精神疾患と闘病中のグタグタ記録

2011年から通院記録と療養生活を書いてます

ご無沙汰

2013-03-16 02:33:39 | 日記
すっかり放置してました。笑

ここでは色々と書きましたが、
悲しいかな、記憶や想いは少しずつ色褪せていく
今日この頃です。

お陰さまで嘘みたいに寛解し、
日常生活を過ごせてます。

また、年明け早々、妊娠しました。

最初に私を懸命に治療してくれたH先生、
突然お別れの挨拶すらなしに病院を去ってしまい
本当に辛かったし悲しかった。

転勤先まで一人旅したかった。

だけど がむしゃらに毎日を過ごしていたら
そんな事すら考えなくなってきてます。

どんな医師だったか忘れてきてる薄情さ。苦笑

結局そんなものなんだろうな。

H先生だって とっくに私を忘れてるだろうから。

私にとって一人の医者だけど、H先生にとっては
数多くのうちの患者で、二年前の患者なんか
もちろん覚えてないしね。


もう心療内科や精神科に関わる機会はないだろうから、
今まで通院してた病院は行かないだろうし。


もしH先生が転勤せずに健在してたら、
今とは違う人生だったし、通院してたかも知れない。

だけど、転勤したから私は寛解したし、
薬漬けを免れて医者に依存しないで自力で立ち上がれた。
失った人間関係は沢山いたけど。


今は新しい生命を無事に誕生させることに
専念してます。

今のワタシを伝えたいけど、
こんな風に過ごすのが何よりの願いだろうから

ありがとう。さようなら。

Send a Letter

2012-09-28 04:40:49 | 日記
あれから早く流れで時は無情にも過ぎ去り、
あなたとの思い出は風化しています。

気づけば唸るような暑い日々が
夜風が肌寒い季節となりました。

肌寒くなってきた今、
無意識に あなたを思い出します。

遠くの地に行ってしまった事、
今ここにはあなたがいない事、

ゆっくりゆっくりと受け入れているけど、
どこかで物足りず、寂しい自分がいます。

歳のせいなのか、精神的ショックで記憶が曖昧なのか、
定かではないけれど

あなたとの記憶が薄れて思い出せません。

良いことなのか、悲しいことなのか、

だけど私はあなたにとっては
One of themに過ぎないから

長くは時間が共有できないし、
そもそも短かったから

これで良かったのかも知れない。

あなたがいなくならなければ
今頃わたしはどんな風だったんだろうと
考えるときもあるけど、

今の環境になったのは
紛れもない事実だし、
あなたのお陰でわたしは生命が救われた事は
わたしにとって感謝してます。

わたしは自分で取り戻せたし、
一人で前向いて歩けました。

あなたが居続けたら
それは難しかったかも知れないから
今があって良かったと心から思えます。


沢山迷惑かけて ごめんなさい。
大変お世話になりました。


時々忘れてしまうけど、
いつか完全に忘れるかもしれないけど、
なるべく忘れないようにします。


いつまでも変わらないでいてください。
いつまでも お元気でいてください。

これがわたしの願いです。

もう二度と会えないけど、
いつかそう来る日が早まったんだと
言い聞かせてます。


お元気で…

通院@心理検査3日目

2012-07-05 21:36:43 | 日記
昨日は心理検査最終日だった。

朝が中々起きられず、ギリギリまで寝てしまい、支度や出発もギリギリだった。

予約時間ギリギリに病院に到着し、臨床心理室へ。
その日こそは ロールシャッハをやった。

インクの模様が何に見えるのかを答える作業を全部で10門あった。
頭をフル回転するので、かなり疲れた。
心理士の面談込みで二時間かけて行い、
ロールシャッハをする前にやった、気分の症状などの心理テストの検査結果を確認した。
初診の頃に比べたら落ち着いていたのがわかった。
抑鬱、怒りの数値が平均値、活力が上昇していて平均値だった。

初診の頃は抑うつ、怒りの状態がひどく、活力がなくて大うつだったからだ。
その状態を快復させてくれたのが元主治医、心理士だった。

年明けまでお世話になったけれど、根気よく治療してくれて感謝してます。
お二人がいなかったら今の私はいないし、
どれだけ支えられていたのか今になって痛感してます。

一年前は今でも変わらず担当してくれて治療してるかと思ってた。

だけど、年明け早々に元主治医は突然いなくなり、春に退職し転勤する事を代理の医師から知ってショックが半端なかった…
何も挨拶しないで お別れになっちゃったから…


未だに寂しくて辛くなる。

また、心理士も変わっていたのが分かり、今の心療内科医に聞いたら休職してる事を知った。

みんなわたしからいなくなる。
大好きだった、通院先から信頼していた医師が去っていく。

あの頃には戻れないのは分かってるし、時間が過ぎてるんだな…

明日や未来の保証はないんだなって改めておもった。


だけど、わたしはいつか元主治医の転勤先の場所へ一人旅出来たら良いなぁ
修学旅行、過去に遠距離で付き合っていた前彼を訪ねて以来
行ってないからなぁー。

自分の故郷と正反対の場所だし、何の接点がないから二度と会うことはないだろうな。

って、元主治医の話になっちゃったw

今の主治医に不信感はないけど、通院先にしがみつく必要もないから
これを機に思いきって転院したいな…

通院先が自宅の近所にあるから、色々思い出す。
だから引っ越しもしたいな…

できるだけ遠くに引っ越したい。
思い出さない場所に。

通院@心理検査2日目、心療内科(7月3日)

2012-07-05 01:38:46 | 日記
まずは午後1時頃に心理検査。

宿題的に持ち帰った心理検査の書類を提出して、
臨床心理士がすべて目を通してカウンセリングをした。

生い立ち、家族構成を聞かれて返答。

父親とはマズマズな仲だが、ぶっちゃけ母とは不仲で苦手なのだ。
生育環境からにしてドロドロしているのでビックリされた。
母親のアグレッシブな性格、攻撃的にされ続けた事など…

ほいで、職場環境も劣悪だったため、八方塞がりな状況が今まで我慢しすぎて病気になったのが分かってきた。

そして、わたしの受け身な性格。
周りに気を遣いすぎて疲労が身体に溜まるそうな。
常に緊張状態が続いていたし、そんな生活を余儀なくされているから
精神疾患、心身症になっても仕方なかったのだ。

心身ともに悲鳴を上げているし今でも悲鳴が鳴り止まない。

それにたいして改めて痛感した。


一時間かけてのカウンセリング、心理検査を終えて、
心療内科を受診。

三分間で終了www

早く扁桃腺を摘出しましょう的な感じだったw
私の場合は特に熱が出ると厄介な体質なので、体調管理に助言をくれた。

イライラはないのか?と聞かれたけど、全くありませんと返答。

ナゼか心療内科医が大笑いして笑い転げていた件。
で、「診察中に笑っちゃ良くないよな~」と、ブツクサと独り言を話していたから、
元主治医からよく大爆笑されたとフォローして、
話が元主治医の出身地になっていた件。

余りにも診察時間が短すぎて爆笑したら、
「良いこと」なのだそう。
それくらい快復してるのだそうな。

心理検査がグダグダだったから結果がバカ丸出しだと思うと話すと、
「検査結果を楽しみにしてるよ」と、弄られ、

医師が髪の毛切ったから突っ込むと
「家が火事になったから髪の毛がチリチリになった部分を切った」
と、2、3回言われて弄られた件。

わたし、おちょくられてるよ、完全に…


病気だから…??

2012-07-02 23:35:20 | 日記
元々の性分が気にしやすい性格で
些細な事、過ぎたことに対してクヨクヨしていた。

いつしかそんな性分でさえ抑え付けていて、必死に耐えた。

強くなりたかったし、強かに生きたかったから。


だけど、最愛の祖父の急死が私にとっては
かなり大きな傷になった。

唯一の味方で支えてくれていたからだ。


祖父の急死の惨劇は今でも忘れられない。
意識朦朧としながらも懸命に祖父は生きようとしていた。
懸命に呼吸をしていた。脈拍も。

色んな危機と九死に一生を得て生き長らえていた祖父だったからこそ、
明日はきっと会話が少しでも話せる、
意識が少しでも戻ってくれるだろう、
わたしに気付いてくれて喜んでくれて快復してくれるだろうと
願っていた。


だけど、見事に願いは叶わず、祖父は永眠した。

翌朝の早朝、祖父の入院先から電話があり、
急いで向かったけれど遅かった。


すでに息を引き取っていて、管などが外されていて、
医師と看護師が佇んでいたからだ。

その光景が全てを物語っていた。

祖父が硬直していて、息をしていなかった。

母と祖母が親族に訃報の連絡をしていて
わたしは祖父のそばにいた。

祖父の弟の大叔父が葬儀などの手配をして、

祖父のお見舞いが1日で一気に変更になり
葬儀になり、今生の別れとなった。


何にも会話が出来ずに。


最後の会話、会ったのが前の年の年末になる頃、
半月ほど帰郷して祖父と過ごし、
また会えると当時は考えていて…
祖父が「気を付けて帰れよ」
と。

それが最期だった。


祖父との今生の別れがトラウマになり、それ以来
大切な人、身近な人(自分にとって信頼する人)との
突然の別れが今でも受け入れられない。


最近で言えば、例の元主治医。

色々あったけど、見放されずに向き合ってくれたから
心から信頼していた。
だから、元主治医の治療のお陰で快方に向かっていたから
これからも通院して治療に励もうとしていた矢先に、

無言の別れになった。


お礼すら本人に伝えられず、届かず、
本人から転勤される話すらされず…
突然いなくなり、そのまま退職された


祖父の急死とのシチュエーションに何となく似ていて、
かなりショックを受けてしまっている。

今はだいぶ落ち着いたが…

ものすごく辛かったときは、ただただ時間が解決するのを待ち望んでいた。

辛いのは私だけじゃないのは分かってるが。


祖父の急死でトラウマになって病気になった
わたしを配慮して敢えて話さなかったのだろうけど、
せめて本人からきちんと伝えて貰いたかった。

私もそこまでバカじゃない。

転勤が決まってる以上は遅かれ早かれ伝えなきゃならないのだから…


あくまでも私個人の考えだが。


だけど私ばっかり我を通すのはナンセンスで、
過ぎてしまった事、起きてしまったことを
グダグダとアレコレ考えても仕方ない。

だから割り切るしかない。


そう考えるようになるまで時間がかかった。

自分でもビックリするくらい。

だけど、たまーに元気で頑張っていらっしゃるのかなとか
考えるけど。

本人は私なんかすっかり忘れてるだろうw


いつかまた再会出来たら良いなと思う。

可能性はないけど。


時間がもっともっと経てば今より落ち着いていて、
もしかしたら病気も寛解するかも知れない。


わたしのやるべき事は焦らず治療をして病気を治癒する事なのだから…


わすれると前の記事に書いたけど、
それは難しいし、信頼できる医師に出会えたことに感謝しなきゃだと
いつも思ってる。


私は運が良すぎて恵まれたのだと。


皮肉だけど、失って初めて気付くものなんだなと改めて痛感した。

だから、今の通院先や医師とも恵まれてるのかも知れない、
ただ自分が気付いてないだけで。

ちょうど一年前は手応えみたく感じていた。
信頼できる医師だなと。

だから、もう少ししたら当時みたく考えられるようになるかもしれない。
多分ね。


H先生、わたしは元気だよ♪ヽ(´▽`)/

辛いことがあっても笑ってるよ、笑う門に福来るだから。
本来の私が少しずつ取り戻せてるから大丈夫。

先生のお陰だよ。

道産子ナメんなよ根性で奮い立たせてるよ。