これを昨日の夜お風呂上がりに見ようと、真っ暗なリビングでデッキに入れたら、
中におかんのDVD(もちろんGLAY)が入ってて2枚一緒に飲み込んでガガッ、ピーピー…
取り出しも読み込みもできず、さっぱりした体にどっわと脂汗をかくこと30分…
半泣き。GLAYなんてどうでもいい…レンタルなのに出てこなかったら!
電源消して入れて消して入れてを繰り返して、やっと出てきてくれました…
長い30分だった。うええん。
安堵して、期待も大きく見始めたのですけど。
なんだこれ?「コメディ」ってどのあたりが?
やばい。私合わないのかもしれない。小津作品というやつに(これで初めて見る)。
登場人物が気に入らない。おっさんらえげつない。めっちゃセクハラ。うげー!
ショックと苛立ちに動揺しながら見続け2時間弱、
「画はとってもきれいだけど、全然おもしろくない」という感想になりそうだった。
けど、最後の15分ぐらいでやっと周波数が合いました。
長い…終着するまでが!タメが長い!
やーもう、本気で時代錯誤なのかとがっかりするところだったよ。ほーっ。
とは言えね、こんな一人の女の子(つっても24歳)の結婚話に終始するなんて、
かなり予想外だったし期待外だった…うん。やっぱり。
原節子がちゃんと流れに流されない結末だったのは安心したけど、
ほんと、そこだけだもの。つまりラストの、旅館と式後のシーンだけ。
おもしろいのかもしれないけど…夢にも出てきたけど、
「小津作品て、こういう人たちを描く映画なんだ」っていう衝撃がかなり残ってる。
私は映画に人のこういう部分とか求めてない…うん、合わん。
だけどまたしても、岡田茉莉子が清涼剤だった。
「まだ怒ってんのか。怒ってろ怒ってろ、赤ん坊」
「ここんちのお嬢さん?美人よ~。ね!」
「違うわよォ、ちゃんとお勘定、払ってってね、平山くん!」
「おばさん、私ちょくちょくここへ来るわね。じゃ、さよなら」
いい…。なんていいお嬢さんなんだ。演技も自然だ。
これが今の映画だったらゆりちゃんは平山さんとくっつくんじゃないかしら。
ああ、この映画のもうひとつ「え、こういう感じ?」だったのが、
セリフのオウム返し…「そうなの?」「そうなのよ」「そうなの」とか、が、
うっぜええーーー!と思ったですよ(おそるおそる)。
これって、これもユーモアととらえるべきところなのかしら?
それとも特徴…中身のない日本語の会話、として??
好きな人にはたまらん演出なのかもしれんけど、今のところ私は好きでないな…。
ゆりちゃんにはあんまりそういうセリフ、シーンがなくて、そこもいいなと思ったの。
この映画で原節子と司葉子が住んでるようなアパートって当時普通だったのかな。
玄関からすぐ一間あってとなりにもう一間あって、そこから玄関側に降りて台所って、
どういう間取りよ?台所へは玄関からも行けるの?お風呂とトイレはあるの?ないの?
でも『陽のあたる坂道』でもあった、カーテン!これいいアイテム~。
玄関と部屋をしきり、部屋と台所をしきる、梁から床までのカーテン。
ちょっと厚手で、明らかに女性が選んだ柄で、適度に明るく所帯くさい。
いいわ…こういう50年代60年代のアパートの間取りにしか役割なさそうなところも。
このカーテンをちゃちゃっと閉めることで、居間が寝室になったりするんだよねえ。
ちなみに夢に出てきたのは原節子の微笑みではなく、
”昭和三十五年って私いくつだったっけ?”と真剣に考える自分でした。
生まれてねえーよ。