1890年(明治23年)から1956(昭和31)年までの66年間
高崎の街中を木造の路面電車(伊香保軌道)が走っていたのだそうです
確かに、父母や生前の祖父母は
「赤羽楽器の前の道には(現:田町通り)路面電車が通っていて『チンチン電車』とか『ガタ電』と呼ばれ市民の足になっていたのだよ」
とよく話して聞かせてくれていましたが
私は実際には、車が行きかっている通りしか見たことが無いので
この道を電車が通っていたなんて、想像できなかったのです
それが 今回、このような写真をいただき
「本当だったのね~ こんな感じだったのね~」
と いっきに想像の世界から現実の世界へと理解が深まりました
本当に赤羽楽器の目の前を路面電車が走っていたのですね
こちらは現在の赤羽楽器の前(ほぼ同じ構図)です
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高崎の街中を木造の路面電車(伊香保軌道)が走っていたのだそうです
確かに、父母や生前の祖父母は
「赤羽楽器の前の道には(現:田町通り)路面電車が通っていて『チンチン電車』とか『ガタ電』と呼ばれ市民の足になっていたのだよ」
とよく話して聞かせてくれていましたが
私は実際には、車が行きかっている通りしか見たことが無いので
この道を電車が通っていたなんて、想像できなかったのです
それが 今回、このような写真をいただき
「本当だったのね~ こんな感じだったのね~」
と いっきに想像の世界から現実の世界へと理解が深まりました
本当に赤羽楽器の目の前を路面電車が走っていたのですね
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