今日の一枚/Speakeasy

昨夜隠れ酒場で流れたレコード、その中から毎日一枚ご紹介していきます。

Claudine Longet/The Look Of Love

2015-02-06 10:09:01 | Weblog
Claudineは美人である。可憐である。その可愛らしい歌声はフランスなまりの英語と相俟って、まるで妖精のささやき。15才の僕は恋に落ちた。しかし残念なことに僕が彼女と出逢った時には既にAndy Williamsの嫁さんだった。。。

それでも僕はひたすら彼女を愛し、17歳も年上のAndyとは絶対破局を迎えると信じて待ち続けた。
そして出会いから四年経ったある日、待ちに待ったニュースが届いた。「Andy Williams離婚」。すぐに渡米しなければ、、しかしそのとき僕はまだ大学生、彼女を迎えにいくには早すぎる。「後二年待ってくれ」僕は彼女のレコードジャケットに語りかけた。

僕は彼女に会わんがため音楽業界に入った。そして勉強のため渡米、ロスに滞在した。「来たぞ、ついに僕は君を迎えにロスに来たよ」。まずは仕事をかたずけなければならない。僕はビバリーヒルズのMGMレコード社長Mike Curb宅に向かった。そこで僕はBillboard誌のMr.Don Ovenに会うことになっていた。彼からチャートの仕組み、レコード会社のPromotion実態等を教えてもらう為だ。挨拶を終えるとDonは早速Billboard最新号を見せてくれた。そして表紙に踊る活字をみて僕は愕然とした。「Claudine Longet、スキーオリンピックチャンピオンと結婚!」
ここまで来たのに!後少し待ってくれたら僕たちは結ばれたのに!!
なんてことは戯言だが、、僕がClaudineの歌声、容姿に恋こがれたのは確かだ。

Claudineは1966~72年に5枚のアルバムを残した(1993年にSugar Meという当時未発売の音源が発売されたが)。特にA&Mに録音した四枚のアルバムはどれも素晴らしい。これはアレンジャーのNick De Caroによるところが大きい。ストリングス、アコースティックギターの美しい音は今聞いても色あせない。

このアルバム「The Look Of Love」は彼女のセカンドアルバム。1967年に発売されアルバムチャート33位まで上昇した。表題曲の外How Insensitive/When I'm Sixty-Four/The End Of The World等おなじみの曲が収録されているが、最もおすすめはParis Sistersでヒットした「I Love How You Love Me」。思いのたけを愛くるしい声でささやくのだが、、「こんなに愛しているのに、、」と途中で入る語りが泣かせる。

1961年Andy Williamsと結婚。1970年離婚。1974年スキーチャンピオンSpider Sabichと結婚。1976年夫Spider Sabichを拳銃の暴発で死亡させる。殺人か過失か大騒ぎになったが、、結果過失と判決が下り30日の禁固刑となる。出所後弁護人と結婚、隠遁生活を続けている。

Paul Revere And The Raiders/Spirit Of '67

2014-10-08 09:10:48 | Weblog
2014年10月7日、Paul Revereが亡くなりました。

このグループは1)「Paul Revere And The Raiders」→2)「Paul Revere And The Raiders Featuring Mark Lindsey」→3)「Mark Lindsey And The Raiders」→4)「The Raiders」→5)「Paul Revere And The Raiders」と名を変えた。

グループとして最も沢山のヒットを放ったのは1)。最も革新的な音を作ったのは2)。このアルバムは1)の四枚目にして最後となったアルバム。デビュー時のProducerはTerry MelcherとBruce Johnston。1)の音楽的な中心人物はPaulとMarkそしてBoyce & Hart、Barry Mann等が楽曲を提供、他のメンバーも曲を提供していた。2)では主導権をMarkとTerryがとる。そして再びPaulがMarkと一緒にリーダーシップをとって4)を引っ張った。

現在ではこれらのグループを全てPaul Revere And The Raidersと称している。
今僕が名前にこだわるのは彼らの場合その時その時の「権力者」が名前に端的に現れ、そしてその権力者の指向、嗜好が音に出るからだ。僕は1)と2)の時代の一枚目「Revolution」(本コーナーの前半で紹介している)が好きだ。

このSpirit 0f '67はHungry(B.Mann/C.Weil)Good Thing(M.Lindsey/T.Melcher)Great Airplane Strike(P.Revere/M.Lindsey/T.Melcher)の三枚のヒットシングルの他メンバー全員のオリジナル曲が収録されている。シングルの作者を見ると第一期から第二期への過渡期にあったことがわかる。

発売にあたってMarkはこのアルバムをBeatlesのRevolverへのアンサーアルバムだといっていた。その言の通りストリングスをフュチャーしたエリノアリグビーを彷彿とさせるUndecided Man(P.Revere/M.Lindsey)や、中近東サウンド(そんな物有るかな?)にのせた1001 Arabian Nights(M.Lindsey/T.Melcher)等野心的で斬新な曲が満載されている。

グループはこの後オリジナルメンバーが兵役にとられると言う事態に直面しメンバーを一新、同時にMarkが主導権を握るようになった。
解散後Paul Revereは「P.Rvere And The Rock'n'Roll Revue」(現在も精力的に活動中)を引き連れラスベガスで人気を集め(Rock'n'Rollをテーマにしたコミカルなレビュー。PaulのルーツはJerry Lee Rewisと冗談音楽の元祖Spike Jonesークレイジーキャッツ、ドリフターズの先生だーだった!)、Mark Lindseyはソロ活動の後Raidersのオリジナルメンバー?を集めてグループを結成したりと、共に多忙な毎日を送っている。

Jackie Gleason/Music For The Love Hours

2014-09-05 10:26:44 | Weblog
僕は昔からお腹が出ている。身長183cmだが最高潮時、98kgあった。「100キロデブにはなりたくない!」と思いそれから体重を落として以後85kg前後を維持していた。

Jackie Gleasonはでぶっちょである。まずコメディアンとして成功を収め、後に自らのテレビショーを持つに至り、その暖かく包容力を感じさせるキャラクターは全米の人達に愛された。

プロフェッショナルとしての経験はないがJackieの音楽にたいする愛情、素養はかなりの物がある。そこに目を付けたCapitolがレコードを制作、そしてそれは当時として(1953年)破格の大ヒット(50万枚)となり、以後60年代初頭までJackie Gleason Orchestraはムードミュージックの旗手として君臨したのだ。彼の人柄そのままの暖かく、ドラマチックなストリングスと優しいBobby Hacketのトランペットが夢の世界に誘う。

いくつかの企画物を除いて彼の作品はどれも似たり寄ったり。しかし長く人々に愛された。それは彼のキャラクターによるところが大きいだろう。優しさに溢れる笑顔、全て飲み込んでくれそうな大きなお腹。。。でぶっちょは人に寛容で優しいのだ。

かって98Kgを誇った僕の体重は80Kgを切った。健康のため痩せたのだが、、、自分の中のおおらかさも、お腹と一緒に減ってしまったように感じる。。。

The Trashmen/Surfin' Birds

2014-06-23 08:42:55 | Weblog
彼らの出身地ミネアポリスは、五大湖の横、ほぼアメリカ大陸の真ん中に位置する。この寒冷の地で彼らはBuddy Holly等のカヴァーを演奏するダンスバンドとして地元で人気を博していた。

海とは縁もゆかりもない地で活躍しながら、サーフィンバンドとしてデビューしたところは、コロラド州ボーダー出身のThe Astronautsと似ている。当時〔1963~4年頃)イギリス勢と対抗してヒットを出すのはSurfin' Numberが手っ取り早かったのだろう。

The TrashmenとThe Astronauts、大きく違うのはシングルヒット。Trashmenが「Surfin' Bird」を全米4位に送り込んだのに対して、Astronautsは「Baja」が94位に滑り込んだだけだ。その代わりAstronautsは日本で大ブレイクした。両グループともその後ヒットを出せないまま1967年頃まで活動、その後解散したが80年代リバイバルブームに乗って再結成している。

TrashmenとAstronauts、恐らく接点はなかっただろうが、TrashmenがAstronautsの楽曲「Kuk」をカヴァーしているのが面白い。

唯一のヒット曲「Surfin' Bird」はThe RivingstonsのThe Bird's the WordとPa Pa Ooh Mow Mowを組み合わせた楽しい曲。ヴォーカルアレンジも効果的だが、、、アイデアだけが受けた企画当たりの作品となった。

アメリカでの一発屋Trashmenと出稼ぎ成功者のAstronauts、どちらがより稼いだのか一寸興味がある。

Blue Dream Street/Patti Page

2014-06-12 10:15:38 | Weblog
Street/Boulvard/Drive/Avenue/Alley、、アメリカに行くと様々な通りの呼び名がある。日本流に言えば「~大通り」「~横町」「~小路」のようなものだろうか。

そしてその道は様々な表情を見せる。ある人にとっては「陽の当たる道」(On The Sunny Side Of The Street)であるし、又ある人にとっては「夢敗れし通り」(Boulevard Of Broken Dreams)にもなる。

同じ道の上を夢一杯に胸膨らませて弾むように進む人、夢破れブルーな感情に押しつぶされて足を引きずる様に進む人、、僕はこのアルバムを聴く度そんな情景が浮かんでくる。

いわゆる企画アルバムというのは数あるが(昨日紹介したのもそう)これはなかなかすぐれた企画盤だと思う。タイトルは「Blue Dream Street」。これだけで情景が浮かんでくる。(ジャケットはとても良い写真だがStreetと言うよりBlue Dream Squareという感じがする)Blue、Dream、Streetにちなんだ曲を集めた作品だ。

Dream A Little Dream Of Me/Oh What A Dream/Bolulevard Of Broken Dreams/Am I Blue、、、Pattiはある時は励ますように、ある時は優しく包み込むように唄うのだが、惜しいのは選曲に若干難がある事。全体を通してのトーンはブルーでロマンチックなのだが、Route66やEveryday I Have The Bluesが雰囲気を壊してしまっている。どうせならStreet Of DreamsやBorn To Be Blueを入れて欲しかった。

1955年オリジナル盤が発売され1964年に再発売された。

The Four Freshmen/Live At Penn State

2014-06-05 09:32:38 | Weblog
今僕はITuneに音源落としているが、落とし終わった音源を整理していたときの事だ。
The Four Freshmen/Live At Penn StateのCD、ジャケットには18曲しかクレジットされていないが、なんとシークレットトラックが6曲も収録されていた!

このCD、音源的にはアルバム「In Person」とほぼ同時期のライブなので、真剣に聴いた事がなかった。一二度軽く聞き流した程度だ。それ故トラックが画面に表示されるITuneを見るまで気づかなかったのだ!何というマヌケ。。。

iTuneの曲目をみると19~24にBonusとクレジット、やや、と思って聞いていくと
19:Julie Is Her Name 20:The Freshman(Julie London) 21:I`ll Be Seeing You
が入っていた。まぁ珍しい音源だが、、これは諸々のCDに収録されている。

僕はアメリカのFour Freshmenファンクラブに入っているので、会員限定のレア音源をかなり所有している。まぁそのへんのやつが収録されているんだろう、と思いつつ22曲目。

イントロを聴いて、僕は飛び上がった!なんと20年ほど前友人に貸したまま行方不明になっていた唯一のDeccaにおけるSingle「Nowher To Go」ではないか!そして23曲目はそのB面「Cry」。それこそ泣きたいくらい感激!

さてラストは何だろう、、、と期待に胸膨らませてクリックすると、、、
聞いた事のなかったCapitolでのラストシングル「Old Cape Cod」だった!!!
ロマンチックなラブバッラド、Bobの美しいテナーが得も言えぬ雰囲気を醸し出し、そしてサビのBillのソロは若々しくムーディーな歌声、間奏のKenのトランペットも素晴らしく、今度は涙が本当に出てきた。。

1965年8月 発売されたこのシングル、存在は知っていたが音を聞くのは初めて。Four Freshmenのシングルなんぞ、ただでさえBeatles、Beach Boysを抱えて大忙しの当時のCapitol Recordが真面目に発売したとは思えない。契約消化の泡沫作品だ。プレス枚数もごく少数だったと考えられる。

しかしこの作品とても素晴らしい。そして面白いのがBeach BoysのSurfer Girlを彷彿とさせる美しい裏声が多用されていること。明らかに当時人気のあったBeach Boysを意識した作品となっている。

Four Freshmenにあこがれて音楽を始めたBeach Boys(Brian Wilson)、時を経てFour FreshmenがBeach Boysサウンドをフォロー、僕にとってこんなに楽しく、感動的な事はない!
それにしても手にしたレコード、CD、もっと大事に聞かなくちゃな。。。大感激、大反省の夜。

The Four Lads/On The Sunny Side

2014-06-02 09:57:29 | Weblog
The Four Ladsは1951年、カナダで結成された。ゴスペル、スピリチュアルが彼らのルーツ。アメリカに進出後Columbia RecordsでDoris Day,Johnny Ray/Frankie Raine等のバッキングコーラスとして活動を開始した。中でもJohnny Rayと唄った「Cry」が大ヒットとなり、ミッチミラーに認められレコーディング契約を結んだ。

彼らの特徴はゴスペルで培った優れたリズム感と、音を長く引っ張りながら美しいヴァイブレーションを効かせた歌声にある。裏声にならずきれいなハイトーンをリードテナーが発声できたのは彼らとFour Freshmen位しかいないだろう。1953年初のミリオンセラーヒット「Istanbool」を飛ばしてから1959年まで十数曲をヒットパレードに送り込んだ。
このアルバムは1956年全米アルバムチャート14位を記録、彼らの作品の中でも非常に優れた作品となっている。

その一番の要因はバックのオーケストラ。
Real Birth Of CoolやSnowfallでお馴染みのClaude Thornhill Orchestraが務めている。(1930年代Billy Holiday Orchestraでピアノを弾いていたClaudだが、オーケストラ結成後歌の伴奏をした作品を僕は他に知らない。)ここでClaudは非常にセンシティブで暖かみのあるオーケストレーションを使いFour Ladsのコーラスを引き立てている。

普段アップテンポで唄われることの多い「Bidin' My Time」をメーローなミディアムテンポに仕立て、Snowfallを思い起こさせるような佳麗なピアノがイントロを導く。
Taking a Chance On love/Dancing In The Dark/Lazy River等Ladsお得意な軽快なナンバーでも一味違った編曲を聞かせ、アルバム全体のクオリティを高めているのだ。

一見ミスマッチなこの組み合わせ、しかし聞いてみれば素晴らしい。Producerの慧眼に脱帽。
尚The Four Ladsは1977年一旦解散したが80年代に再結成、2000年代までカナダを中心に活躍中。オリジナルメンバーのFrank Busseriがグループを引っ張った。

The Four Freshmen/The Freshman Year

2014-05-31 11:07:08 | Weblog
このアルバムは音のシャワー。疲れた心に降り注ぎ、澱や汚れを払ってくれる。

全員が楽器巧者であるFour Freshmen、四人だけで完成させたアルバム。そこには余計な音はなく、完成されたハーモニーがスピーカー一杯に拡がる。そのコーラスはただ美しいだけではなくエモーショナル。僕等の心を揺さぶるようにハーモニーが微妙に揺れる。個性、声質の違う四人が見事に一体化し、他の追従を許さないサウンドを完成させた。

Freshman Year/Fools Rush In/I'm Getting Sentimental over You/Their Hearts Were Full of Spring/If I Knew Then/But Beautiful/Dream、、珠玉のバーラードが詰まっている。

Nat King Cole/Those Lazy-Hazy-Crazy Days Of Summer

2014-05-23 12:14:21 | Weblog
このアルバムが発売された1963年、僕は東京麹町に住んでいた。結構なお屋敷街で近所には数人のアメリカ人がいた。子供同士は言葉が通じなくても一緒に遊べる。僕は向かいのスージーという女の子と仲良しになった。ブロンドの長くきれいな髪が素敵な子だった。

彼女の家に遊びに行くと、そこはアメリカ。キッチンには見たこともないような大きい冷蔵庫、ミキサー、食器乾燥機(こんな時代に奴らはもう使っていたのだ!)、リビングにはテレビ、レコードプレイヤーなどがデン、と構えていた。おやつの飲み物はCoca Cola、おかしはRitz。あまりにかけ離れていたので羨ましいとは思わなかったが、とにかく遊びに行くのが楽しみだった。

ある日スージーがキャンプごっこをやろうと言う。おかぁさんにねだって彼女はキャンピング用品を庭に広げて貰った。プラスチックの入れ物にきれいに収まった食器、赤や緑の格子模様が入ったナプキン、銀色に輝く水筒、こびとの国に迷い込んだような小さなイス、テーブル、竹の香りのするバスケット。それはまるで大人のままごとセットにみえた。

このレコードのジャケットを見るたび、僕はそれらを思い出す。僕が体験したのは側を車が走り抜ける街中のキャンプだったが、、砂浜に拡げられたクロス、スイカの入ったバスケット、クーラーボックス、そしてポータブルレコードプレイヤー。あの時代のかの国の繁栄とライフスタイルを垣間見ることが出来る。

コーラスをしたがえ軽快なSing Along StyleでKing Coleがノンストップメドレーを唄うこのアルバムは、夏の僕の定番。
Those Lazy-Hazy-Crazy Days Of Summer!!邦題は「暑い夏をぶっ飛ばせ」だった。

Sue Raney/When Your Lover Has Gone

2014-05-02 10:39:00 | Weblog
レコードに針を降ろす。馴染みのNelson Riddleのイントロに続いて、Sueの若くしなやかな歌声が聞こえてくる。

この歌声に僕は心奪われた。決して大向こうを唸らせるような派手な唱法ではないが基本に忠実で誠実、ひたむきに訴えてくるSueの歌は心の底から穏やかな気分にしてくれる。

Sue Raneyは歌手だった母親の願いで、幼いときからヴォイストーレーニングを受け、14才でプロデビューを果たした。最初はラジオショー、やがてテレビショー(Ray Anthony Show)に進出、16才でCapitolからデビューした。

Ray Anthony Showでレギュラーを努めていたThe Four Fresmenとは長い親交を持ち、60年代後半から70年代にかけてラスベガスで数多くのショーを行った。

80年代には歌手の傍ら、ボイストレーナーとしても活動を開始。90年代にはコーラスグループ、L.A. Voicesを結成、Super Saxと共演したアルバムは話題を呼んだ。

このアルバムは1957年に発売、Sue17才時の歌声である。この年齢がとても信じられない。落ち着いた歌声はベテランと見まがうほどの貫禄さえ感じる。ラストのI'll See You In My Dreamはまさに夢心地の一曲。