13th Avenue日記

一歩ずつ、一歩ずつ・・・・

ベン・ハー

2016-08-31 | 日記

昨日、ベン・ハーを観てきました。

心のそこから3Dで観なくてよかった・・・と思うほど、

かなりグラフィックなシーンが多く、心臓の鼓動が上がりっぱなしの映画でした。

実は私、オリジナルをきちんと観たことがなかったので、

ざっくりしかわからない状態で観に行ったので、

いろいろ意外なストーリー展開なのと同時に

「炎のランナー」(アイデンティティの問題)

と 「ロードオブザリング」(友を背負って歩く)と

オーバーラップする部分が私の中でありました。

「違いを乗り越える」ということを一つのテーマに掲げてたかなと

私は思うのですが、イエスが実際に物語に登場することを

想定に入れていなかったのでそこに驚きましたね・・・

なんでイエスが権力にとって問題だったのかも

きっちり描かれていました。

この「違いを乗り越える」ということに寄り添って

ユダとエスターのイエスとの関係が関わってくるのも非常に興味深かったです。

プライドの問題も非常に鮮やかに描かれていたし、

それを解決し和解していくプロセスもよかった。

そして、redemption(贖い)とそのプロセスが

非常に丁寧に描かれていたなと思います。

何よりもこの「贖い」はこの映画の中心だったなと思います。

ユダの中に私はボアズを見たし、

エスターにルツを見ました。

シェイクとピラトの取引もきっちりと贖いを描いていたと思います。

又、ユダの妹や母親が解放されるシーンも

そのあとのシーンも贖いとその結果をきっちり描いていました。

このシェイクというキャラクターは

実は聖霊を表してるのかなと私は思いますね〜・・・

ユダとの関わり方や、レースへの訓練の仕方、

レースの間の彼の立ち位置とうとう、非常に興味深かった。

憎しみから解放される必要、

贖われた先の「共に生きる」あり方・・・

ネットでオリジナルのあらすじをちょっと調べて読みましたが、

結構違うんじゃないかな〜という感じを受けています。

今回のベン・ハーは

奴隷→贖い→自由

という流れをそれぞれのキャラクターが通るのと同時に

イエスの生涯が描かれます。

大スクリーンで見るに値する映像ですが、

もうちょっと細かく何度か見たいなと思わされる映画でした。

 


8月30日

2016-08-30 | 日記

大変お久し振りです。

9月から霊的同伴者になるためのコースをとることになり、

今、課題図書の1冊目(Surrender to Love)を読んでいるのですが、

読みすすめるにつれ、この「神の愛」を知らないことの危うさを

心から思わされています。

2週間前に2名の長く親しくしていた学生を水難事故で亡くし、

そのうち1名の「偲ぶ会」に行ったのですが、

そこでもこの「愛」ということが人間は自然につかむことができないからこそ

愛を求めることを思わされました。

Universalな「愛」の意味を知り出会うこと。

自分が作り出した雛形の「愛」ではなく、本来の形の「愛」を。

 

キリストがいない人生は本当に大変だと、今回の死を通して、それを痛感しています。

「偲ぶ会」でもlost sheepというのはこういうことか・・・という現実に

ただ、圧倒されるばかりでした。

誰も、彼の「仮面」の下に気づいていなかったのか・・・?という

疑問が湧いてきて仕方がなかった。どれだけ根本的に彼が孤独だったか、

それの寂しさを認めることをどれだけ恐れていたか・・・

とはいえ、キリストを知っているものも

この「愛」をどのくらい心の深いところで捉えられているのか・・・

それがtransformationのドライブなんじゃないかと思わされています。

そして、それが他者との関わりのキーにもなってくる。

しばらくの間、私にとってとても大切なテーマと向かい合うことになりそうです。