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アルフレッド・ヒッチコック

2012-05-26 23:36:07 | 映画監督
アルフレッド・ヒッチコック

1899年にロンドン生まれる。カトリックの寄宿学校に入学し、
孤独な幼年期を過ごす。学校を卒業した後、
ケーブル会社の広告デザイナーとなり、その後、
ロンドンの映画会社で働き始める。20年に
イズリントン・スタジオで仕事を得、サイレント映画の
タイトルデザインを担当。25年には、
ゲインズボロー・ピクチャーのマイケル・バルコンに
処女作の「快楽の園」を監督する機会を与えられる。
多数の才能が多くの機会を得る中、ヒッチコックは急速に台頭。
その三作目、切り裂きジャックをモデルにした作品で、
「下宿人」は27年に公開され成功。
29年にヒッチコックは十作目の「ゆすり」の制作、
「ゆすり」は、撮影中に製作会社は同作をイギリス最初の
トーキー映画にすることを決定。
33年には再び、ゴーモント=ブリティッシュ・ピクチャーに
移籍していたマイケル・バルコンと共に働き、
同社での初の作品「暗殺者の家」、続いて「三十九夜」を制作。
同作は初期の代表作と見なされている。
38年の「バルカン超特急」が大成功。
ヒッチコックの活躍はハリウッドから注目され、
デヴィッド・O・セルズニックの依頼で、
アメリカで映画製作を行うこととなる。

40年にヒッチコックはアメリカでの初作品「レベッカ」を制作。
同作の企画はイギリスで行われ、
原作もイギリスの作家、ダフネ・デュモーリアによるものであり、
作品はジョーン・フォンティン演じるヒロインが後妻として
入ったイギリスの屋敷での出来事を描くサスペンスで、
40年のアカデミー最優秀作品賞を受賞。

ロマンチック・コメディの「スミス夫妻」から暗いサスペンスの
「疑惑の影」、イングリッド・バーグマン主演「白い恐怖」
「汚名」、50年代以降も、グレース・ケリー主演「泥棒成金」
「ダイヤルMを廻せ!」、「裏窓」、名作、「北北西に進路を取れ」
「サイコ」などを発表。

26年にヒッチコックはアシスタント・ディレクターの
アルマ・レヴィールと結婚。
二人の間には28年に娘が生まれる。
アルマはヒッチコックの最も親密な協力者で、
何本かの脚本を執筆し、ヒッチコックの全ての作品の擁護者。

80年、エリザベス2世よりナイトの称号を授けられる。
その4ヶ月後に腎不全を起こしロサンゼルスで死去。

サイコ(1960)
北北西に進路を取れ(1959)
ダイヤルMを廻せ!(1954)
救命艇(1944)
レベッカ(1940)


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