今日の一枚/Speakeasy

昨夜隠れ酒場で流れたレコード、その中から毎日一枚ご紹介していきます。

Oscar Peterson/Romance

2013-12-28 09:22:19 | Weblog
このアルバムでOscar Petersonは歌を披露している。ブラインドテストをやると10人中8人がNat King Coleだという。

元々ピーターソンはピアニストとしてキングコールを敬愛し、そのスタイルを真似てきた。そのせいもあって歌もそっくりだ。それほど上手い。余芸の域を出ている。
かってこんな話を読んだことがある。ピーターソンを聞いたキングコールがピーターソンに言った。「お前は俺よりピアノがうまい。俺はもうピアノ弾きは止めて歌手に専念する。
だからお前も歌は止めてピアノに専念しろ」。恐らく後年の作り話だろうが、1952年~1954年にかけて録音された本アルバム以降殆ど唄わなくなった。わずかにキングコールが亡くなった後「Respect To Nat」という追悼盤を録音、キングコールのレパートーリーを唄っただけだと思う。キングコールがポピュラー歌手として活躍し始めた時期とピーターソンが歌を止めた時期は、見事に符合するのだ。

バックはピーターソンのピアノ、レイブラウンのベース、そしてバーニーケッセル(12曲中10曲)、ハーブエリスのギター。ドラムレスのキングコールトリオスタイルでOne For My Baby/Autmn In New York/These Foolish Thing等、味わいのあるヴォーカルを披露している。

P. F. Sloan/Serenade Of Seven Sisters

2013-12-21 09:28:24 | Weblog
P. F. Sloanは歌手としてよりも作曲家として成功を収めた。1960年代前半はSurfin' Musicに傾倒、ジャンとディーンのバッキングコーラスを経てSteve BarriとFantastic Baggiesを結成、数曲のスマッシュヒットを放った。その後60年代半ばにグループは解散(といってもライブ活動はほとんど行わず、もっぱらスタジオセッションがほとんどのグループだったが)、Steveはプロデューサーに、Sloanはソロ歌手となった。残念ながら歌手としては二枚のアルバムを当時残したが、大ヒットにはいたらなかった。

Steveとの作曲家としての活動はグループ解散後も続いた。バリーマクガイに書いた「明日なき世界(Eve Of Destruction)」はナンバーワンに輝き、他にもJohnny Rivers「Secret Agent Man」 をはじめとしてハーマンズハーミッツ、グラスルーツ等に多くのヒット曲を提供した。しかしそんな絶頂期、彼は70年代に入って突然表舞台から姿を消した

能天気なサーフミュージックから硬派なプロテスタントソングライターに転身、ヒットソングライターになりそして謎の引退劇。60年代の活躍が華々しく、また心に残る名曲を多数残しているだけに残念でもあり、またよほどの出来事が、心の動きが彼の心中に去来したのだと推察される。
そして1993年、突然彼は新作を発表、実に二十数年ぶりにカムバックした。「(Still On The) Eve Of Destruction」とサブタイトルのついたこのCDがそうだ。

彼の代表曲となった「Eve Of Destruction」は「戦争がこの世界を破壊する。いまや我々は崩壊のイブ(前夜)にいる」と歌った作品。ヴェトナム戦争のただ中に発売され一部では放送禁止にもなった歌だ。それから三十年近くたって「いまだ崩壊のイブ」とメッセージを放ちたかったのだろうか。
そんな彼の思惑はともかく、このアルバム(CD)は「Eve Of Destruction」「Secret Agent Man」の大ヒット曲を初めて自ら歌い、他にも素晴らしい作品ばかり収録されている。惜しむらくは僕の大好きな「From A Distance(孤独の世界)」が歌われていないこと。この曲はアメリカではなんとかTop100にチャートインしただけだったが、日本では大ヒットを記録した。「寂しく鳴り響く教会の鐘が鳴るのを聞いたことがあるかい?天使たちが悲しみ嘆き泣きながら歌う声を聞いたことがあるかい?」と絞り上げるように歌う。この曲は僕が感銘を受けた曲、ナンバーワンと言っていいだろう。残念ながら今ではほとんど入手が不可能だが、これを読んで聞いてみたいという人にはプレゼントしたい。

高校時代僕を虜にしたP. F. Sloan。こうしてまた再会できるとは思わなかった。

A Session With/The Dave Clark Five

2013-12-16 09:59:24 | Weblog
今までで一番回数多く聴いたアルバムは?と尋ねられたら多分この一枚を引っぱり出すだろう。

Dave Clark Fiveについては「音楽/旅日記」に記したのでそちらを御覧頂きたいが、音楽と僕とのディープな関係はこのアーティストから始まった。
コレクターにとってDave Clark Five(以下DC5と記す)は厄介なアーティストだ。英、米、日で発売されたアルバムの編成が極一部を除いて違う。オリジナルアルバムとしては、英:7枚、米:14枚、日:9枚(再編成は除く)であり同タイトルであっても曲目、バージョンが違ったりしている。
これは国別にリリース契約を結んだDave Clarkの戦略による事もあるが、英米で人気の高い時期が違っていた事にも起因している。英国で成功を集めたDC5はBeatlesに次いで米国上陸、エドサリバンの超お気に入りとなってあっという間に全米で旋風を巻き起こした。

DC5はエドサリバンショー最多出演(18回)の記録を持つが、面白い逸話がある。初出演でDC5に惚れ込んだエドは番組中彼等に何の予告もなく『来週も彼等は番組に来ます』とやってしまった。当然生放送。慌てたのはデーブ達、彼等は来週イギリスでライブショーを予定していた。それもチケットは完売。終了後それを聞いたエド『そんなのはすっ飛ばせ、俺がショーを丸ごと買い取ろう』と強引に出演を決めてしまった。
こうしてDC5は一躍人気スターとなったのだが、彼等の米国中心の活動が続くにつけ、英国での人気は凋落した。米国では矢継ぎ早に発売されるアルバム、しかし母国では殆ど発売されなかった。(ちなみに日本では英国発売の物が再編成されて発売されていた)
その後1967年頃から米国での人気にかげりが見え、再び英国に拠点を移動、人気を取り戻し1971年までアルバムを発表し続けた。

前置きが長くなったがこの「A Session with the Dave Clark Five」は1965年1月東芝から発売されたもの。これに先立って英国でも1964年4月同タイトルのファーストアルバムが出ているが曲目はだいぶ違う。ちなみに米国では1964年3月発売の「Glad All Over」がデビューアルバム。
三種のデビューアルバム(?)の中で僕はこの日本盤が一番好きだ。単なるロックンロールナンバーだけに留まらず、Jazzテースト溢れる「Time」、ストリングスを従えたロマンチックな「A Theme Without A Name」ディズニーナンバーをユニークなアレンジで料理した「Zip A Dee Doo Dah」等々良質なPOPが詰ったアルバムになっている。それは僕にとって「Meet(With) the Beatles」を越える感動をもたらした。

登校前、帰宅後と一日何回も繰り返し繰り返し聴いた宝物。擦り切れてはいるけれど今でも時々ターンテーブルに乗せる。
ジャケットにサインがあるの見えますか?70年代中期、音楽祭にソングライターとして来日したMike Smithのものです。

The Very Best Of The Platters 1966-69

2013-12-15 10:01:37 | Weblog
僕がリアルタイムにPlattersと出会ったのは、Tony Williamsがリードを取るPlattersではなく、Sonny Turnerがリードを取るPlattersだった。それまでも父がこのグループを好きで「煙が目にしみる」「ハーバーライト」など耳にしたことはあった。

ある日FENから流れてきた「I Love You 1000 Times」、てっきりモータウン系のアーティストと思って聞いていたら、、なんとThe Plattersと紹介された。ホントかよ、、、半信半疑でいたらしばらく経って文化放送の電話リクエストで又聞く機会があった。それはまさにMercury Recordの呪縛から逃れた(詳細は後日Archiveに記する)新生The Plattersだった。この曲はR and Bチャート8位、POPチャート31位に達するセールスを記録しその後もWith This Ring、I'll Be Home、Sweet Sweet Lovin'などスマッシュヒットを飛ばした。

「オンリユー」「トワイライトタイム」などの大ヒットを飛ばしたThe Plattersは知っていても、このSonny Turner(1st.tenor 1959年Tony Willamsに変わって参加)、Nate Nelson(2nd.tenor 1965年Flamingosから移籍)、Sandra Dawn(1964年Zola Taylorに変わって参加)、そしてオリジナルメンバーのDavid Lynch、Herbert ReedのThe Plattersを知る人は少ないだろう。 

当時R&Bがあまり好きではなかった僕だが、この曲にはしびれた。サウンドはデトロイト、しかしFour TopsやTemptationsよりソフトなNew Plattersのレコードが珍しく僕のレコードコレクションに加わった。

Sonyがリードを取るWith This Ring、I Love You Yes I Do、Flamingosではリードを取っていたNateが唄うI'll Be Homeが良い。
The PlattersのBest盤は数多く出回っているが、、Only Youが入っていないBest盤はこれ一枚だろう。

The Boulevard Of Broken Dreams

2013-12-14 09:33:05 | Weblog
ここのところ嵌っている楽曲「Boulevard Of Broken Dreams」を追っていたら、妙なグループと遭遇した。その名も「The Boulevard Of Broken Dreams」。1980年代前半アムステルダムで結成されたこのグループは、古きアメリカの、時代で言えばBoswell Sistersの時代、1930年代の楽曲を掘り起こしている。

彼らが活躍した80年代前半、日本はバブル期前期、僕はと言えば夜毎六本木、西麻布に繰り出し(そうそうこのころから西麻布に「クラブ」が出現し始めた。もっとも今より少々ハイクラスで、作曲家、デザイナー、コピーライターなどがたむろしていた)朝まで飲んで、、、しかし何処か満たされない気持ちで朝焼けを恨めしく見ていた時代だ。

彼らはそんな満たされない感情にぴったりのグループ。むせび泣くサックス、やるせない歌声。いやサウンドばかりではない。ボロボロになって、ケースの中でずれちまったようなジャケット(これがデザインなのだ!)、華やかだが、何処か退廃的なその風情、この世にゃ「酒、女、金」で満たせないやっかいな物がある事を教えてくれる。

1930年代ニューヨーク、1940年代上海、そして1980年代アムステルダム、トウキョウ、、、同じ空気が流れていたに違いない。

Coleman Hawkinsバージョンをなぞらえた「Boulevard Of Broken Dreams」、切なくたどたどしい女性ボーカルが郷愁をかきたてる「I Cover The Waterfront」、とろけるようなフリューゲルが光る「A Cottage For Sale」、何処にも行けない、誰にも会えない、、、貴方に捨てられ、、わたしは町の笑い物、、と呟く「It's The Talk Of The Town」、そしてもの悲しいラストソング「Travelin' Light」、、、このアルバムは間違いなく僕をヤバイ世界へと誘う。。。

Esquivel/Other Worlds,Other Sounds

2013-12-13 10:50:53 | Weblog
このアルバムが発売された1958年の1月にアメリカは初の人工衛星Exproler号の打ち上げに成功、宇宙時代に突入し世の中は大いにわいた。

メキシコの小さな村に生まれ、その後ジュリアードに学んだEsquivelという男はそんな新時代の申し子だ。彼が映画、TV音楽の仕事を経てレコードデビューを果たした1957年、音楽界では革命的な出来事が起こった。Stereo時代の開幕だ。

Esquivelはラテン音楽を、テルミン、開発されたばかりのFender Rhodesのキーボード、チャイニーズベル、バスアコーディオン、スティールギター、様々なパーカッションを駆使し奇妙な音で表現した。もう一つの特徴はまるで「宇宙人」のようなコーラス。ZUM,ZUMとかBOINK,BOINKとかユニークで意味不明のフレーズを多用、更にそれらの音を右に左に振りまくり初めてStereoに触れた人々を仰天させた。まさにSpace-Age Popと呼ぶにふさわしいサウンドを確立したのだ。

しかしあまりに奇妙な音はやがて忘れ去られ、60年代前半で音楽の表舞台から姿を消した、、、かに見えたが1990年代に入り「ラウンジ」「モンド」という僕らの年代には馴染みのない新しい音楽ジャンル(僕ら流に言えばムードミュージック、イージーリスニングってことになるのかな)で再評価を受け、再発のみならず新規レコーディングを行ったり、数多くのDJ、ミュージシャンが自身の作品にEsquivelのサウンドをサンプリング、再び時代の最先端の音楽として評価された。

Other Worlds,Other SoundsこのタイトルがEsqivelの時代、音楽をすべて言い表している。

Henry Mancini/The Pink Panther

2013-12-12 10:50:33 | Weblog
映画音楽で名をあげた人と言えばまずこの人。アカデミー賞4回、グラミー賞20回という記録は誰にも破れないだろう。

このピンクパンサーはコミカルなテーマ曲でお馴染みだが、サウンドトラックアルバム、並みの出来ではない。ミュートをかけたトランペット、アコーディオンなどが美しいストリングス、コーラスに絡む。まさに夢心地にしてくれるサウンド、メロディーが溢れている。

Village Innのアコーディオンが奏でるメロディが心にしみいる。秋から冬の夜長最適のBGM。

Ann Richards-Stan Kenton/Two Much

2013-12-10 09:47:40 | Weblog
男によって女の運命は左右される。。。今はそんなこともないだろうが、Annの人生をたどるとKentonとの出逢い、別れが彼女の人生を全て決めてしまったように思われる。

Annは1955年、Kentonに認められ数ヶ月Kenton Bandに所属した。そしてKentonと結婚。Ann20才の時だった。その後「パートタイム」でKenton Bandに参加したが、KentonはCapitol Recordに彼女を紹介、ソロアーティストとしてレコーディング契約を結んだ。(当時KentonはCapitolのドル箱、そして株主でもあり、絶大なる影響力を持っていた。)
若い彼女は理知的な目を持ち、スマートでカリスマ的魅力を持った男性と、スターとしての将来を同時に手に入れたのだ。

Annはその若さと美貌(ジャズ評論家レナードフェザーは「ジャズ界のエリザベステイラー」と評した)そしてその抜群の歌唱力で将来を大いに嘱望された。デビューアルバム「I'm Shooting High」は彼女23才、このTwo Muchは25歳の時の録音だ。

いずれの作品もこの若さが信じられないほどジャズヴォーカルの醍醐味に溢れている。I'm Shooting Highでは無難にまとめていた彼女だが、「TWO Much」では「Annの才能には限りがない。あらゆる可能性をこのアルバムで引き出したかった」と言うStan Kentonの後押しで、少々のミスは気にせず大胆に羽ばたく。

June Christyに憧れを持つ25才の彼女はChristyにも負けない豪快なスキャットを交えながら、Bill Holeman/Johnny Richards/Gene Rolland/Kenton等の編曲を得、末恐ろしさを感じるヴォーカルを展開する。

Two Much、、、Two Match「あまりに」凄い彼女、息のあった二人、、しかしそのTwo Muchは一年も経たないうちにToo Much「もう沢山、、」になってしまった。Kentonとの破局。Annは伴侶、Producer、レコーディング契約、そして輝かしい将来、全てを同時に失った。

若いAnnは焦った。そして素晴らしい才能を持ちながら「馬鹿なこと」をしてしまった。雑誌「Playboy」にその姿態をさらしたのだ。(これはAtocoの戦略であった。この直後発売されたAtocoのアルバム「Ann Man」のジャケットはこのPlayboyの写真が使われている)結果彼女はTV、メジャージャズクラブを締め出された。

スキャンダラスなシンガーと契約するレコード会社もなく、その後再びメジャーの世界に戻ることは出来なかった。

彼女が再び世を騒がせたのは1982年4月2日、ロスのアパートで発見されたときだった。「Ann Richards拳銃で自殺」。46年6ヶ月の生涯だった。

Phoebe Snow

2013-12-09 09:23:18 | Weblog
1970年代に入ると,クロスオーヴァーという言葉がよく聞かれるようになった。いわゆるフュージョンミュージックのことをさすのだが,元々音楽は様々なジャンルが融合して発展してきた訳だから,改めてクロスオヴァーと呼ぶのも変なことだが。

このアルバムはクロスオヴァーが全盛だった1974年に発売された。当時フォノグラムの洋楽にいた友人が「すごい新人が出たよ!」と教えてくれた。

一曲目「Let The Good Times Roll」のイントロでぶっ飛んだ。今までに聞いたことのないサウンド。アコースティックギターの強いつま弾き、力強いドラム,そして人種をはかりかねる,クリアーだがねちっこいヴォーカル。ブルースの香りがするゆったりとしたロックンロール。二曲目「Harpo's Blues」。フォークを思わせるサウンド。彼女のオリジナル曲だがとてもユニークなメロディを持つ。バックのピアノがやけに懐かしい感じ。そしてテナーサックスのソロ。フォークじゃない,ものすごくジャジーなサウンド。気になってライナーを見れば,,なんとピアノはTeddy Wilson! テナーはZoot Sims! 

このアルバムは1975年にBlack Album 22位、Jazz Album 17位、Pop Album 4位を記録した。それぞれのチャートがこのアルバムを物語っている。Popさ満点、ジャージーでブラックな香りのする,まさにクロスオーヴァーミュージック。

発売から30年経った今でも全く色あせない名盤。これからもスタンダードアルバムとして聞き続けられることだろう。

ちなみにこのジャケットはファーストプレス。San Francisco Bay Bluesがヒットした後,彼女の肖像にBay Bridgeの絵がオーヴァラップされた。

Fran Jeffries/Sex And The Single Girl

2013-12-08 09:56:16 | Weblog
Franは歌手というよりも女優、と言った方がよいだろう。Pink Panther、プレスリーのハーレム万歳などに出演、その後テレビ界でも広く活躍した人。

この一寸ドキッとするタイトルは彼女が主演した映画のタイトルである。その主題歌の小粋なスタッカートの使い方、堂々たる歌いっぷりはPeggy Leeを思わせる。

Dreamerでのヴォサノヴァタッチ、Urbie Greenのトロンボーンが気持ちよく絡むEarly Morning Blues、そしてとにかく色気たっぷりのMake Love To Me等、歌手としての魅力もなかなかだ。
2000年には新作CDも発表している。