穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

カントの三つの「*自体」、カントの土木工学的手法について

2017-02-11 09:33:48 | カント

遊水池を作るのがカントの常套手段である。洪水に備えて「逃し水」のための貯水池、水路を造りますよね、都市土木工学では。

純粋理性批判では遊水池は「物自体」である。実践理性批判では「存在者自体」(叡智者自体とも人間自体とも)である。判断力批判では「超感性的基体」である。最終的な辻褄をそこであわせる。

実践理性批判では「存在者自体」であるが、これは実存哲学などの「実存」に酷似する。

実践理性批判の内容は純粋理性批判の構想よりも前に、あるいはほぼ同じ時期に懐胎したらしい。しかし発表の順序は皆様ご案内のとおり純粋理性批判、実践理性批判であり、純粋理性批判をまとめるのに10年くらいかかったらしい。実践理性批判はなかなかすっきりとはまとまらず純粋理性批判に遅れること更に数年であった。そして出来上がった内容もそれほどクリアアットではない。

純粋理性批判と実践理性批判はパラレル・ワールドである。内容ではない。その形式であり、手法でありアルゴリズムがパラレルである。実際、実践理性批判にはおびただしい箇所で純粋理性批判への言及がある。