「自分は神様だ」などと言っているうちに、私にお賽銭を投げる人が出てきてしまいました(言葉の真意については、「「自分教」の薦め」を参照のこと)。少々違うのですが、それでその人の気が楽になるのなら、それでもいいかということで、お賽銭箱を用意して、お金を入れてもらうことにしました。そうしているうちに、結構お金が貯まってきてしまったので、それで神棚の神鏡やら、鳥居やら、お社やらを買って遊び始めました。
諸事情あって、今は自宅の枕元に置いてあるのですが、その後いろいろと寄進物等も頂き、だいぶ賑やかな神社になってきました。
こうして遊ぶことも、私の人生にとっての「補助輪」だと思います(「外れない補助輪と外す努力」参照)。本来、補助輪なしで走りたいところではありますが、これはこれで楽しいのだから、いいのではないかとも思っています。私は、特定の宗教に頼ることは絶対にありませんが、楽しみながら、何かしらのかたちにすること自体、悪いことではないと思うのです。
そしてまた、いっそのこと、これもひとつの神社にしてやれ!などとも考えています。コンセプトは「自分教」。「自分教」の神社で、絶対に欠かせないものは神鏡です。救いを求めにやって来るのは構わないけれども、あくまでも大切なのは自分自身であることが重要なのです。どんなに救いを求めたところで、神様とは「あなた自身」であることを映し出す鏡は、「自分教」神社の必須品です。ただし、それ以外は何でもありにしたいのです。とにかく楽しむことが大切だと思います。
そこで今、この神社では、とにかく好き勝手に飾っています。ちなみに、写真にある女神ベルダンディー(神棚にはやっぱり神様!)と仮面ライダーシリーズのフィギュアは、私が自ら設置したものです。その他、知人や家族からの寄進物も混在していて、ずいぶんと賑やかになっています。
宗教だとか、何だとか硬いことを言わずに、楽しみながら自分たちの「救いの主」を作っていくのも面白いと思うのでした。
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