荒木志水

Shizu Araki

ふりかえる

2008年03月03日 | webiog

 今日はオフ。100% オフ フッ フッ フッ フッ・・・
と、ルミ姉(若い女性向け百貨店“ルミネ”のイメージキャラクター。毎シーズン10%オフ フッ フッ・・・と、いうハガキをくれる。)
顔負けの不気味な笑いを自室にふりまき、まずは掃除機をかけるところ~

ちなみに、わたしの笑いはホラー系らしい。
彩子リハで、笑う稽古をし、頂いた評価。本人はホラー大っ嫌い★。


2月25日(月)を、振り返る

 踊場にある矢部小学校で、キムさんのWSアシスタント後、相模大野のデニーズにて、合田先生と会う。
「満月がなりやまない」の作品コメント原稿をいただこうと思っていたのだが、人生相談になってしまった。大人になるって、人様に言えないことが増えるってことかもしれない。ひととき、おじいちゃんに甘えさせてもらう。

先生と向きあっていると、不思議な気分になる。
わたしはアマノジャクな性格だ。人と異なることを求めているのかもしれない。見るもの、聞くもの、まず否定することからはじまることが多い。しかし先生の言葉はいつも、わたしの中に酷くすんなりと入ってくる。
約半世紀の差で生まれて、どうして今、この人と向き合っていられるのだろうと不思議に思うのだ。
踊りをはじめてから、わたしにとって合田先生の存在は、道に迷ったとき、たまに開く地図か、大切な道しるべみたいだ。


 お昼に4年1組で給食を食べたきりだったので、
以下、海老ドリアを食べつつとったメモより。


ー踊りを解釈する幅を広げる、深めるー
踊り(ダンサー)を見たら、その背後にあるもを見ろ。そのダンサーにとってダンスとはなにか感じることで、自分にとってのダンスがなんであるのかも分かるようになる。

前へ前へと進むだけでは、行き詰まる。自分の人生を振り返り、後ろから前に押し出すのだ。具体的には背面を鍛えること。
表面でしか表現できない(裏側から描けない)ダンサーは、舞台の空間性をつかむことができない。



ー身体を物質として素材化するー
体がどういうものであるかを知り、自分の手(やり方)で整備する。
目線を右から左に流す。足を前から後ろに移す。それを技術化する。

家に帰ったら、今日あったことを一人で振り返って復習する。
自分が体験したことを、どうやって形にするか。
自分の身体をどのように使用して表現するか。

例えば、嬉しかったとする。どんな形(ポーズ、動き)にしよう?
型のヒントは古典の中にある。しかしそれは他人のものだ。形を教わったり、真似するだけでは、自分のものにはならない。ふさわしいもを選び、自分の体にあうよう、カスタマイズする必要がある。

家に帰ったら毎日一つ、石を積み上げる。5年経ったらそれが壁になり、10年経ったら家になる。くり返し積み上げれば、それがわたしの技術になる。

外部(社会)を正確に把握するために、揺るぐことのない自分の場所をつくらなければならない。そこを基準にして尺をとるために。

「人のマネをするほど、オリジナリティー、独自のカラーは薄くなってしまう」
と、ユーミンがTVでいっていた。ぞ。と、父が教えてくれた。

自分の即応している社会、表現は、済んでからあとで気がつくような面がある。
そのときは分からない。気がつかない。
時期がきたら、無駄なものは切って一人になるように。と。



ー体づくりについてー
これは顔を見るたびに、いっつも言われること。
足の裏から、体の後ろ側に筋肉をつけ、正しい腰の位置をきめれば、軸は自ずと頭まで抜ける。体力がないのなら、なおさら急いで軸をつくらなければならない。軸が通れば無駄な動きがなくなり、省エネで踊れるようになるからだ。

日本のコンテは後ろに出さない。
回転も、後ろと前。均等に使えてはじめて成立する。
後ろをつくるには、腰を回すことだ。背筋がゆるみ、背中が使えるようになる。



ー先日見た「裸の夏」麿赤子さんの話しー
麿さんは体で苦労してきた人だそうだ。(病気などを乗り越えたという意味ではなく)
大駱駝艦の35年もの継続を支えているものはなんなのか?
麿さんはまず入団時、ダンサーに試練を与えるのだそうだ。裸になること。
裸はもはや、駱駝艦の技法(?)

ー裸についてー
舞台上、裸で“悲しみ”を表現することはできない。悲壮なメロディーを流し、うつむいたところで、やればやるほど滑稽に、観客は可笑しくなってしまう。



ー舞踊と現実社会ー
言葉で考えたものは、そのままでは舞踊になりえない。
それは言語でつくった幻想であり、身体で表現することはできない。

バレエは15cm上に、舞踏は15cm下に舞台をつくる。では、コンテは? 
上下とも0cmだろうか。