◆新聞を読んで/臼井愛代◆

俳句雑誌「水煙」編集人

○朝日新聞6月26日朝刊3面、「自然と伝統胸に未来をひらけ/多田富雄(東大名誉教授)」

2008-06-28 14:11:46 | Weblog
多田氏は1934年生まれの免疫学者である。
この記事の中で、多田氏は、自分たちが生きてきた時代を振り返り、それが、今の日本にどのように影響しているのかを省みる。膨大な消費エネルギーによって生じた二酸化炭素による環境破壊、作り出した核エネルギーによる核戦争が破壊した人間のモラルなどの負の遺産は、子や孫たちの世代の存続さえ危うくしている。その波及は、昨今の若者による無差別殺人や老人の生命を軽視した医療政策などに至り、これらの根は繋がっているのではないか、と多田氏は推察する。そして、それは、自分たちが豊かさを追い求めて突っ走った結果であるとの考えから、子や孫の世代への謝罪の気持ちを述べられている。

謝罪のあと、多田氏は次の世代への助言をしておられる。
まず、経済至上主義、成長神話を考え直し、新しい価値観を構築すること。そのためには、物事を近くから見るのではなく、遠い眼差しをもって全体を見る目を養う必要がある。
次に、自然(生命)と伝統を生きる原点に据えること。自然は万人が認めなければならない価値で、伝統は日本人の規範を教えてくれるものだからである。
最後に、多様性の価値を認め、その中でアイデンティティーを守るという原点に戻って、地球の未来を創造してほしいと訴えておられる。

多田氏の助言を読むと、その考え方の根本にあるものは、俳句や俳句の座と通じていることに気づかされる。
遠い眼差しをもって全体を見る目は、目の前にあるものから本質を見る目である。自然と伝統を原点に据えていること、多様性の価値を認めながら、アイデンティティーを守ること、どれも、私たちが毎日触れている俳句の世界に通じているのではないだろうか。
つまり、水煙という句座に連なる私たちは、次世代を明るいものにするための原点をよく理解し、各人が、その一助となることのできる存在なのだと思う。
俳句を作る傍らの花や動物を通して、子や孫、家族たちに、いのちの尊さ、いとおしさ、美しさを伝える、そんな当たり前のさりげないことこそが、次世代のための、大きな財産になるような気がしてならない。

多田 富雄(ただ・とみお)
1934年3月31日、茨城県結城市生
1959年千葉大学医学部卒業
東京大学名誉教授、免疫学者
能楽への造詣が深く、新作能も手がける。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E5%AF%8C%E9%9B%84

○日本経済新聞6月21日朝刊17面、「大機小機/高齢者パワーと金融政策」

2008-06-28 14:08:39 | Weblog
まず、昨年の参院選の投票率を見てみよう。
二十歳代前半の33%、三十歳代前半の46%に対し、六十歳代後半は78%、七十歳代前半は76%と、
選挙における高齢者の投票率は、若い人のそれとは比較にならないほど高い。
日本の人口における高齢者の数の多さと、この、投票率の高さ、
さらに、最近連日のように報じられている、後期高齢者医療制度の修正問題などからも、
高齢者の発言の影響力が、この国の政治に大きく影響することが浮き彫りになって見えてくる。
「高齢者パワーと金融政策」の記事では、高齢者たちを、ニッポン株式会社の大株主と位置づけた。
その大株主たち、つまり、高齢者たちの不安の種である金融緩和の継続(低い銀行金利)と物価の上昇が続けば、
彼らの叫びが、様々な経路を通じて日銀に届くことになり、
高齢者パワーへの対応という新たな挑戦が、日銀に迫られるだろうと、記事は結んでいる。
高齢者のパワーは、水煙という句座においても顕著で、
若輩の私など、デイリー句会の動きを見せていただくにつけ、
句座を盛り上げてくださる人生の先輩の方々の気力、気迫を感じずには居られない。
また、その姿勢に学ばせていただくことも多い。
高橋信之先生は、常々、「水煙を、高齢者の方たちにも安心して楽しんでいただく場所にしたい」という思いを語っておられ、
私も、そのお考えに賛同する者の一人である。
高齢者の方々に学びながら、若手の私たちが様々なお手伝いさせていただければ幸いだと考えている。

水煙のサイト(インターネット俳句センター)は、高橋信之先生が殆どお一人で制作管理をなさっておられる。
先生は77歳という後期高齢者でいらっしゃるが、病気で医師の診療を受けられることは殆どない。
あっても5年に一度くらいの頻度で、それも、お風邪で病院の薬をいただかれるといった程度であるらしい。
内臓にいたっては、どこにも異常が無いと仰る。
信之先生をお近くで見ていると、後期高齢者を、
医療費を多く使うグループと一括りにするのは間違いであろうと思えてくる。
高齢者は、若者よりも多様で、一括りには出来ないのである。
人間の文化は多様であるが、高齢者の多様性はまさに文化そのものである、と言っても過言ではないと思う。

○日本経済新聞6月19日朝刊23面、「経済教室/平野雅章」

2008-06-28 14:07:47 | Weblog
この記事は、IT投資のリターンに関する実証研究をしている平野雅章氏が、
人的投資と経営成果との関係や、その組織への影響を分析した結果を元に書かれている。

平野氏は、組織を「意思決定のコミュニケーションのためのルールや仕組み」と定義する。
平野氏の記事のポイントは以下の三つである。

1.組織の能力は構成員の能力とは別物である
2.組織能力が低いと、人的投資が無駄になる
3.経営者のリーダーシップで組織の再構築が必要である

「経済教室」は、文字通り経済に関する事を述べているが、
前出の3つのポイントの、 「組織」を「水煙」に、「構成員」を「運営スタッフ」に、「経営者」を「高橋信之氏」に置き換えると、
そのまま、水煙という組織にも当てはめることができる。
平野氏によれば、「企業の能力=組織メンバーの資質×組織の優秀さ」という面積の関係になっている。
つまり、水煙の能力を上げるためには、運営スタッフの資質と、意思決定のコミュニケーションのためのルールや仕組みの
どちらかを向上させなければいけないのだが、そのどちらにも、向上の余地があると思われる。

まず、運営スタッフの資質に関して言えば、
トップダウンで下りてくる情報が、末端まで行き渡っているかといえば、
それはまだできていないというのが、高橋信之氏の判断である。
それはつまり、運営スタッフ(臼井)が、本来成すべき仕事をまだしていないからである。
平野氏が組織メンバーの資質として挙げている、知力、スキル、体力、意欲、倫理観、リーダーシップをもとに、
高橋信之氏、高橋正子氏という水煙のトップの下に居るスタッフ(臼井)が、
如何にしてトップからの情報を末端にまで行き渡らせるかが、今後の課題である。

次に、水煙という組織の未来の展望を踏まえて、
意思決定のコミュニケーションのためのルールや仕組みが再構築される必要もある。
それを行うにあたって気をつけるべきことのポイントとして、平野氏は、「組織メンバーの情報処理負荷が、
情報処理能力を越えてしまわないように組織設計をしていくこと」を挙げている。
これは、水煙の新体制以降、高橋信之氏が提唱されている、
「少人数でもやっていける仕事に縮小する」という事に重なってくる。

女性の少人数を中心にしてもじゅうぶん動かしていける、小さくても堅固な組織作りが、
これからの水煙のために行われるべきことであろう。

※平野雅章
1949年生
早稲田大学教授
経営情報学会会長(2005年度・2004年度)

○日本経済新聞6月12日朝刊、「秋葉原無差別の殺意(下)」

2008-06-28 14:06:55 | Weblog
先日、東京秋葉原で起きた無差別殺人は、社会を震撼させる出来事だった。
水煙誌8月号の「選後に」で、高橋正子先生も触れておられる、「仮想と現実の錯綜」が関係している事件と思われる。
日本経済新聞六月十二日朝刊、「秋葉原無差別の殺意(下)」の記事には、
秋葉原の街が、ある人たちにとっては仮想と現実が交錯する異空間となっており、
「何でもあり」の無法地帯となっている現実が紹介されていた。
この、無法地帯というのは、私たちが普段使っているインターネットの世界にも当てはまる言葉だ。
インターネットは便利な手段ではあるが、あくまでも、現実の生活でできないことを補填する手段である。
また、使い方を間違うと危険なものにもなりかねないことを忘れてはならない。
水煙は、インターネットに取り組み始めた当初より、高橋信之先生が、そのセキュリティの構築のために心を砕いておられる。
私たちが水煙ネットに安心して参加できるための、目に見えない部分の恩恵があることを忘れてはならないと思う。
この、セキュリティは、水煙誌8月号の表紙裏、高橋信之先生の「私たちの俳句」にあるように、
「少人数」の仲間だからこそ守れるものでもあるのだろう。

「秋葉原無差別の殺意(下)」の記事は、
秋葉原再開発にかかわった、産学連帯推進機構の妹尾堅一郎理事長の、以下の言葉で結ばれている。
「今後は人を集めるだけではなく、安全に帰す街になる必要がある。
ここに集う人が自主的に団結し、街を守ろうとする動きが出ることを期待する」
この言葉を借りれば、水煙という場所が、人を集めるだけの場所ではなく、
集う人の安全に配慮する場所になるように、今後も、そのセキュリティが重視されることは間違いない。
そして、水煙に集う私たちの連帯感がセキュリティの一端を担うのだという事を、
一人一人が自覚することが大切だと思われる。