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愛国心教育について -「教育基本法改正案まとめる」-

2006-04-13 23:53:29 | 靖国神社・愛国心・天皇問題

■与党は、かねてよりの懸案であった、教育基本法改正案をまとめたようだ。この法案の作成過程で注目されていたことは、「愛国心」「宗教的情操の涵養」の文言を入れるかどうかという事である。

■この、まとめられた法案では、愛国心は「わが国と郷土を愛する態度を養う」となり、宗教的情操の涵養は記載されなかった。記事によれば現在の教育基本は個人の権利尊重を強調しすぎているから、それを修正するために法改正をするらしい。

■問題となっている現在の教育基本法の第一条(教育の目的) を見てみると、

「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。 」

となっている。この条文を読む時に、個人の権利尊重を強調しすぎるという印象を受けない。この文言の中に、「平和的な国家及び社会の形成者として」とあるように、国家の成員としての枠組みも考えられており、社会的連帯を軽視しているようには見えない。

また、読売の社説にあるように、「改正法案には勤労精神の涵養を盛り込む」と何か今まで無かった新しい条項を入れるかのように書かれているが。現教育基本法においても「勤労と責任を重んじ」となっているように、勤労と責任に対する文言もすでに書かれている。

このことから、社説にあるような、現教育基本法が社会的配慮を欠いた自分勝手な生き方を奨励しているとは、とても考えられない。

■現在の教育基本法を見た時に、なぜこれを改正するのかという疑問が浮かぶ。現在における教育基本法においても、社会の一員としての教育をすることは十分に可能であり、実際に行なわれているのではないか。

教育基本法が悪法であるがゆえに、現在のような日本の姿になったとするのは、いささか的外れな考えではないのか。ライブドア事件や少年の犯罪(少年犯罪それほど増えていない)に結びつけるのも強引すぎて首を傾げる。

■「愛国心を教えることを否定的にとらえる国など、日本以外にない。」と書かれているが、それは当然である。我が国の歩んだ歴史や文化が他国とは違うのだから、当然、他の国とは愛国心という言葉のとらえ方も違ってくる。

■日本においては国=統治機構という考え方が根強く残っているので、国という言葉を、挿入する場合に過敏に反応するのは当然なものであり、別に異常なことではない。社民党や共産党を持ち出すことによって、特異な考え方であるといいたいのだろうが、国家が愛という個人の精神を法律で規定しようとしていることに、権力の監視人としての役割を持つマスコミが、手放しで肯定していることのほうが、よほど異常な姿であるのではないか。

■「戦後の平和国家としての歩みを見ても、わが国が「戦前の教育」に戻る可能性は、微塵(みじん)もない。」と言うのも、なぜここまで楽観的に考えられるのかよくわからない。読売新聞の社説を書いた人は、国家=善という、国家性善説に立っているのだろうか。

国家(この場合は、統治機関)が民衆を抑圧した歴史があるからこそ、国家の暴政を抑制するために、憲法が作られたという経緯がある(日本においては近いところで、戦中の言論統制や治安維持法等)。それから考えても、戦前の教育に戻る可能性は微塵もないと、言い切る自信は何に由来するのだろうか。 今まで平和路線をとってきたからと言ってなぜ、それが変わらないと無邪気に言えるのか

■愛国心教育をする場合には、憲法教育(九条云々というものではなく、人類がいかに憲法という概念を獲得したかという歴史教育)も同時並行的に学習する必要があるだろう。憲法とはどういうもので、いかにして形成されたかを学ぶことによって、国家が民衆を支配するのではなく、民衆が国家を支配するということを教える必要がある。

■それをせずに、国家が民衆を支配するという前提のもとに愛国心教育が行われれば、近い将来、全体主義的な教育に戻ることは間違いないと思う。  

以前に書いた愛国心に関する記事  





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-以下引用記事-
http://www.sankei.co.jp/news/060413/sei097.htm
与党、教育基本法改正案まとめる
自民、公明両党は13日の教育基本法改正検討会(大島理森座長)で、教育基本法改正案をまとめた。改正案は、前文に「伝統を継承」「公共の精神を尊び」と明記。教員に「自己の崇高な使命」の自覚を求めている。

個人の権利尊重を強調しすぎていると批判が強かった現行法を修正する内容だ。与党案は前文と17条からなっており、現行法(前文と11条)にはない「教員」「家庭教育」「幼児期の教育」「生涯学習」の関連条項を追加した。現在の教育環境に合わせた内容が取り入れられている。「義務教育」に関しては、「6・3制」にとらわれない多様な教育が実践されつつある実情を踏まえ、現行法の「9年」という年限を削除した。

日教組などが国旗掲揚、国歌斉唱への反対運動を展開する根拠としてきた「教育は、不当な支配に服することなく」との条文(現行法10条)は、そのまま残った。自民党が盛り込むよう求めた「宗教的情操の涵養(かんよう)」も見送られた。また、「愛国心」の表現は入らず、これに代わり「わが国と郷土を愛する態度を養う」との文言が盛り込まれた。(04/13 21:34)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060412ig90.htm
4月13日付・読売社説(1) [教育基本法]「区切りがついた『愛国心』論争」国を「愛」するのか、「大切」にするのか
与党内の「愛国心」論争に、ようやく終止符が打たれた。自民、公明両党が教育基本法改正を巡る検討会を開き、改正案に盛り込む「愛国心」の表記について合意した。与党は党内手続きを急いだ上で、改正案を早期に国会に提出し、今国会で成立を図るべきだ。合意した表現は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」というものだ。「…とともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」と続く。

愛国心を巡っては、自公両党が自説を譲らず、平行線をたどってきた。「国を愛し」を求める自民党に対し、公明党は「戦前の軍国主義、全体主義的な教育に戻る印象を与える」とし、「国を大切にし」を主張した。反対の理由に「『国』だと『統治機構を愛せ』の意味にもなる」「『愛し』は法律になじまない」と指摘することもあった。

「国」も「愛し」も残った点は、公明党が歩み寄った。自民党は、「伝統と文化をはぐくんできた我が国」と読めるようにして「統治機構」と無関係であることを明確にし、公明党に配慮した。「愛国心イコール戦前の教育」との考え方は共産、社民両党も主張している。民主党内にも、旧社会党系議員を中心に同様の意見が根強い。だが、愛国心を教えることを否定的にとらえる国など、日本以外にない。戦後の平和国家としての歩みを見ても、わが国が「戦前の教育」に戻る可能性は、微塵(みじん)もない。

そもそも、不毛な論議に終始していられるほど、日本の教育は楽観できる状態にない。戦後間もない1947年に制定された現行法は、「個人の尊厳を重んじ」などの表現が多い反面、公共心の育成には一言も触れていない。制定当初から、「社会的配慮を欠いた自分勝手な生き方を奨励する」と指摘する声があった。青少年の心の荒廃や犯罪の低年齢化、ライブドア事件に見られる自己中心の拝金主義的な考え方の蔓延(まんえん)などを見れば、懸念は現実になったとも言える。

自公両党は、改正案に「公共の精神」を明記することでも合意している。「親こそ人生最初の教師」との考えから「家庭教育」の条文も新設し、ニート(無業者)の増加を念頭に、「勤労の精神の涵養(かんよう)」を盛り込む。日本社会の将来のしっかりとした基盤を作る上で、極めて重要なことだ。教育基本法の改正は時代の要請である。(2006年4月13日2時47分 読売新聞)


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