書、燃ゆる。

ここから始まる王者への道

6月19日

2016-06-19 16:54:54 | 日記
この香りは、なんだろう。


友人が死んだ。
朝顔の坂を上り、火葬場に向かう。
程なく友人は灰になって出てくる。
それぞれが思いつくままに、白々しい挨拶を済ませ、火葬場を後にする。
僕は一人で遺影を見つめていた。
「早すぎる…よ…」

知らせを聞いてから、まだ涙は出ていない。実感が追いついてこない。
建物から出て空を見上げる。
澄み渡った夏の青空だ。
雲がモクモクと生い茂り、その命の勢いを見せつけてくる。
この空はあの時の空とも繋がっている気がする。

二人ともまだ12歳だった。
自転車で、街を流れる川の源流を探るためにひたすら山を駆け上がった。
あいつの方が体力があったから、僕はついていくのに精一杯だった。
友達が口にする。
「ゴメンな」

なんの謝辞だかわからない。
聞き返す。
「何が?」
「いや、俺についてきてくれるのお前だけだから」。
意味がわからんと僕が言うと、あいつは笑っていた。
源流でこそないが、たどり着いた先は巨大なダムだった。思っていた様な神秘的なものではなかったから、白けてしまった。
帰りは重力に任せていれば自ずと街が近付いた。
いつもなら自分で先行して下っていく友人が、今日はなぜか僕を先に行かせた。
後で知った。入院していたあいつのお母さんが、少し前に亡くなったそうだ。

あの日の友人の顔と自分の汗の匂いは、頭を締め付けるほどに記憶に残っている。


「お前のお母さんと、同じ歳で逝っちまったな…」
再び遺影の前に立ち、僕は呟く。
そろそろかな。何かがこみ上げてくる。
左目から熱い何かが下に流れるのを感じた。人が周りにいないのを確かめてから、
僕はむせび泣いた。
やっと落ち着いてきたところで、顔をハンカチで拭き、心の軸を、手探りをして体の奥から引っ張り上げる。
泣いてばかりもいられない。
その時。
鼻腔を懐かしい香りがくすぐった。

なんだっけこの香り。どこかで嗅いだことがある。でも思い出せない。
ただ胸の中が過去への郷愁でいっぱいになっている。
しばらく考える。
そうだ確かこれは…あの夏の日…
思い出した。その瞬間笑いがこみ上げる。
「なんで今なんだろう」「クックック…」

きっと遺影の前を通り過ぎた女性の誰かから漂ってきた、香水の香りだったのだろう。
その香りは、あの日、ダムで記念に買った、匂い付きの消しゴムの香りと瓜二つだった。

6月17日

2016-06-17 02:56:13 | 日記
爬虫類になりたい。
子供の頃からの夢。

僕は物心がついた頃からいじめられていました。
最初は親。やたらに僕を殴りました。
小学校に入学して、同級生からいじめを受けました。先生に話したら、「お前に悪いところがあるんじゃない?反省しとけ」。
と言われました。
中学生になり、僕に人生を決める岐路が訪れました。
やさぐれて不良になる。
いじけて引き篭もる。
本当は僕はどっちも選びたくなかったけど、自然と引き篭もる方に流れていきました。
死ぬこともできず、ただボーッと天井を眺めていたら、1日が終わりました。
テレビ画面に向き合っている時間以外は、ひたすら天井を眺めました。
周りを見渡すと、ゴミ箱やテーブルやゲーム機などが、変な威圧感で僕をいじめてくるので、天井を向くことしかできなくなっていきました。
どんなに眺めても変わることのない景色。
永遠の孤独。そんな言葉が頭をよぎった瞬間。何かが天井で動きました。
確認しようと立ち上がって、顔を近付けてみたところ、どうもそれはトカゲのようでした。
小さい頃、よく尻尾を切ってやったトカゲ。切っても切ってもいっぱいいるので、いつまでやってもキリがない。
親が、トカゲの尻尾は再生するんだよと教えてくれて、興味がなくなったのを思い出しました。
元に戻るようなら、切る意味もない。
幼心にそう思ったようです。
何年かぶりに目の前にトカゲがひょっこり現れて、天井から僕を見下していました。
「再生能力は、人間の持ちえぬ偉大な力だ」。気付くと僕はそう呟いていました。

それから20年の月日が流れました。
僕は人間の細胞に再生能力を宿らせる研究をしています。まだまだ完成のめどは立たない技術ですが、それなりに充実した研究生活を送っています。
時々思います。トカゲの様に肉体は再生できないけれど、心の方は時間が経てば再生するもんだなあと。

6月12日

2016-06-12 02:02:53 | 日記
思いがけず空を飛ぶ時がある。
それは心の底から落ち込んだ次の日。雲の切れ間から覗く太陽が、一直線に目に飛び込む速さと同じくらい、一瞬の出来事。

その日は早くに起きてしまい、深夜の2時からたくさんの情報を右から左に流していた。心はどこにもなく、気遣う体のことも忘れ去っている。
明日が来ることに対する恐怖も不安も、何年か前から麻痺してきたように思う。
「生きている実感がない」。そんな風に表現されたら少しはピリッとするだろうか。
昔は肉とご飯ばかり食べていたが、今は野菜食が中心になった。瑞々しい食感の中に、淡い救いを感じる。
小鳥が鳴き出し、朝ぼらけが憂鬱をさらにぼかし出した頃、私は同居している親の車を借りてドライブに出かけた。無免許で。

なんとなくの勘で運伝することはできた。
初歩的な操作の知識なら持ち合わせていたから。おっかなびっくりゆっくりゆらゆら運転しながら、ひたすら海を目指した。
山間からだんだんと開けたとこに出て、少し強気で直線を攻める。いい気分だ
コンビニやらガソリンスタンドが、目に飛び込むと同時に過去になっていく。コンマ何秒の出会いと別れの中で、心の中に疾走感の風が吹く。「いいリズムだ」。

しばらく後、そろそろ朝日が出そうな色に遠くの空が染まってきた頃、海沿いの崖の道に差し掛かった。長い直線の下り坂である。自ずとスピードが上がる。心が向上心の悪魔に掴まれる。「どこまでスピード出せるかやってみよう」。心に決める。
グングンと景色の流れが加速する。日常を置き去りにするという、どっかで聞いた陳腐な表現が、身にしみて感じられる。
ジェットコースターと化した車体に、最早ブレーキという概念はなかった。

その時は音がなかった。ガードレールを突き破り、車体が宙に浮き、そのまま落ちる。下は海。もしかしたら助かる?いや、この高さでは無理だ。
意外なほど冷静な自分に笑いがこみ上げる。
「そっか、これがしたかったんだ」。
妙に納得し、33年の結末を迎えられる。
「幸せだったな~、なんで気づかなかったんだろう」。
どこにも届かないけど、ここにいる。
それだけでよかったんだ。

すると、程なくして車体が落ち止まる。
あれ、もう海に落ちたのか。意外と衝撃がないものだな。そう思いながら窓の外を見た。
突き破ったガードレールが下に見えている。海はそのさらにはるか下だ。
「あれ?」
理解が追いつかない。
数秒考え、それでもわからない。
わかるはずもない。この人生において初めて経験することなのだから。
車が空を飛んでいた。ただそれだけの話。
なぜとか、どうやってとか、そんなものはどうでもいい。ただその状態を認識していればそれでいい。
海岸線がはるか遠くになり、街の明かりも見えなくなってきた。
「どこまでいくんだろう」
やがて雲の中に入ったのがわかった。周りが白一色になる。少しだけ不安になってきた。
「ずっとこのままなのかな」
そう思った瞬間、雲を抜けた。
天上の世界はまだ夜だった。まん丸のお月様が柔らかく世界を包んでいた。
月光が当たった雲は、まるで雪原のようにキラキラと輝いていた。
あまりに美しくて、身震いがした。
見惚れるを通り越して心を支配される感覚。
「こんな世界があったなんて…」
感動というよりは、感謝している自分がいた。
永遠に近い時間が流れ、ふと車内の時計を見ると、午前6時に近付いている。
急に我に返った。そろそろ親が起きて、車がないことに気づく。自分もいないことに。迷惑をかけたくない。そんな気持ちがこみ上げてきた。現実に帰りたい。
それでもまだ車は飛び続けている。
起きたい時に起きるのは、眠りたい時に眠ることより難しい。

いつもの部屋で目を覚ますのは、もう少し先のお話。