無言館のこと

信濃の丘の頂きにある遺された絵画の美術館です。60年前の若い画学生の青春と対話してみませんか?

図録 「無言館 遺された絵画」展

2005年06月30日 | Weblog
 
 巡回展「無言館 遺された絵画」展の第3会場・愛知展は、この週末限りとなりました。
7月3日まで、豊川市の桜ヶ丘ミュージアム(0533-85-3775、名古屋からJRまたは名鉄で約1時間)です。

 この巡回展の特徴の一つは、図録を求めて帰る方の比率が異常に高いことだと、どの会場もおっしゃいます。


 写真は、
原田 新 (山口県生れ 享年24)
のページです。

「祈り」の章の7番目に、
「自分が死んだらお経の代わりにこれをかけてくれと 言い残していったレコードが一日中原田家に響き続けた」というタイトルエピソード、
「妹・千枝子の像」など絵3点、
原田の写真と略歴、
そして妹・悦子さんのナマの言葉;「兄は大変クラシックが好きで・・(中略)・・朝まで泣き明かしたと聞いています」
が、配置されています。

 確かに、普通の図録と違います。作品だけがあって巻末に第三者の解説が記されるスタイルではありません。作品を見て、生きざまやエピソードを読んで、もう一度作品を見て、対話する・・・・・そのために編集された図録なのですね。
 繰り返しページを開きたくなる逸品です。


愛も才能も・・・・「無言館 遺された絵画」展から

2005年06月27日 | Weblog
 
久保 克彦 (山口県生れ 享年25) 遺品の「服飾デザイン」から(部分)


 あの時代に、なんと明るいオシャレで生き生きしたデザインだと思いませんか?

 久保の親友・原田新の妹・千枝子さんは、
出征の直前に久保から受けた告白を正面から受け止められなかったことを、ずーっとくやんでこられました。

 愛も才能も開花させてあげられなかった責任は、誰にあったのだろうか、と考えさせられます。
工芸科に学びましたが、デザインに限らず、絵も、詩や散文も、優れていたといいます。


 巡回展「無言館 遺された絵画」展の第3会場、愛知展は7月3日まで。豊川市の桜ヶ丘ミュージアム(0533-85-3775、名古屋からJRまたは名鉄で約1時間)です。
 そのあと、兵庫展、京都展と続きます。


口にはしなくても何を考えながら・・・・「無言館 遺された絵画」展から

2005年06月20日 | Weblog
 
片桐 彰 (長野県生れ、京都高等工芸学校を繰上げ卒業、享年21) 遺品のスケッチブックから

 妹の文枝さんは、「二人で黙って歩いた夜の、真っ直ぐな兄さんの背中が忘れられません」とおっしゃっています。

 しかし、兄の彰さんは、口にはしなかったでしょうが何を考えながら、このデッサンを描いたのでしょうか?


 「無言館 遺された絵画」展、
お子さんたちを連れて、大切な人を誘って、出来れば三世代で訪れていただきたいものです。

「わかんなーい」・・・・・こう言わせるのも無言館

2005年06月17日 | Weblog
 
 無言館館主・窪島誠一郎氏が、「無言館の成人式」(4月15日と5月18日の当ブログ参照)であったことを語っておられました;

 長野県上田市の無言館成人式に、茶髪の青年が山口県からバイクに乗ってやってきた。
「なぜここへ来ようと思ったの?」
「・・・父親が、そんなにツーリングしたいなら、無言館へ行けと言ったから」
「それで?」
「おれさぁ、展覧会を見ていっぱい感じたのってはじめてだよ」
「何を感じたの?」
「・・・・・・・・、わかんなーい、・・・・・」
この、「わかんなーい」ほど多くを語る言葉を、大人は知らないのではないだろうか。

 この一日が、この青年の心の奥に、大きな何かを植付けたことは間違いないと思います。


 巡回展「無言館 遺された絵画」展も、若い人たちに一人でも多く立ち寄ってほしい、若い人に「行ってみろ」と言ってほしいものです。

 第3会場、愛知展は7月3日まで。豊川市の桜ヶ丘ミュージアム(0533-85-3775、名古屋からJRまたは名鉄で約1時間)です。
 そのあと、兵庫展、京都展と続きます。


         写真は、山之井達朗(享年24)俊朗(享年21)兄弟の遺品から。

これぞ油画科首席卒業の・・・・・巡回展「無言館 遺された絵画」から

2005年06月15日 | Weblog
 
 市瀬 文夫(飯田市生れ 享年29) (遺品のスケッチブックから 部分)

この人の才能はスゴイと、このスケッチだけ見ても感じます。
東京美術学校油画科首席卒業です。

「妻の像」など7点、それに水差しなど遺品多数が、展示されています。

旅先で出会った女学生と結婚、
応召時には懐妊していらしたのですが、
お子さんの顔は写真で見ただけで戦死されたそうです。


 巡回展「無言館 遺された絵画」展の第3会場、愛知展は7月3日まで。
豊川市の桜ヶ丘ミュージアム(0533-85-3775、名古屋からJRまたは名鉄で約1時間)です。

鹿の眼が、なにか・・・・「無言館 遺された絵画」展から

2005年06月14日 | Weblog
 
 大西 博(大阪市生れ 享年24) 「無題」(部分)

この絵も 757×895mm。
展覧会のときは、リヤカーで絵を運んでいたそうです。

鹿の眼が、緑の草の葉が、なにかいっぱい語っているようでしかたありません。


「無言館 遺された絵画」展の第3会場、愛知展がスタートしています。
豊川市の桜ヶ丘ミュージアム(0533-85-3775、名古屋からJRまたは名鉄で約1時間)にて、
7月3日までです。

「対話する展覧会」だということでしょうか?~~「無言館 遺された絵画」愛知・豊川展

2005年06月13日 | Weblog
 
 このご婦人も、一点一点の絵の前で、絵を見つめ、画学生やゆかりの人の証言を読み、もう一度、絵に語り掛けておられるように見えました。


 「無言館 遺された絵画」展の第3会場、愛知展がスタートしています。
豊川市の桜ヶ丘ミュージアム(0533-85-3775、名古屋からJRまたは名鉄で約1時間)にて、
7月3日までです。


 各会場の関係者や観覧された方々が共通しておっしゃることがあります。
①会場内に滞留される時間が異常に長い。2時間いらっしゃる方はザラ。
②混雑している時でも、会場内はシーンとしている。すすり泣きだけがかすかに聞こえる。
③図録を求めて帰る方の比率が非常に高い。さらに詳しい証言を読みたくなるのでは。
④リピーターが多い。2度目には、家族や友人を誘ってこられる。自分の胸のうちだけにしまって置けないようだ。
⑤斜に構えつつ連れられてきたような若い人が、こんなに真面目に見ていく展覧会はめずらしい。
⑥上田市の無言館へ行ったから巡回展にも来た、あるいは、巡回展を見たから上田へも行きたくなった、という人が多い。

確かに、この展示を見ると、その理由がよくわかります。
一言で言うと、「対話する展覧会」だということでしょうか。


「60年たって、全国の人に見てもらっているなんて・・・」~~「無言館 遺された絵画」愛知・豊川展

2005年06月12日 | Weblog
 
 向こうに見えているのは、
  鵜飼 章 (名古屋市生れ、享年24)の絵、「無題」
そして、その絵に見入り、語り掛けておられるのは、
章さんのお姉さん、91歳です。


 「無言館 遺された絵画」展の第3会場、愛知展がスタートしています。
豊川市の桜ヶ丘ミュージアム(0533-85-3775、名古屋からJRでも名鉄でも約1時間)で、
7月3日までです。
上田市の「無言館」に展示しきれない作品137点などの巡回です。

 6月9日に行われた開場式で、無言館館主・窪島誠一郎氏が語っておられました;
「この巡回展の意味はふたつある。
一には、出征を控えてもただ描きたくて描きたくてカンバスにぶつけた思いを、
全国の今を生きる若者に伝えること。
ふたつには、私の知らない、同じ思いの戦没画学生ゆかりの人に名乗り出てもらうこと。」


 そのとおりの出会いがありました。
鵜飼章さんのお姉さんが、大きな包みを持って桜ヶ丘ミュージアムを訪ねて来られたのです;
「弟の別の作品を形見と思って大事にしてきたが、私もこの歳になった。
あとは無言館に預けるから、彼のくやしかった気持を世の人に伝えるため役立てて欲しい。」

杖をついて会場で「無題」の絵と再会されたお姉さんは、
「ここまで来れるか心配だったが、いま、すごく体が軽くなったような気がする。
中学を出て独学で勉強して描いた弟の絵が、60年たって、ポスターにも載せてもらい、
全国の人に見てもらっているなんて・・・」
と、とてもいい表情をなさっていました。

愛知展がスタート・・・・「無言館 遺された絵画」展

2005年06月11日 | Weblog
 
「無言館 遺された絵画」展の第3会場、愛知展がスタートしています。
豊川市の桜ヶ丘ミュージアムで7月3日までです。

 ネット上でも、東海地方へは来ないのかという書き込みをよく見ましたが、スタート日の朝から会場へ電話問い合わせが続いているそうです。
(0533-85-3775)
名古屋からJRでも名鉄でも約1時間、意外に近いのです。

 6月9日に行われた開場式では、無言館館主・窪島誠一郎氏が、
「反戦平和の思いから絵を描いた画学生はひとりもいない。恋人、妻、姉妹、父母、故郷など、愛するものへの思いを描いた。子が親を、親が子をあやめる時代を悔む。日本人が失ってしまった濃密な家族関係を、彼らとの対話から取り戻してほしい。」と語っておられました。

 お子さんたちを連れて、大切な人を誘って、出来れば三世代で訪れていただきたいものです。