■乗馬とサクソフォーン
私の趣味はサクソフォーンです。サックスを習いたいと思ったのは、某ショットバーでの出来事がきっかけでした。花見の帰りに立ち寄ったショットバーで、客が一人ずつ出ていきました。そして、最後に私一人。すると、トランペット・サックス・ドラム・ピアノの奏者たちは、私に向かって「お客様のために演奏させて頂きます」と言って一礼。40分間、私に語りかけるように演奏して頂きました。
この間、誰一人として入店しなかったのは、ラッキーとしか言いようがありません。帰宅して後は、眠っていた家内を揺り起こして、その出来事を興奮して伝えたものです。このとき、耳に残った曲「ユード・ビーソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」を吹きたいと思って、ヤマハ・ミュージック・スクールの門を叩いたのが12年前。10年前にトライした乗馬は1年もたなかったのですが、サックスは未だに続いています。
馬は、乗馬の前後に、丹念な手入れが必要です。一方、サックスの手入れは簡単で、ものの30秒もあれば終了します。周囲の人達には、「この手入れの不要さが継続性に繋がっている」と煙幕を張っていますが、本当のところは根っからの音楽好きにあります。
「ケントス」(オールディーズのライブハウス)が松山市で閉店するときには、社長宛、閉店回避依頼のFAXを送りました。手紙で送ると社長にしか内容が伝わりませんが、FAXで送信するとスタッフの目にも触れることになります。そこを狙ったのですが、大成功。それ以降閉店まで、来店時にはVIP扱いで迎えて頂きました。おかげで、スタッフとの個人的な交際は、いまだに続いています。
最近、音楽の新たな楽しみが加わりました。サックスのヤマハ仲間が集うパーティーの開催です。言い出しっぺの私は企画も担当しており、参加者は初回が32名、2回目が35名と徐々に増え、フィーバー度も上昇中です。この様に、60歳になった今でも、大好きな趣味は、仕事を励むためのエネルギー蓄積器として位置づけ、時間を惜しむことはありません。
■何故、勉強は苦しいの?
一般に、人は、仕事や勉強は辛いもの、遊びや趣味は楽しいものと考えていますが、果たしてそうでしょうか。私は、仕事や勉強が辛いものであるという決め付けは、そのことを能動的に捉えていないため、受身的に従事しているから生じていると考えています。
もし、仕事や勉強を、遊びや趣味のように自分で選択したものを自分流にこなしていけば、充実感や達成感を得て苦痛から開放されるはずです。しかし、残念ながら、仕事は「職制上、与えられる」ものであり、勉強も「本人の立場上、義務付けられる」ものとなり、自分で選択出来る範囲が非常に狭くなっています。
「では、仕事や勉強は、自分でコントロール出来ないのでしょうか」と、貴方に問いかけるとしたら、貴方はどのように回答されるでしょうか。即座に「はい」と答えられる方は、現状容認派であり、あまりにも創造性の乏しい方です。このように考えられないでしょうか。例えば、仕事だと、上司から指示されている仕事・職制上遂行しなければならない仕事は、出来る限り早めに完了させて、自分で工夫して見つけた仕事、自分の才能を発揮出来る仕事の割合を増やすように努力するのです。
要するに、仕事することが楽しくなるように、仕事環境を可能な範囲で修正すれば、自分にあった仕事環境が整うことになります。学校教育や社内教育においても同様のことが言えます。本人が学ぶこと自体が楽しくなるように、学習環境(学ぶ当事者が主体者であることを考慮すると、教育環境というよりも学習環境の言葉の方が適切)を整えるのです。
したがって、「学習する本人がカリキュラムを組み立てる」「本人が好きなことを全体の7割・本人は嫌いだが立場上求められているものを3割」「周囲の人に自慢出来るほどの特別のスキルアップ」この三つの方向性を機軸にすえると、趣味のように楽しめる学習環境が整備されると思いますが、如何でしょう。
私の趣味はサクソフォーンです。サックスを習いたいと思ったのは、某ショットバーでの出来事がきっかけでした。花見の帰りに立ち寄ったショットバーで、客が一人ずつ出ていきました。そして、最後に私一人。すると、トランペット・サックス・ドラム・ピアノの奏者たちは、私に向かって「お客様のために演奏させて頂きます」と言って一礼。40分間、私に語りかけるように演奏して頂きました。
この間、誰一人として入店しなかったのは、ラッキーとしか言いようがありません。帰宅して後は、眠っていた家内を揺り起こして、その出来事を興奮して伝えたものです。このとき、耳に残った曲「ユード・ビーソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」を吹きたいと思って、ヤマハ・ミュージック・スクールの門を叩いたのが12年前。10年前にトライした乗馬は1年もたなかったのですが、サックスは未だに続いています。
馬は、乗馬の前後に、丹念な手入れが必要です。一方、サックスの手入れは簡単で、ものの30秒もあれば終了します。周囲の人達には、「この手入れの不要さが継続性に繋がっている」と煙幕を張っていますが、本当のところは根っからの音楽好きにあります。
「ケントス」(オールディーズのライブハウス)が松山市で閉店するときには、社長宛、閉店回避依頼のFAXを送りました。手紙で送ると社長にしか内容が伝わりませんが、FAXで送信するとスタッフの目にも触れることになります。そこを狙ったのですが、大成功。それ以降閉店まで、来店時にはVIP扱いで迎えて頂きました。おかげで、スタッフとの個人的な交際は、いまだに続いています。
最近、音楽の新たな楽しみが加わりました。サックスのヤマハ仲間が集うパーティーの開催です。言い出しっぺの私は企画も担当しており、参加者は初回が32名、2回目が35名と徐々に増え、フィーバー度も上昇中です。この様に、60歳になった今でも、大好きな趣味は、仕事を励むためのエネルギー蓄積器として位置づけ、時間を惜しむことはありません。
■何故、勉強は苦しいの?
一般に、人は、仕事や勉強は辛いもの、遊びや趣味は楽しいものと考えていますが、果たしてそうでしょうか。私は、仕事や勉強が辛いものであるという決め付けは、そのことを能動的に捉えていないため、受身的に従事しているから生じていると考えています。
もし、仕事や勉強を、遊びや趣味のように自分で選択したものを自分流にこなしていけば、充実感や達成感を得て苦痛から開放されるはずです。しかし、残念ながら、仕事は「職制上、与えられる」ものであり、勉強も「本人の立場上、義務付けられる」ものとなり、自分で選択出来る範囲が非常に狭くなっています。
「では、仕事や勉強は、自分でコントロール出来ないのでしょうか」と、貴方に問いかけるとしたら、貴方はどのように回答されるでしょうか。即座に「はい」と答えられる方は、現状容認派であり、あまりにも創造性の乏しい方です。このように考えられないでしょうか。例えば、仕事だと、上司から指示されている仕事・職制上遂行しなければならない仕事は、出来る限り早めに完了させて、自分で工夫して見つけた仕事、自分の才能を発揮出来る仕事の割合を増やすように努力するのです。
要するに、仕事することが楽しくなるように、仕事環境を可能な範囲で修正すれば、自分にあった仕事環境が整うことになります。学校教育や社内教育においても同様のことが言えます。本人が学ぶこと自体が楽しくなるように、学習環境(学ぶ当事者が主体者であることを考慮すると、教育環境というよりも学習環境の言葉の方が適切)を整えるのです。
したがって、「学習する本人がカリキュラムを組み立てる」「本人が好きなことを全体の7割・本人は嫌いだが立場上求められているものを3割」「周囲の人に自慢出来るほどの特別のスキルアップ」この三つの方向性を機軸にすえると、趣味のように楽しめる学習環境が整備されると思いますが、如何でしょう。