■昭和天皇が靖国神社を参拝しなくなった原因は以前から、諸説、語られていたが、富田朝彦・元宮内庁長官が残していたメモの中から、昭和天皇が参拝を中止した主な原因が、A級戦犯合祀である可能性が濃厚になってきた。
■参拝中止の諸説には、記事にあるように ―(1)78年のA級戦犯合祀 (2)対外関係の考慮 (3)公人私人問題 ― があった。この説のどれが正しいかは、天皇自身が直接語る事は無かったので、我々は想像で語る事しかできなかった。しかし、富田メモによって少なくとも昭和天皇は、A級戦犯合祀に否定的だった事は、うかがい知る事ができる。
■天皇が自らの意志によって行動することが、許されているのかどうかはよく分からない。もし天皇が、自らの意志で自らの行動を決定することが出来るとするなら、A級戦犯合祀が靖国参拝中止の直接的な原因と考えられる。
しかし、天皇は、超然的な立場であるので、恣意的な思惑で、行動出来るのかいささか疑問である。自らの行動を決定するためには、それなりの理由がいるのではないか。ただ嫌悪するという理由だけで、行動を取りやめるということは考えづらい。
私の想像では、天皇の意を汲んだ、宮内省の役人たちが、表向きの理由(これも公然とは語られない)は、天皇の超然的な立場から、「国論を二分しているような問題に関わりを持たない」。として天皇の意思と超然的な立場の両立を図ったのではないだろうか。そのために、諸説が入り乱れて存在する事になり今日に至っているのではないか。
■この問題は天皇がはっきりと自らの意見を表明しない事から端を発している。その為に人々が自らの政治的な思惑を反映させる説を選択して、論争する事になる。これは、天皇の意思をお墨付きとして、自らの政治的な思惑を正当化する為の天皇利用と言えるだろう。
■現在、主権は国民にあり、天皇は象徴にしか過ぎない。しかし、そうであっても天皇の発言は多大な影響を及ぼす事は否めない。その為に、天皇や皇族は超善的な態度や立場を求められる事になり、はっきりと自らの考えを表明する事は殆んど無い。
そこに、天皇を利用しようと考える者(いかなる政治的立場であれ)が付け入る隙がある。以前の天皇継承問題であっても、「昭和天皇は、側室制度を廃止したのだから、女系を認めている」。とか「男系維持を望んでいた」とか、双方の陣営が様々な資料から論争していた。しかし、昭和天皇が如何なる意見を持とうが国民に主権がある以上、本来は関係が無い。この論争の仕方も天皇利用にしか過ぎないと言える。
■天皇の意思は主権者である我々にとって無価値なものであるはずだ。しかし、天皇の意思は、天皇を日本の伝統・文化の当体(日本は神の国)であると、主張している人たちには重要である事は間違いない。彼らの主張で考えれば神である天皇の意思を、無視する事など出来るはずがないからだ。
だが、彼たちは天皇の意思であっても無視するだろう。なぜなら彼らの殆んどは、天皇利用者であり御都合主義者にしか過ぎないからだ。私(自我)を捨てて公(天皇)と一体化せよと言うなら、(少なくとも天皇の意思に正当性を求めるなら)「私の意見は違うが、陛下がおっしゃられるならそれに従う」と言わなければならない。これが個を捨てるという事ではないか。
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― 以下参考記事 ― (一部省略)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060720-00000062-mai-soci
<昭和天皇>靖国合祀不快感に波紋…遺族に戸惑いも
「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」。富田朝彦・元宮内庁長官が残していた靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)への昭和天皇の不快感。さらに、合祀した靖国神社宮司へ「親の心子知らず」と批判を投げかけた。昭和天皇が亡くなる1年前に記されたメモには強い意思が示され、遺族らは戸惑い、昭和史研究者は驚きを隠さない。A級戦犯分祀論や、小泉純一郎首相の参拝問題にどのような影響を与えるのか。
■A級戦犯の遺族 「信じられない。陛下(昭和天皇)のお気持ちを信じています」――A級戦犯として処刑され、靖国神社に合祀される板垣征四郎元陸軍大将の二男の正・日本遺族会顧問(82)=元参院議員=は驚きながらも、そう言い切った。 正氏は昭和天皇が参拝を中止したのは、A級戦犯合祀とは無関係だとの立場を崩さない。「三木(武夫)総理(当時)が昭和50(75)年に現職首相として初めて参拝し、その秋の国会で論議になったため、陛下はその後参拝できなくなったのだと私は思うし、さまざまな史料からも明らかだ。A級戦犯合祀は、陛下の参拝が止まった後のことだ」と話す。
その上で「(富田元長官が)何を残され、言われたかは関知しない」と言った。 同様にA級戦犯として合祀される東条英機元首相の二男輝雄氏(91)=元三菱自動車工業社長=は「そんな話、いまだかつてどこからも聞いたことがない」と繰り返した。「信ぴょう性が分からない以上、言いようがない。個々の動きでいちいち大騒ぎしても仕方ないよ」とコメントを避けた。
■識者は 昭和史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さんは「昭和天皇は東京裁判の結果を容認し、A級戦犯合祀はおかしいと判断していたから、想像できる範囲ではある」とし、影響について「参拝に反対の立場の人たちからは『昭和天皇でさえも否定的』という声が強まるのではないか。小泉純一郎首相と昭和天皇は靖国について考えが違うことがはっきりした。首相は参拝するのであれば、昭和天皇の判断に、政治の最高責任者として戦争について見解を改めて述べる必要があるのではないか」と語った。
一方、一橋大大学院社会学研究科の吉田裕教授は「徳川義寛侍従長の回想で示唆されていたことが確実に裏付けられ、松岡洋右元外相への厳しい評価も確認された。今後は分祀論にはずみがつく。小泉首相も、少なくとも(終戦の日の)8月15日に参拝をしない理由になるのではないか。首相の参拝には多少の影響はあると思う」と話した。
日本近現代史に詳しい小田部雄次・静岡福祉大教授は「昭和天皇の気持ちが分かって面白い」と驚き、「東京裁判を否定することは昭和天皇にとって自己否定につながる。国民との一体感を保つためにも、合祀を批判して戦後社会に適応するスタンスを示す必要もあったのではないか」と冷ややかな見方を示した。その上で「A級戦犯が合祀されると、A級戦犯が国のために戦ったことになり、国家元首だった昭和天皇の責任問題も出てくる。
その意味では、天皇の発言は『責任回避だ』という面もあるが、東京裁判を容認する戦後天皇家の基盤を否定することもできなかったのではないか」と話した。
◇内容を精査し、冷静な分析必要
天皇の靖国神社参拝は1975年11月21日に昭和天皇が行って以来、今の天皇陛下も含め行われていない。同神社や遺族側は、その後も「天皇参拝」を求めているが、30年以上途絶えたままだ。これまでいくつかの理由が推測で語られていたが、今回の「富田元長官メモ」は、このうちの一つを大きくクローズアップした。 宮内庁によると昭和天皇は、終戦に際し45年11月に同神社を参拝。その後も数年おきに訪れ、75年までに戦後計8回参拝した。また、今の天皇陛下は皇太子時代、69年までに戦後計4回参拝している。
途絶えた理由に挙げられるのは(1)78年のA級戦犯合祀(2)対外関係の考慮(3)公人私人問題――など。靖国参拝推進派はこのうち(3)を取り上げることが多い。
75年8月、三木武夫首相は「私人」の立場を強調して参拝。同年11月の天皇参拝では、政府は「天皇の私人としての行為」と国会答弁した。この点につき、「公人中の公人」の立場を昭和天皇が熟慮して、その後の参拝を取りやめたとの考えだ。 だが、今回のメモは(1)が大きな理由だったと読める。天皇参拝を求める以上、遺族側でもこの発言を理由に、A級戦犯分祀論が強まる可能性がある。
一方で、メモで取り上げられている松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使への昭和天皇の思いを考慮する必要もある。「昭和天皇独白録」で、松岡元外相について「恐らくは『ヒトラー』に買収でもされたのではないかと思はれる」と辛らつに評価。白鳥氏が担当した日独伊三国同盟にも不満を述べている。信任していたとされる東条英機首相や木戸幸一内大臣らと比べ、冷ややかに見つめていたのは明らかで、それが発言に反映している可能性も否定できない。
また、合祀されているA級戦犯14人の多くは陸海軍幹部で、2人は元々からの外務官僚。軍人でもなく、戦死でもなく、靖国神社にまつられることに違和感を語る向きもあった。昭和天皇が何を問題と感じ、それを今後我々がどうとらえていくか。内容について全文を精査し、冷静に分析していくことが必要だろう。【大久保和夫、竹中拓実】 (毎日新聞) - 7月20日14時12分更新
日本の伝統なんだかなんだか。
>旧軍というか、皇道派なんかもそうでしたね。 日本の伝統なんだかなんだか。
理屈も何も「陛下の軍隊」って言えば済むんですから楽ですよね。
天皇利用は異論を黙らせるのには調度いい。「気合が足らん」と似てますね。
これを合理的に考えなければならない責任者が言い出したら、たまりません。