13th Avenue日記

一歩ずつ、一歩ずつ・・・・

5月2日

2014-05-02 | 日記

お久しぶりです!決してブログを忘れていた訳ではなく、

追われ、追われるばかりなまま今日に至って感じで・・・

昨日から、ボンヘッファーカンファレンスに顔を出しつつ、

素晴らしい博士達のレクチャーを聞いています。

プロテスタントの個人主義と社会倫理の話を聞きながら、

最近、ちょっと私の中で雲がかかっている事を思わされました。

それは・・・「結婚」

最近2つの結婚に関する大きな出来事があって、

結婚というのは個人のモノなのか・・・ということを

考えざるを得なかったんです。

これは同時に「個人」と「社会」

強いては「ローカル」と「グローバル」というトピックに

直接関係してくるなぁと思っていたんです

 

1つ目の「結婚」は「同性婚」です。

学友の2名が同性婚をするという事がありました。

カミングアウトしたのは約1年前。

まだまだ私はどう受け取るのかを思案中の出来事なのですが、

先日この二人が「結婚」をしたわけです。(カナダは同性婚はリーガルなので)

本人同士も本当に悩んで、決めた事なわけですが、

その中の大きな部分は「社会的」な部分でした。

彼らの文章の中にイエス様や御言葉が無かったのも

私には複雑な気持ちで一杯になった事だったのですが、

なぜ、リーガルアクションとしての「結婚」を選んだのか・・・

それが私にはまだ消化しきれていない訳です。

彼らは私に取っては大事な友達で、それは変わりないのですが、

彼らのアクションをどう捕らえたら良いのかが分からないままに

色々事が進んで行ったということで・・・

「結婚」とは一体何をすることで

どういう意味合いが社会にあることなのか・・・

人はなぜ「結婚」をするという決断をするのか・・・

そもそも「結婚」というのは何を示しているのか・・・

 

もう一つは「破談」

国際結婚をしようとした知人二人から結婚式の前の日の夜中、

キャンセルという連絡が来たという出来事です。

何があったか・・・とかそういうことではなく、

「結婚」への捉え方を考えさせられたんです。

結婚というのは個人の事なのか・・・ということです。

別にその決断が云々じゃなくて、

根本的に「結婚」って何をすることで

どういう意味合いが社会にあることなのかって事なんです。

 

ボンヘッファーは「結婚」について語っている訳ではなく、

個人主義の問題について語る訳ですが、

どうも共通点がある気がしてならないわけです。

個人主義で社会を作り出すとどうなるのか・・・

そうすると倫理というのはどういう形態が成り立つのか。

ボンヘッファーは「教会があるのは他者のためだ(私の大雑把訳)」と

言います。これを「個」で考えるとどうなるのか・・・

私の人生は私のものなのかという質問になってくると思うのです。

そしてその質問を私達は真剣に問うた事があるのかという事です。

ボンヘッファーはナチスの元に教会に在り方を問いました。

私達はそういう局面に達さないとそれを考えなくても良いのか、

それとも、そうじゃないのか・・・

 

韓国の船がひっくり返って

倫理の問題が話題になりましたが、

実際、危機に直面した時、その人の在り方がそのまま出るなら

私達自身は何を問われているのかなと思う訳です。

 

「信仰は生きる事だ(私の大雑把訳)」とボンヘッファーは言います。

生き方、在り方を問われてるんじゃないのか・・・

私達の生き方、在り方のベクトルはキリストに向いているのか・・・

そうだとしたら、私の人生は誰のものなんだろう・・・

 

私達は神の大いなる臨在の中にある事を

どのくらい理解しているんだろうか・・・

そして、その中で自分をどのように理解し、

他をどのように理解しているんだろう・・・

そして私達は社会をどう構成するのだろう・・・

もし、自分がボンヘッファーの立場だったらどうしたんだろう・・・

 

そんな事を考えつつ、今晩のレクチャーに望もうと思っている次第です。