く」に偏っており、
「TOEFLで、日本は北朝鮮などと並んでアジアの最下位集団に・・」と憂いてみせても、そのTOEFLで何よりふるわないのは、「読解力」の点数であることには、触れない認識不足を嘆く・・。
そして、これからの英語教育は、グローバルネットワーク社会を視野にいれ、
<異なった文化や価値観に柔軟に対応する力を培い、ことばへの感性をはぐくむようにありたい>としながら、小学校から大学までの具体的英語改革勉強法(小学校英語の議論に隠れて、置き去りの形の中学英語を3時間から6時間にせよ・・云々は、3時間という現状に改めてビックリ)を提言
<小学校から「使える英語」までの道筋は、一直線につながるとは限らす、一見、関係がないような体験を経て、熟成しながらゆっくり進んでいく・・>
■昨年、「英語多読100万語」に挑戦しようとして・・
始める前から・・アキラメたスナ♪です。
エラソウなことは、言えませんが
小学校以下のお子様を持つ方は、
小学校英語導入反対派の鳥飼先生の緊急メッセージ・・
今からでも遅くはないです、一読をおススメします。
追記:小学校英語に関連し、世界一小さい新聞で
英語の「百ます計算方式」での授業を紹介し、
「これで良いのか?」と心配されてます・・
参考までに映像は・・これ・・・う~~ん
私も立派な(?)反対派のひとりであります
日本語が乱れている昨今、小学校での英語の必修化など最優先課題なんだろうか、と常々疑問に思います。
誰が教えるのか、と言う疑問も素人にでも湧いてくる疑問です。
在米という立場に基づく見地から少々述べさせていただきますと、
英語を習う年齢は早ければ早いほどよい、と言うには確かに異論はありますが、それは遅くてもよい、ということではないと思うのです。早いか遅いかどちらがいいかと言えば早い方がベター、と言わざるを得ないでしょう。
ただ問題はその方法と、やはり英語を取得する年齢を無視することはできません。
英語圏の子供が英語を話せるのは、小さい頃から英語の勉強をしたからではありません。生活する環境が英語だからです。
テレビを見ても英語、スーパーに買い物に行っても英語で話し話しかけられ、友達と遊ぶ時も英語を話す。英語を聞いて英語を話し、英語で考える。私たち日本人が自然に日本語を身に着けてきた過程と同じです。
いくら早い時期に英語をネイティブとしない人から教わっても、正しい言語能力が身につくとは考えにくいものです。特に英語に自信がない、英語を教えることが負担だと感じる教師から教えられた子供は最悪の場合、今後の人生においての英語を勉強したい、と言うモチベーションまで初期のうちから打ち砕かれる恐れさえあります。
実際問題、親がどちらかが英語を母国語とし、もう一方が日本語を母国語としている子供の場合、よほど慎重に言語教育をしないとどちらの言語能力にも劣った子供に育つ可能性があると言われています。バイリンガルは自然にできあがるものではないのです。
また企業の駐在で何年かアメリカに滞在する家庭の方々をいくつか見てきましたが、どうやら子供が英語を習得しやすい年齢の範囲があるようです。
幼児期からアメリカに住んで、英語をしゃべっていた子供でも小学校低学年に日本に戻ればその後はほとんど英語はしゃべれなくなると言うケースが多いそうです。
逆に中学を過ぎてからアメリカにやって来た子供の場合、今度は英語に入りにくい問題にぶつかります。
一番最短で英語が生涯を通じて習得しやすい年齢層は小学校低学年~高学年に英語圏で生活をした子供、だそうです。それでも絶え間なくその後も英語の勉強を続ける、という前提のもとです。
日本の英語教育は通じない英語教育とはよく言われることですが、日本人の文法的にきちんとした英語を話すことを評価しているアメリカ人が意外と多いということについてはあまり知られていないと思います。
文法にこだわるあまり口から英語がなかなか出てこない、と感じるのは日本人の劣等感によるもので、教養のある人、教育を受けた人、というのが社会的にかなり認められるアメリカ社会では実は日本人の自慢の一つに思ってもいいのではないかと思います。
文法、理論はコミュニケーション能力と相対するものではないと私も思います。
コミュニケーションの能力もきちんとした土台があればよりよいものになることは間違いないと思います。
長々ととりとめのない話になってしまいましたが、何が言いたいかと言うと、小学校に英語の必修を取り入れることには反対!ということです。(早い話)
子供たち、親(小学校の時からきっと英語塾に必死になって行かせるだろう)、英語を専門としない現場の教師達の負担があまりにも大きすぎるのが明らかです。
あー書いているうちに反対デモにでも参加したい気分になってきました。
日本人の英語圏の国々に対する劣等感の植え付け問題・・・
キリがないのでこの話はやめておきます(笑)
これで本当に失礼したいと思います。
やはり、反対ですか!
>日本人の文法的にきちんとした英語を話すことを評
>価しているアメリカ人が意外と多い
>ということについてはあまり知られていないと思い
>ます。
へ~そうなんですか?
この本によると、親は80%が賛成!しかし、それは
漠然と「早い方がいいのでは?」とか、
「自分と同じ苦労をさせたくない」というもの。
それに比べ、帰国子女のグループにアンケートをとる
と、圧倒的多数が、「母語が確立してから」です。
小学校で週一回英語をやったからと言って、
「ぺらぺら」になるとは、誰も本当は思ってないけど
「中国も韓国も既に始めてるから・・」
って!遅れてなるものか!!!かな?
でも、見習うべきは、中国や韓国の英語の勉強時間
だそうですけど・・。中学の英語の時間が3時間では
お話にならないのでは?
小学校から英語をやってきた子の英語力など、中学で
始めた子にあっという間に追いつかれ、
「小学校英語の英語力は、この程度?」という報告があっても・・時代の要請?戦後60年の英語への
怨念?と共に・・
「小学校英語への流れが、止まらない」
それより、今のまま見切り発車することのほうが
弊害の方が多そうって、思いますね~・・・。
ではでは・・・
私も,英語の小学校導入反対派です(以前,記事にもしました)。
理由は,自分が話せないやっかみもありますが(^_^;),それよりも「自分の思うことを日本語で表現できない」小学生(大人も含め)が多い中で,はたして「英語が話せればそれで即国際社会の仲間入りになれるのか」に大きな疑問を抱いているからです。
いくら英語を覚えたって,中身がなければ使い物になりません。そして,その中身とは「自分の言葉」すなわち国語力なのです。
したがって,まずは「正しい日本語」,これを小学生の頃はしっかり付けさせる必要があると考えます。
といいながら,一方では「今年こそ英語を勉強しなきゃなあ」と思いつつなかなか腰が上がらない私がいました
いらっしゃ~~い!!
>いくら英語を覚えたって,中身がなければ使い物に
>なりません。そして,その中身とは「自分の言葉」
>すなわち国語力なのです。
そうですよね~。
「ペラペラ英語」を話しているのをみると、凡人の
スナ♪など、
『すご~~イ』って思いますが、国際社会はそんな甘くない。要は、話中身ですものね~
>といいながら,一方では「今年こそ英語を勉強しな
>きゃなあ」と思いつつなかなか腰が上がらない私が>いました
アハハ~~お仲間です!
しかし、この本で興味深かったのは、
『歌や踊り』を混ぜながら小学校英語・・中には
歌や踊りが苦手な子がいまして、その為に英語が嫌い
になったり、普段は
「大人しくしなさい」という日本の教育が英語では
積極的に発言した子が良い成績・・。
「言語教育の根幹」には、文化の違いが・・。
小学校の間は、英語に限定せず、
※異文化への開かれた心を養うこと
※コミュニケーション能力育成
というのには、賛成です
あちきもみなさんのご意見に大賛成。
まともに人とコミュニケーションとれない
今の子どもたちに早くから英語を教えて、
本当に役に立つと思っているのか?
なんておバカちゃんな親が多いのか。
あちきの周りにも英会話教室やら、
英語教室やら言うものに子どもを通わせている
人がたくさんいますが・・・(公文も多いねぇ)、
あちきに言わせれば、
「あんたん家の子、英語の前に教えることあんじやーないの?」でございます。
小学校の間は、英語に限定せず、
※異文化への開かれた心を養うこと
※コミュニケーション能力育成
本当にそうです。
右向け右の教育をしているうちは、
日本の小学校中学校は崩壊です。
プチナショナリスト育てて何がおもしろい!?
小学校英語・・・
どういう風に教えるか確立せずに
何だか
最初に“必修ありき”みたいですね。
昨日のフジテレビ夜遅くに、米百票の長岡市の
総合学習内の英語の授業風景を紹介してました。
教育に熱心な長岡市が、
独自に行なった10年の英語教育の試行錯誤を経て
たどり着いたコミュニケーション中心のユニークな
授業でした。
英語は、言葉という以前に、“気持ちを伝える道具”
というスタンスで、とてもいいな~って思い見てました・・。
現場の先生方も、
“必修化”されると、このような授業はできず
中学英語の前倒しみたいになるのでは?
って心配だそうです。