今日の一枚/Speakeasy

昨夜隠れ酒場で流れたレコード、その中から毎日一枚ご紹介していきます。

Sam Cooke/The Rhythm And The Blues

2013-10-30 09:58:10 | Weblog
昔六本木にGeorgeというバーがあった。防衛庁の外壁にへばりつくようにその小さな店は建っていた。一階が店、二階が住まいになっている。店にはママが一人。年中真っ黒に日焼けしている、まるで黒人のように。この店で僕はSam Cookeと出会った。

その頃僕はレコード会社にいて、夜毎赤坂、六本木でマスコミやアーティスト、スタッフを引き連れて飲んでいた。それが終わるのが大体午前二時。それから一人、ないしは秘書をしていた女性と二人でGeorgeに行った。

店内はいつも閑散としていた。時折ママの子供、Georgeが階上から降りてきて焼きそばなどを作ってもらっていた。Georgeは黒人とのハーフ。パパは駐留が終わってアメリカに帰ってしまった。何処にいるのか解らないそうだ。ママが一人で育てている。

仕事で飲む酒は酔えない、ようやくこの店で酔っぱらう。酒癖は悪くなかったが、、この店に来ると何故かもの悲しくなって、やりきれなくなっていつも荒れた。一人の時はまるで自分がTom Waitsになったような気分になり、秘書の女性と二人の時はだだをこねる子供に戻って甘えた。そんな僕を黒人のようなママがカウンター内から笑みを浮かべていつも見ていたものだ。

店内に一台、ジュークボックスがあった。中のレコードはいずれも擦り切れていて、回るとどの曲もバリバリ音がした。たまにママが金を入れて数曲流す。それ以外はFENが流れていた。
「もう帰りましょ」「いやだ」「明日も会議ですよ」四時を過ぎても飲み続ける僕を秘書が優しくたしなめる。優しくされるともっと甘えたくなる。「帰りたくない」。
その時ジュークボックスから音楽が流れ始めた。諭すように優しく甘い声。

If I go a million miles away
I write a letter each and every day
'Cause honey, nothin',
Nothin' can ever change this love
I have for you

Sam CookeのNothing Can Change This Loveだった。名前は勿論知っていたしBring It On Home To Me等数曲聞いたこともある。この曲だって耳にしたことがあったかも知れない。しかしこの夜この歌は僕の胸の奥底にあった感情とハウリングを起こした。不覚にも涙が流れた。僕は彼女の手を握り、曲が続く間中泣いた。

この後僕は会社を辞め、彼女とも会わなくなった。
今彼女は大物R&Bアーティストのマネージメントをしている。「色気もない怖いおばさんになりました」とメールが来た。この話まだ続きがあるのだが、、後十年経ったら完結させましょう。。。

The Four Seasons/Genuine Imitation Life Gazette

2013-10-29 10:30:18 | Weblog
1960年代後半にはいるとBeach Boys/Pet Sounds、Beatles/St.Peppers Lonely Heart Club Band等従来のRock、Popミュージックの枠内では捉えきれない作品が輩出し始めた。Beach Boys、Brian WilsonとBeatles、Lennon-McCartnyは互いを意識しながらRock、Popミュージックを昇華させ、数多くのアーティスト達に多大なる影響を与えた。

The Four Seasonsは明快さが取り柄のチョーPopなグループだった。Sherry/Big Girls Don't Cry/Rag Doll、、そのヒット曲は枚挙にいとまない。その原動力となったのはProducer-Song WriterのBob CreweとメンバーでSong WriterでもあったBob Gaudioの二人だ。

Bob CreweはDiane Renay「Navy Blue」、Toys「Lovers Concerto」のプロデュースでも有名な60年代を代表するディレクターだ。彼の信条はPOP!売れないドゥワップグループFour Loversを改名させFour Seasonsとしてデビューさせ大成功に導いた。Bob GaudioはFour Seasonsとなってからグループに参加、数多くのヒット曲をCreweと共に書き下ろした。

アーティストというのはどん欲だ。恐らくBob GaudioはPop路線、ヒット狙い一辺倒のBob Creweのあり方に不満を持っていたに違いない。彼はSt.Peppersの様なトータリティーを持ったアルバムを作りたかった。それだけの才能も持ち合わせていた。そして彼が中心となって1969年に制作されたのがこの「Genuine Imitation Life Gazette」だ。

直訳すれば「純粋模倣生命新聞」となるこのアルバム、まずジャケットがこりに凝っている。見開きにもう一枚くわえた6面のハードカヴァー。それら全てが新聞になっている。警官隊と衝突するメンバーの写真や、アンクルサムの徴兵広告、テレビ欄、株情報、、、そして記事の一つ一つが歌詞になっている。面白いのはビートルズの面々が洞穴の中のラビシャンカールに跪いているマンガ。とにかく全てが鋭い、しかしユーモアー溢れる紙面となっているのだ。

さて肝心の音の方と言えば、、これがFour Seasons!?と驚かされる曲調。様々な曲があって一言では言い表せないが、後に10CCやQueenが繰り広げたRock Operaの原型がみられる。
今聞くと意欲的で画期的、しかし当時は全く評価されなかった(いまだ評価しているのは僕くらいかも知れないが、、この後Bob GaudioがFrank Sinatraのコンセプトアルバム「Water Town」を制作したことを考えれば、見る人は見ていたと言うべきだろう)。

セールス的にこのアルバムは大失敗、その後Four SeasonsはBob Creweと決別、しばらく泣かず飛ばずとなったが、、さすがBob Gaudio、70年代に入ってDiscoブームを上手く捉え「Who Loves You」の大ヒットで再びFour Seasonsをトップグループの座にカムバックさせた。

The Blue Stars/Lullaby Of Birdland

2013-10-28 08:47:06 | Weblog
海外のコーラスグループの息は長い。その多くは時代の波を乗り越えてそれぞれ独自のスタイルを貫いてきた。Four Freshmen/Four Lads/Ink Spots/Mills Brothersなどは今でもオリジナルメンバーが、あるいはメンバーのサポートを受けて息子や後継者達によって引き継がれている。

このBlue Starsは男女混声と言う編成は変わらずとしても、そのスタイル、名前を数回変え進化していった珍しいグループだ。
そもそもはレコード企画のためにかき集められたメンバーでスタートしたグループだが、デビュー作に当たる本作品がヨーロッパのみならずアメリカでも大きな評価を受け、数人のメンバー入れ替えを行いながらパーマネントなグループとなった。

Blue Starsの魅力は小粋なハーモニー、多用されるスキャットにあるがそれ以上にフランス語の持つ不思議な力がそれを増大させている。
話し言葉を聞くだけでも音楽的な印象を受けるフランス語、その独特な発音方によってスキャットがよりコケティッシュに聞こえてくる。同じOOOOhやDuwa Duwaがアメリカ人のそれと全く違うのだ。畜生!このキザなフランス人めが、、と舌打ちしつつにやっとさせる小粋さが溢れている(二作目「Pardon My English」では英語で唄うという愚挙を犯しているが)。

さて1954年に結成されたこのBlue Stars、59年にDouble Six Of Parisと名を変えた。同時にそのスタイルはヴォーカライズ中心のよりジャズ色の強い物となり、Dizzy Gillespie、Bud Powel等と競演し素晴らしいアルバムを残した。
そしてそのDouble Six Of Parisは、、、60年代半ば再び名称を変更、Swingle Singersと名乗りクラッシック作品のヴォーカライズという独自のスタイルを確立した。
このいさぎよさ、気紛れさはかのフランス人が生来持ち合わせている物なのだろう。。。

Stan Kenton Plays Chicago

2013-10-24 10:50:16 | Weblog
はじめてChicagoの「Introduction」を聞いたとき「ありゃ?!」と思った。同時期の(60年代後半)のKenton Bandにサウンドが極似していたから。攻撃的なブラスアンサンブル、小刻みなドラミング、走るベースライン、、、僕は違和感なく新進気鋭のブラスロックバンドChicagoの世界にはまった。

このChicagoを初めとして70年代初頭、Blood Sweat And Tears、Chaseなど所謂ブラスロックが流行った。この動きをKentonは喜んだ。「60年代ロックが全盛となり、若者の多くにとってジャズは古い音楽となった。自分たちの親の時代、もっともアヴァンギャルドな音楽だったにも拘わらず。しかしここに来てジャズとロックの融合を計る素晴らしいグループが登場した。ChicagoとBlood Sweat And Tearsだ。」

60年代後半からKentonは従来の「一流ミュージシャンを集めたBand」から「新進気鋭を発掘、育成するBand」へと方向転換をした(もっともKenton Bandはその初期に於いて数々の若手ミュージシャンの登竜門であったが、、。Stan Gets/Art Pepper/Gerry Mulligan/Maynard Fuguson/Shelly Man、、その数は枚挙にいとまない)。各大学を回りKenton Clinincを開講、自らの音楽を喧伝すると共に若手の育成に励んだのだ。

そんな努力の甲斐あってKenton Soundは多くのフォロワーを産み、ロック界にも大きな影響を与えた。このアルバムはそんな若手フォロワーに対してKentonが敬意を表したアルバム。サブタイトルにDedicated To Chicago And Blood Sweat And Tearsとある。ちなみにこの後「Get It On」の大ヒットを飛ばしたChaseのBill ChaseはKenton Bandの卒業生だ。

The Diamonds Meet Pete Rougolo

2013-10-23 10:34:30 | Weblog
The DiamondsといえばLittle Darlin'のビッグヒットで知られるカナダのドゥワップグループ。彼らのメインレパートリーはR&Rだった。エルビスそっくりのリードヴォーカルを巧みに織り込みながら、楽しいコーラスを聴かせてくれる。

一方のPete Rougolo。現代音楽家ダリウスミヨーに師事し、Stan Kentonによってその才能を発掘、開花された作、編曲家だ。MilesのBirth Of Coolの仕掛け人としても高名。Four Freshmen/June Christyらのアレンジを手がけた後、Mercury RecordにMusical Director/Arrangerとして招かれた。

この畑違いの二組が出会った。マネージャーの売り込みでDiamondsを聞いたRougoloはその類い希なる才能、個性に驚いたそうだ(おそらくRougoloはLittle Darlin'位しか聞いたことがなかったに違いない)。そしてアレンジャー、プロデューサーをかって出て本アルバムが完成した。
収録曲はBaby Won't You Please Come Home/Ain't Misbehavin'/Will You still Be Mine/Tenderly/One For My Baby等スタンダードナンバーばかり。これらにドゥワップの特徴を生かしたコーラスアレンジを施し、Diamondsもそれに良く応えてソウルフルな、時にはユーモラスなオープンハーモニーを聞かせてくれる。

一見ミスマッチ(ゲテモノ)の組み合わせにみえるが、Diamondsの地力がそれを克服した。ジャズコーラスのアルバムとしても10本の指に入る作品。
ただとても惜しいのはミキシング。ヴォーカルパートを左チャンネルに、リズムセクションを右チャンネルに押し込んだ結果コーラスとバッキングが全く乖離していること。折角のRougoloのアレンジが全く活かされていない。自分でMONOミックスをいつか作りたいと思っている。

The Everly Brothers/Beat & Soul

2013-10-21 10:53:44 | Weblog
The Everly Brothersは50年代終わりから60年代初頭にかけて爆発的人気を集めたデュオ。カントリーミュージックをルーツにビートの効いたロックンロールやバラッドのヒットを飛ばした。Bye Bye Love/Ebony Eyesなど多くの曲がスタンダードとなって多くの歌手にカヴァーされた。彼らの魅力は独特のハーモニーと、二人が刻む歯切れのいいアコースティックなリズムギターにあった。Beatlesのハーモニーは彼らの模倣、と言っても過言ではない。Buddy Hollyと並んでBeatlesにとってもアイドルだったのだ。

そんなEverly Brothersをスターの座から引きずり降ろしたのは他でもない、The Beatlesだった。1963年全米にBritish Invansionの嵐が吹き荒れヒットチャートはほぼイギリス勢が独占、音楽状況は一変した。多くのアーティストが生き残りをかけて方向転換を余儀なくされた。
Everly Brothersはアコースティックを捨てエレキを持った。バッキングミュージシャンにもJim Gordon/Billy Preston等を起用、そのサウンドを大きく変えたのだ。その結果67年頃まで細々とヒットチャートに数曲送り込むことは出来たが、かっての輝きを取り戻すことは出来ず、、「懐かしのメロディー」組に入っていった。

このアルバムはそんな彼らの最後の足掻き。

The Sun Ain't Gonna Shine Anymore

2013-10-20 12:19:21 | Weblog
未だこのグループ、特にScott Walkerの評価が下せないでいる。上手いのか下手なのか、、、。

1966~67年の日本における人気は凄かった。Beatlesを凌いだと言っても過言では無いだろう。
圧倒的に女性ファンが多かった。僕は武道館のコンサートへ行ったが(それはひどいもんだった、、)、あまりの女性の多さに気恥ずかしさを覚えたくらいだ。まぁそのルックスから言って無理も無かったが、僕は当時のMusic Lifeの取り上げ方に大いに問題があった様に思う。
編集長星加ルミ子のイレコミは凄まじく、歌はどうあれ白馬に乗ったちょっと憂いをおびた王子様扱い、 その騒ぎに彼等を敬遠する音楽ファンも多かった。

しかし音楽的に見ればいわゆるスペクターサウンドにのせたScottの歌声は野太く男性的で、比較対象が見つからない程個性的、その選曲もシャンソンからボブディランまで幅広く魅力ある物だった。

僕にジャックブレルを教えてくれたのがScottだった。「うまいなぁ~、いいなぁ~」とソロになってからも追い掛け続けた、、、が、Standard Numberを唄ったアルバムを聞いて愕然とした。「なんや、これ。へたやん」既にFrank Sinatraを聞き込んでいた少年にはその稚拙さが堪らなかった。
それから僕はScottとさよならしたのだが、最近になって発売されたthe singles+というCDを買って「There goes my baby」や「Deadlier than the male」を聞き直すにつけ「やっぱりうまいなぁ」と思ってしまう。

結局Scottだけの話では無くて、色々なロック、ポップシンガーがスタンダードナンバー(ジャズボーカル)に挑戦しているが、その殆どは僕にとって聞くに耐えないもの(シェリルクローには是非唄ってもらいたいと思うが)、やはりJazzは専門家に任せた方がいいのかも知れない。

もう一人のボーカリストJohn WalkerはScottと正反対のハスキーで女性的な声をしていた。歌の上手さなんか無かったが、ソロで出した「If I promiss」は秀作。彼はカリフォルニア生まれ、ビーチボーイズのWilson一家の近所に住んでいて、Carl Wilsonにギターの手ほどきをしたらしい。

It's Only Rock 'n' Roll/Mike Smith

2013-10-17 09:33:01 | Weblog
Mike SmithはDave Clark 5解散後常に「休止」「活動」「休止」「活動」を繰り返してきた。若くして頂点に登りつめた者の運命なのか、シャイな性格故なのか解らないが活動開始が伝わると又すぐ長い「隠遁」生活に入ってしまう。決して解散後の活動が認められなかった訳ではなく、ソングライター、プロデューサーそしてコマーシャル製作の世界でも成功を収めている。それなのに、である。

Mike Smithは2004年長い活動休止(約10年)の後突如としてライブ活動を開始した。Mike Smith & His Rock EngineはNew Yorkを皮切りに米国西地区をツアー、かつてのファンを熱狂させた。

しかし神様は過酷だ。レコーディングも噂されたその年の9月12日、Mikeに悲劇が襲った。スペインの自宅を出たところを不運にも外壁が落下、直撃を受けた彼は脊髄を三カ所損傷し、瀕死の重体となった。その後ロンドンに移送され入院、彼の下半身はマヒ、右腕も殆ど動かない状態になってしまった…

奥様や音楽仲間に支えられ(ニューヨークではPeter & Gordonらがマイクのためにチャリティイベントを開催)長い療養生活を送ったが、、このCDはMike Smithが残した最後の作品になってしまった。

このCDはDave Clark 5解散後Mike d'Abo(Manfred Mann)とアルバム製作を行ったり、ソングライター、プロデュサーとして活躍した後Mikeが80年代初頭発表したもの(と思う)。NewsやWebサイトで存在は知っていたものの実物にお目にかかったことはなかった。

それがWebで知り合った南アフリカのDr.がわざわざアメリカの友人から取り寄せて、それを又僕の所に転送してくれたのだ。
ドキドキしながら聞いた「It's Only Rock 'n' Roll」は想像以上の作品だった。Mikeの歌のうまさ(特にロックンロール、リズムアンドブルース)はBritish Invasionsの時代から定評があったが、このCDではその天分を遺憾なく発揮している。R&R、R&Bの名曲を10年間のストレスを吹っ飛ばすように歌いまくる。実に気持ちの良いRock 'n' Rollだ。

聞いていてLittle Richard、Jerry Lee Lewis、Mike Smith、Bruce Springsteenという一つの系譜が僕の頭の中に出来上がった。それぞれがそれぞれのアイドルであった時代、、時代は変わり歌い手が代わってもRock 'n' Rollは、、、不滅だ!

Adult Child/Brian Wilson

2013-10-16 15:56:45 | Weblog
Brianについて語り始めるときりがない。逸話、お蔵入りの数々の音源、私生活、、、、まぁ彼及びBeach Boysについてはマニアックな本が腐るほど出ているからそちらに任せるとして、今日は一枚のブートレグを紹介しよう。

「Adult Child」BrianがDr.Eugene Landyにコントロールされていた1977年頃製作されつつあったBrianのソロアルバムだ。何を考えたのかこのアルバムでBrianはDick Reynoldsのオーケストラをバックに「Deep Purple」などのスタンダードやFrank Sinatraの為に書き下ろしたと言われる(結局ボツになったが)バラードを歌っている。オーケストラのカンパケは作ったものの、歌は仮唄と思われるものしか残っていない。途中で放棄したのだろう。

Brianのソロと書いたが、最初に発売されたブートのLPにはMikeがリードを取ったCalender Girl、Be My Baby、アルがリードを取ったOn Broadway等が収められていて何故ソロアルバムといわれるのかよく解らない。LPのライナーはDr.Eugene Landyが書いているのでBrianが途中放棄したアルバムを金にしたくて彼が音源をかき集めたのかもしれない。

このアルバムを聴く度家族、友人(メンバー)そして信頼していた医師(精神カウンセラー)にも翻弄され続けた孤高の天才Brianが哀れでならなくなる。

2000年代に入って「Adult Child/Millennium Edition」というCDが発売された。LPから12曲を抜粋、Re-Mix,Re-Mastaringしたものだ。 天才の夢の残滓がここにある。

The Classic Della/Della Reese

2013-10-12 09:31:05 | Weblog
マヘリアジャクソンの系譜に属しかってはゴスペルグループを結成していたという。その後独立、1959年に「Don't You Know」でミリオンセラー(Pop Single Chart2位)を記録した。この「Don't You Know」実はプッチーニのオペラ「ラボエーム」のアリアを取り入れて作られた曲だが、見事なラブソングに仕上がっている。

そしてこのアルバムはそのヒット受けて1962年に発売された。すべてクラッシクの名曲をベースにした曲が収められている。
チャイコフスキー:交響曲5番、6番 ルビンシュウタイン:ロマンス ドリゴ:セレナーデ ショパン:ポロネーゼ その他シューベルト、ドビッシー、ボロディンなどの作品だ。
クラシックをアダプテーションして歌うことは多々あるがアルバム一枚丸ごとというのは珍しいのではないだろうか?まぁいずれも何百年と歌い、奏で続けられてきた曲であるから悪かろうはずがない。しかしこれだけの曲を歌いきるというのは相当の歌い手でなければ難しいだろう。スケール、声量、表現力どれが欠けても下手物になりかねない。(そういえばシナトラが若い頃からこの手の曲をよく取り上げていた)

デラはゴスペルで鍛えた歌声をいかんなく発揮、まるで良質なオペラの一舞台に誘ってくれるようだ。
If You But A Dream(Rubinstein) ,My Reverie(Debussey),Serenade(Schubert),Don't You Know(Puccini)が泣かせる。