1/99(きゅうじゅうきゅうぶんのいち)

あみものと手仕事と旅の記録

カチッ。

2009-03-30 16:26:08 | すいかの芽
久しぶりに大学に行ったら、桜がちらほら咲いていました。


やっぱり今年もこの木が構内でいちばん早く開花したみたいで、もう3~4分咲きくらい

今朝、目が覚めたときに“カチッ”という音がきこえました。首がコキコキ鳴ったとかいう物理的な音ではなくて。うまくいえないけれど、何かと何かの歯車がかみ合うような音。心身の調子(月並みな言い方をすれば、バイオリズム)と、自分の外側にあるいろいろなものとが、ぴったりくる瞬間の音。

こういうことが、年に数回ある。それがやってくるのは、楽しみなことがある日や好調な時期ではなくて、むしろその逆の状態がしばらく続いたあと。で、ここ数年、思うのは、こういう自分の直観とか感覚をたいせつにしようということ。

まったくもって主観的で抽象的で、おまけに根拠のないハナシだけれど、わたしにとっての“カチッ”は、新しいこと、良いことの前兆。といっても、目に見える変化(体重が減るとか)や具体的な出来事(宝くじが当たるとか)ではなくて、ずっとあとになって「あの“カチッ”は、これのことだったか」みたいな、そういうことの前触れ。そして、悪いことはずっと続いたりしないということと、わたしたちには明るいほうへ変わっていけるちからがあることを知らせてくれる合図。

と、ここまで書いて気づいたのだけど、調子の良いときには、無理しすぎを知らせる音がなっているのかもしれない、“ミシミシ”とかって でも、そういうときってそんな徴候に気づきにくいもの。で、「まだまだいける~」とか思っていると、いきなりグッタリきたりする。こちらのほうも、きちんときけるような心の持ち方ができればいいのかもしれないけど、なかなかむずかしい(でも、どちらを取ると聞かれたら、わたしは“カチッ”がいいな)。


今週から新年度の始まり
不安や心配のなかにある人もいるかもしれないけれど、とにかくはじめの1歩を踏み出せますように~
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ほん Mar29

2009-03-29 20:13:01 | ほん
またまた読書メモ(のようなもの)シリーズ。
これまでに2度アップしたけど、メモというより感想文みたいだし、こんなスタイルだと書くこと自体が一仕事になっちゃって更新するのがおっくうになるし、そうすると読んだのが溜まるいっぽう…。このままではまたもや読書日記三日坊主に陥ってしまふ…ということに気づいてるんだけど。だいたい、書くまでに時間がかかるのと、書くスピードが遅いからこんなことになってるわけで(そのわりには書いてる量が少ないから、やっぱりメモか)、もっとバッサリしたやり方にしたほうがいいのかも。

とまあ、それはさておき。とりあえず、今日は、昨年末くらいから読んだもののなかから、印象に残っている翻訳関係の書籍を中心に。

『気になる部分』 (岸本佐和子、白水社、2006年)
★★★★ 「名翻訳家による抱腹絶倒のエッセイ集」。めくるめく妄想ワールドにやられました~。すいかの最大のお気に入りは「キノコ」のエピソード。好き嫌いが分かれるタイプの作家かもしれないけど、一度はまると抜けられません。あらゆるところに笑いの地雷がしかけられているので、公の場所で読むことはおすすめいたたしかねます(と注意して友人に貸したら、「面白かったけど、電車の中でも読めた」と言って返却された。わたしの笑いの沸点が低いだけなのか

『ねにもつタイプ』 (岸本佐知子、筑摩書房、2007年)
★★ タイトルどおり粘着質というか執念深いというか、「ユーモア通り越してちょっと笑えないよ」てなかんじの毒気が多くて、『気になる部分』ほど楽しめなかった。残念。

んで、彼女が訳した、これまたへんてこな小説が、

『中二階』 (N.ベイカー 著、岸本佐和子 訳、白水社、1997年)
★★★ 1人のサラリーマンが、昼休みの外出先から中二階にあるオフィスに戻るため、エスカレーターに乗っている数何十秒間に、彼にわき起こる連想(妄想?)だけで始まって終わる、短めの中編小説。“まともな”勤め人が、しょーもないことを真剣にあーでもないこーでもないと考えをめぐらせ、納得し、それに単純に感動するのが、なんともばかばかしくもかわいらしい さらに、ほとんどのページに、ものすごーく長い注釈があって、これがまた細かいっ!ていうニッチを突いてきて、好きな人は好きだと思うけど、読むのが面倒といえばそうねってかんじの1冊。

『翻訳教室』 (柴田元幸、新書館、2006年)
★★★ 「東大文学部翻訳演習完全収録」本。ゲストのひとり村上春樹の回は、期待していたほどおもしろくはなかった(こういうところでされる質問の彼の回答は、いつも同じ。ま、よく言えば一貫性があるってことか)。けど、講義回数が重なるたびに、柴田センセイと学生たちの議論がだんだんガチの真剣勝負になっていく様子がなんともスリリングで楽しめます(個人的に、逐語形式の読み物は苦手なんだけど、これはそんなことを感じさせなかった)。トーダイ生でも単純な構文を誤訳しちゃったり、センセイでも「ここは迷うなあ」とか言ってるのを読んで安心しちゃうわたしって、つくづく小心な権威主義者だと思う。とほほ。それにしても文学作品を翻訳するのって、さらにそれでご飯食べてる人ってほんっとにすごいです、ハイ(ちなみに柴田センセイは「“副業”でやってる」らしい。片手間であの仕事量…すご…)。

『翻訳のココロ』 (鴻巣友季子、ポプラ社、2003年)
★★ なあんか全体的なリズムというかテンポが悪く、言葉の選び方にもあまりセンスが感じられず…。それは、ウェブマガジンの連載記事に加筆・修正したエッセイ集ということによるのかもしれない。というのも、最近多い、ブログ本のたぐいがわたしは、あまり好きではないので。なので、好意的に考えるならば、この本への違和感も単に個人的な好みの問題なのかも。うがった見方をするなら、名翻訳家必ずしも名文家ならず…ってことなのかな、とか。それでも、「あらゆる翻訳は暫定案である」とか、やっぱりプロは違う、と思わせてくれる表現とプロ意識がところどころにみられます。

この手の本を読んでつくづく思うのは、米原万里は、やっぱりすごい人だったのだなあ、ということ。

『ユリイカ-特集 米原万里-』 (2009年1月号、青土社)
★★★★★ 2006年に亡くなってなお人々を魅了し続ける彼女。手がけた翻訳は少ないけれど、超一流の通訳者・作家として、ことばで伝えることの苦しみと、それがユーモアによって喜びに変わることを誰よりも知っていた人。この特集号は、学生時代の詩や妹への手紙、ゆかりの人たちの寄稿を中心に構成されています。著作のレビューもあり。こんなふうに自分のことを振り返られる(なかには“蒸し返し”的なものもある)ってことを彼女はどう思っているのかなあ、と考えないでもないけれど、ファン必読の一冊。


翻訳プロジェクトに絡んで(というか、泥縄的にというか、それすら通り越して次に備えて?!)、読みました。この“翻訳プロジェクト”の話については、毎日ちょこっとずつ書いているのだけど、これまた書くペースが遅くて、いつになるのやら… 
春休み(ビバ、学生!)のうちになんとかします、たぶん… ← 弱気
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春なので、、、

2009-03-27 17:53:27 | すいかのたね
いうわけでもないんだけど、レイアウトを変えてみました

ブログをはじめてから、ずうっと同じテンプレートを使ってきて、浮気ゴコロなんて一度も抱かなかったのに、これにはピンと来た! …んだけど、やっぱり慣れないからか、文字が読みづらい、気がする…。しかも、過去の記事のバランスも変わるのね(当たり前か)。もしかしたら、元に戻すかも(けっこう、優柔不断)


と、まあ、それはさておき。
巷で話題の(?)マ○ド“ダブルクォーターパウンダー・チーズ”に挑戦いたしました
 

思っていたほど大きくは、ない。
なのに、完食ならず…
けっこうお腹空かせて向かったのに…

「世界をつかんだ!」ため、明日から値引きご奉仕2daysらしい。
ここは、食い倒れチャンピオン奪回目指して、もっかいトライ?! 
なんちゃって (← とかいって、けっこう本気だったりして…)


……ていうか春なのに、こんな話題…やっぱり今年も花より団子?!

ま、レイアウトは変わりましたが(そして、またすぐに戻るかもしれないけど)、中身はいままでどおり、ガッチリすいかのブログですので、よろしくお願いいたします
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line、または線を引くことについて

2009-03-24 21:05:14 | ほん
読書メモ(のようなもの)シリーズ。
なにをもってして人間の行動と特性の“正常”と“異常”の線引きをするのか。それを考えることに広がりをもたせてくれたのが、以下の3冊。

『博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話』
(S.ウィンチェスター 著、鈴木主税 訳、早川書房、1999年)
★★★★ ここ2年近く、英書の翻訳プロジェクトにかかわっていて、辞書への関心が高くなってたときに読んだ本。超人的な知力と集中力でもって、キング・オブ・ザ辞書“オックスフォード英語大辞典”の編纂にたずさわった、ある天才の“格闘”の話。
 登場人物たちの個性的なキャラクターも魅力的だし、植民地支配と言語の関係なども理解できて、知的好奇心そそられる内容でした。それと、ただの歴史物語におわらず、リアリティある史実を語ることに成功しているという点も非常によかった。それを可能にしているのは、行間からひしひしと伝わってくる、著者の、緻密さ、繊細さ、粘り強さ(これらはすべて辞書の編纂に必要不可欠な要素に共通する)をもって本書の取材と執筆に向かっている姿勢だと思う。
 そもそも不可能だと思われたOEDの作成は、ある殺人事件がきっかけとなって完成をみることとなったのだけど、著者は、そうした陰の面を最初から最後まで置き去りにすることがない。つまり、OEDの完成という偉業は偉業として評価するけれども、その一方で殺人事件の被害者の無念とその遺族の悲しみを決して忘れてはならないのだということを繰り返し述べることによって、人間の命への敬意をつらぬき続けている。このことが、もっとも印象に残っていることかもしれない。おそらく、こうした真摯な姿勢でいたからこそ、著者に、これまで非公開とされていた貴重な資料にアクセスすることが許されたり、諦めかけていた記録を入手することができたのではないかなあと思います。
 “異常”と診断される精神状態かかえた主人公の人生をとおして、人としての尊厳をもって生きること、そのことを周囲がどのようにして支えることができるのか、必要とされることは何なのかを考えさせられたという点でも、期待していた以上に収穫のあった1冊でした。

“科学的にみてふつうでない”と判断/診断することと、ひとの内的な幸福感との従来的な両立のさせ方への懐疑を提示してるのが、

『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』
(S.A.クランシー 著、林雅代 訳、2006年、早川書房)
★★★ なんだかフザケたタイトルだけど、内容は大まじめな科学ノンフィクション。“宇宙人に誘拐された”と主張する人たちが、そのように“思い込む”のはなぜなのか。そのメカニズム(記憶形成過程)を解明するための科学的な実験の結果をまとめたもの。巻末解説にもあるのだけど、読み物としてのおもしろさだけでなく、「エイリアンに誘拐されるなんて、ありえない」と切り捨てることよりも、そのように訴える彼/彼女たちの内面に真摯に向き合ったことを選んだ著者の科学者としての成長の過程がとてもリアルに伝わってきて、さわやかといってもいいくらいの読後感をもちました。まあ、結論については、賛否両論あると思いますが。

小説というかたちで、「ノーマル」であることと、そうでないこと、ひとがありのままでいることが与える自由とある種の苦しさみたいなものを扱っているのが、

『くらやみの速さはどれくらい』
(E.ムーン 著、小尾芙佐 訳、2004年、早川書房)
★★★★ 自閉症が完治する近未来を舞台に、“最後の自閉症者ルウ”の内面を繊細な筆致で描いています。“お話”としての展開は丁寧に、かつ無理なくテンポ良くすすめられていくのだけど、ルウの心の内にぴったり寄り添ったことばのひとつひとつに打ちのめされてしまって、なかなか読み進めずにいます。“21世紀版『アルジャーノンに花束を』”と評されているらしい。ピンときた方は手にとってみてください。

と、気づいてみたら、早川書房の本ばっかり。奥付のさらにあとの「宣伝ページ」みたいなところから読む本を選ぶと、こういう“ライン”ができちゃうのは必然の結果ですね~
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大相撲春場所

2009-03-21 08:53:10 | おでかけ
行ってきました、念願の大相撲春場所@大阪府立体育館。

初観戦なり~。正式には「三月場所」というみたい。

会場に着いたのは、お昼すぎ。「無名の幕下の力士って退屈なのでは?」と思っていたのだけど、彼らの頑張りもなかなかなものでした(たいていの勝負は、勢いあまって滑って転ぶとかいう自滅によって決まっちゃう)。

この写真は十枚目に入ってからのものだと思うけど、まだ客席はがらがら。それでもというのか、だからこそというのか、これくらい早くから来ているお客は熱心で、その声援の気合いの入れようもただごとではなく、それもおもしろかったりする。


知人のことばを借りれば、相撲は「様式美」の世界、らしい。

横綱(これは朝青龍)の土俵入りなんて、その極みなわけだけど、“所作”とか“型”がきちんとあって、土俵を取り巻く世界がすべてそれに則って進行していく様子は、テレビでは観られない点のひとつかと思います。

千代大海と日馬富士を間近でみちゃった

まさに、モチハダ、美しい肉体でございました

写真で見ると土俵が遠いけど、実際には力士の顔もよく分かるし、取り組みでぶつかる音とか、行司の仕切りの声(っていうの?)とか、観客の声援とか、生の臨場感は、やっぱりすごい。初日ということもあって、いろんな儀式も合間にあったので(理事長挨拶とか、優勝杯/旗返還、とか)、あっという間の5時間でした。

上の椅子席は、結構空いてたけど、いちおう「満員御礼」で無事終了(座布団を投げられるような勝負がなかったのがやや心残り ← あ、禁止行為ですよ、念のため)。


ちなみに、手芸バカとしては、裸同然の力士よりも、行司の衣装(これまた“格”があって、下っ端は裸足でスネ出しの袴。それが「木村庄之助」とかになると、豪華絢爛な衣装になる)に目がいって、「あれはやっぱり本物の金糸なんだろうか」とか、「下っ端は既製品ぽいけど、上の人は特注の手縫いだよねえ、やっぱり」とか、そっちが気になりました。
まあ、どんな見方も楽しみ方もできる、まさに老若男女、国籍を問わない一大エンターテインメント 意外と敷居も低くて、一見の価値ありですよ~
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ハチと侍女

2009-03-13 15:45:54 | ほん
新しいカテゴリ、作ってみました。「読んだ本の記録」コーナーです。

 先日、本棚の整理をしていたら、「おお、なつかしい!」なものから「こんなのいつ買ったんだ?」みたいなもの(最たるものが、岡村靖幸『純愛カウンセリング』。厳密に言えば、「岡村ちゃん、復活!」とうれしがって買った、てのは覚えてる)まで、どっさり。内容が思い出せないのは、まあ、その程度の本だったのであり、わたしの記憶力・読解力もその程度だったのでありってことでいいのかもしれない。
 けど、最近、図書館や人から借りて読むことが増えてきて、良い本に出会っても手元に残しておくことができないうえに、読書日記という手法も、これまでに何度も挫折しているため(根がズボラなので)、とりあえず、ここのスペースを利用してメモしていくことにしました。“レビュー”ではなく、あくまで、チョー個人的な感想・覚え書きのつもりですので(んでもって、これまたいつまで続くかアヤシイけど)、よろしくお願いします 

というわけで、第一弾は、

 『ハチはなぜ大量死したのか』
 (R.ジェイコブセン 著、中里京子 訳、福岡伸一 解説、文藝春秋、2009年)
  ★★★★ わたしの研究テーマが児童福祉における「resilience」という概念なんだけど、この用語が他分野でどんな使われ方をしてるのか気になって探しているときに見つけた本。2006年秋頃から、アメリカで発生しているミツバチの大量死の原因を探る科学ノンフィクション。膨大なデータと混乱する学説を丁寧に検証しつつ、ストーリーとしては非常にテンポ良く展開していきます。一生覚えられそうにない難しくて長い名前の農薬なんかも出てくるけれど、一気に読ませてしまうのは、著者の筆力と、訳者の質の高い日本語力のなせる技(「解説」が蛇足というか、訳者が「あとがき」で十分にその役割を果たしているのにもかかわらず、彼を引っ張り出してくるあたりに見え隠れする商売欲にゲンナリさせられるのと、致命的な誤植が数カ所あるのが残念)。 
 ハチのコロニーがある日突然、全滅してしまうという現象については、数年前にテレビで見て知っていたけれど、ハチに限らず、わたしたちに見えないレベルで確実に急速にさまざまなシステムの崩壊が始まっていることに慄然とさせられます。「食の安全」とか大きな話に限らず、「毎日、口にしたり身体につけたりするすべてのもの」に関心のある方におすすめ。
 ちなみに、resilienceは、一般に、「ダメージを受けた状態から、以前の(あるいは、それ以上に良好な)状態に戻ること」をさします(本書では「復元力」、解説では「リジリエンス」と訳されて、すいかは「レジリエンス」と訳しています)。これが児童福祉とどう関係があるのかについては、またこんど。

 『侍女の物語』
 (M.アトウッド 著、斉藤英治 訳、早川書房、2001年)
  ★★★★★ 上記の本のなかで紹介されていたので、読んでみました。環境汚染の影響のために人類の生殖能力が著しく低下した近未来で、キリスト教原理主義の政治支配下におかれた女(と男)たちの話。
 セクシュアリティの問題は、人間の尊厳と分かちがたくむすびついていて、他者が別の個人のそれを支配したり利用することはできない。そして、リプロダクティブヘルス・アンド・ライツ(生殖に関する健康と権利)は、女性にあると固く信じている。けれど、ここまで極限の舞台設定を見せられると「生命はいつ始まって、それは誰のものなのか」ってことが、口先だけで避けて通れる問題ではないことを思い知らされる。そして、おそらく、それは小説とは違うかたち(あるいは同じようなかたち)で、すでに、いろいろなところで起こっているのだろうということも。


って、初っぱなから気合い入れすぎ?
ま、そのくらインパクトのある2冊です。
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