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早川雪洲

2012-05-03 19:04:49 | 映画俳優、映画女優
早川雪洲

日本生まれ、千葉県安房郡千倉町出身。
裕福な網元の子として生まれ、海軍予備学校を卒業後、
海軍兵学校を受験するが不合格となり自殺未遂を起こす。
体調の回復後渡米し、シカゴ大学で学ぶ。大学卒業後、
ロサンゼルスのリトルトーキョーの劇団で脚本を書き、
舞台にも立つ。それが認められ、
1915年、セシル・B・デミル監督作品「チート」に出演、
冷酷な日本人青年を演じ一躍、トップスターに。
1918年には、自らのプロダクション・カンパニー
「ハリアス・ピクチャーズ」を設立。ハリウッドを代表する
日本人映画人としてその名を馳せる。絶大な人気を誇り、
自宅の豪邸では連日連夜のパーティを催し、
多くの同時代の映画人と親交があり、
伝説の美形スター、ルドルフ・ヴァレンチノが、
雪洲の邸で働いていたことがある。

排日感情の高まりや映画会社との軋轢などもあり、
ハリウッドを去り、世界各地を巡業、英国国王ジョージ5世に
招かれたり、パリで舞台に立つなど、舞台俳優として活躍。
また、23年、フランスの大作映画「ラ・バタイユ」に出演、
32年には日本映画にも出演。37年、日独合作映画
「新しき土」では、原節子の父親役を演じる。
その後、撮影のためヨーロッパに渡航したのち、
第2次世界大戦が開戦。行方が知れなくなる。
戦後、ハンフリー・ボガートが新作映画に雪洲の出演を
強く希望し、パリに在住していた雪洲を見つけ出し、
「東京ジョー」で共演。
57年、「戦場にかける橋」では日本軍の斉藤大佐を熱演。
日本人俳優として初めて、アカデミー助演男優賞に
ノミネートされる。ゴールデングローブ賞にもノミネートされ、
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞を受賞。

1914年に女優の青木鶴子と結婚。

戦場にかける橋(1957)


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