新・そうり官邸

そうりの日常や考えたことをダラダラとつづる。

学生生活。(真)

2008年03月31日 23時56分30秒 | Weblog
あと少しでガソリン税期限切れ。

そしてぼくの学生証も期限切れ。


今日は最後の学割で帰省した。


実家には立命館の卒業アルバムが届けられていた。

ぼくが送った写真が数枚ある。
なぜかヨコイチさんの白衣姿も写っている。
バドミントンの新歓祭ブースの写真に若かりしバッカスの姿が。

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この四年間はなんだかんだ長かったと思う。
それだけたくさんの思い出ができた。

そのほとんどはRUCC。
RUCCなしではぼくの大学生活は語れない。

単にクラブランや合宿などの公式行事だけじゃなく、プライベートでもRUCCメンバーとの思い出でいっぱいだ。

これがこのサークルのすごいところだと思う。

OBさんもたくさん遊びに来てくれたし、逆にOBさんの集まりにも呼んでもらえた。

ふつうは四回生になったらサークルにも出ないところなのに、何年も前に卒業したOBさんも来てくれる。
特に、追い出しでの、現役生とOBさんとの一体感は、ほかのサークルや部では味わえないだろう。


ちょーさんに、RUCCに入会したことについて
「きみは人生の英断を下した」
って言われたことがある。

ほんとにそうだ。

RUCCに入ってよかった。

みんなに出会えてよかった。

ランドナーにも北山にも出会えてよかった。
その他日本全国津々浦々、いろんな自然、文化、人々に出会えてよかった。


ほんと充実した四年間だった。


もちろん、ああすればよかったとか後悔めいたものもある。

まぁそれはゼイタクというものかな。



ゼイタク、とわかりつつも、ふと思うのは、ぼくはこのサークルに何を残せたか、ということ。

もちろん、サークルがぼくに残してくれたものは数えきれない。

べんさんがよく言ってたけれど、これだけ多くのものをサークルからもらったんだから、なにか還元しないといけない。

それが執行部としての仕事だ。

執行部ではぼくなりに仕事をしたつもりでいる。

うちの回生はうまいことそれぞれが長所と短所を補いあっていたと思う。
ぼくなんか、わりといい加減な人間だから、企画部以外にもいろんな人の助けを得てこそ仕事ができた。
ぼくが仕事をしやすいように周囲が協力してくれたんだと思う。

追い出しの冊子で、「尊敬する人」の一位になっていたのも、なんやかや周囲がぼくを立ててくれたからかなぁと思う。
繰り返すけどぼくはいい加減なのに(^_^;


話は戻るけど、サークルに何を残せたか考えてみた。

ぼくは企画部長として、走る楽しさや北山のよさを伝えようとしたんだけど、どうだっただろう。

まぁ人それぞれ考え方は違う。

でも、「RUCCらしさ」というのは普遍じゃないかな?
ぼくは走ることにおいての「RUCCらしさ」を伝えようとしたんだけど…

まぁこればっかりは分からんわ。
伝える、というのは難しい。

ぼくの影響でも、そうでなくても、クラブランで「北山はいいとこだ」と一人でも多くの人が感じてくれればよい。

そして欲を言えば、プライベートでも北山を走りにいく人が増えることを願うばかりだ。



忘れていた。

そういえばプランナーだった。

このサークルに何を残せたか。
自信を持って言えるのは、ぼくのプランによって春一や合宿で、みんなの思い出を作ることができたこと。

「プランナーはみんなの思い出をつくる」
と、おしょうさんが言っていた。

もちろん、詰めが甘くて各執行部には迷惑をかけてしまった。
峠ではみんなにしんどい思いもさせてしまった。

それも含め、春一なら二日間、合宿なら一週間、まぁ長い人生のほんの一瞬だけど、みんなの思い出作りに貢献できたことを名誉に思う。


何を残せたのか、なんて考えるのはおこがましいかもしれない。

でもやっぱりこのサークルにどっぷり浸かった四年間のまとめに際し、こういうことを考えるのもいいんじゃないろうかね。

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勢いに任せ、だらだらと書いてしまった。
言いたいことはうまく書けなかったけど、ここまで読んでくれた方はありがとうございます。


これからは社会人。

宙ぶらりんだけど、自覚はしっかり持ちたい。
いつまでも学生気分ではいられない。

人生の新しい章の幕開け。
さぁがんばろう!


今日から右京区民。

2008年03月31日 12時01分37秒 | Weblog
昨日は一日中雨が降ったものの、今日は晴れ間が見える。


住所が北区から右京区に移動したので、太秦天神川の新総合庁舎へ転入届けに。

つい最近できたばかりらしく、お役所とは思えないほどやたらきれい。

ハコモノ臭ぷんぷん…

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それにしても、右京区というのはなかなか広い。

西院など繁華な場所もあれば、梅ヶ畑、水尾、樒原、京北と、京都市内とは思えない田舎も含む。
八丁平も右京区じゃなかったっけ??

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さてさて、一年後はどこにいるのでしょうか?

とりあえず一年間よろしく、右京区。

引っ越しました。

2008年03月30日 22時31分34秒 | Weblog
今日引っ越しました。

場所は三条西小路。
西院までチャリ5分。
目の前は嵐電山之内駅。
少し行くと地下鉄太秦天神川駅。
…と、交通の便はなかなか。
地下鉄東西線の延伸や右京区区役所移転でなかなかホットな地域。


家賃は39000円。
水道代が定額で+2500円。
部屋は7畳。なかなか広い。

いい物件だ。
賃貸住宅サービスさんに感謝。

まだ何も家具がなくて殺風景。
どんな部屋にしようか考えるとわくわくしてくる。

まぁ、結局旧官邸と変わらず華のない部屋になると思うが…

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アイタタタタ…

RUCC始業式で西院のチファジャへ行ったものの、朝からろくなもの食べてない空きっ腹に肉を押し込んだので腹痛が…

アイタタタタ…

桜も咲き始め…

2008年03月30日 01時01分49秒 | Weblog
先日、ふらっと衣笠キャンパスへ。
青広南側の桜はもう八分咲き。

そんな、春の訪れが目の前に感じられた3月26日夜、携帯に見知らぬ番号から電話がかかってきた。
それは、京都近郊の某高校からの、国語の非常勤講師の依頼だった。

非常勤講師というのは説明がややこしい。
分かりやすく言えば塾講師バイトのようなかんじ。
受け持ちの時間に学校に来て授業を行い、それが終われば帰る。
同じ講師でも常勤の講師とは雲泥の差だ。

27日、打ち合わせのためにその高校を訪れた。
阪急西院から十数分。

受け持ちは二年生。
週6時間。

現代文か古典のどちらがいいか聞かれた。
専攻で漢文を読んでいたし、四年間勤めたベネッセの採点バイトでも漢文のパートを担当していたので、はじめは古典を希望した。

しかし、古典が3クラス受け持つのに対し、現代文は2クラスを受け持つ。
教育実習では日本史を教えたので、国語を教えた経験は0。
それならクラスが少ないほうがいいと思い、最終的に二年生の現代文2クラスを担当することになった。

その日は契約書を書いて帰った。

次の日は国語科の教科会議。

衝撃だった。

ざっと言えば、RUCC新入生がいきなり執行部会議に顔を出した感じ。
学校の内情もあまり理解していなかったので、会議についていくのもやっとだった。

でもいくら新卒の非常勤講師といっても、生徒の前に立つという点ではベテランの先生方と同じ。
国語を教えたことが無い、というのは言い訳に過ぎない。
ベテランの先生方と同じレベルが要求されるし、そうしていこうという意志の強さが問われる。

今回の教科会議で実感したのは、ベテラン先生方のプロ意識。
みなそれぞれの教育観がある。
意識が、高い。

それに比べると、ぼくはまだまだ甘い。
いつまでも学生気分ではダメだ。

う~ん、不安だ。
これまでのんびりした大学生活を送ってきたぼくが、プロ意識をもつことができるのか。
いやもう決まったことだから、やらねばならない。
どげんかせんといかん!

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というわけで、ぼくは引き続き京都に住まうことになりました。
今日は賃貸住宅サービスさんに西院でいい物件を紹介してもらい、さっそく30日に入居することに。

つまり、これからもRUCCに顔を出せるということ。
なんか、好きだったドラマや漫画が終わった後に、その続編をみるような気分。
これもなにかの縁かな。

「またそうりさん来たわ~」

なんて言わずに…

まぁこれからもよろしく。

いろんな人に感謝。

2008年03月26日 22時26分43秒 | Weblog
ドライブ、前哨戦、合宿、卒業式、引越しと、めまぐるしかった三月。

前哨戦では途中参加のおっさんを温かく迎えてくれたみんな、どうもありがとう。
おかげですぐになじむことができました。

…なじみすぎてイロイロやってしまったことは水に流してください。
思い出すたびに胸や胃が痛みます。
いつからこんな人間になってしまったのでしょうか。


合宿は現役最後。
去年に引き続き、何も考えずに楽しむことができた。

一眼の修理が間に合わなかったのは痛恨の極み。
でも、合宿に参加できただけでこのうえない幸せ。
天気もよく、南九州のちょっと日本離れした自然や歴史に触れることができた。

37期執行部のみんなには、思い出に残る楽しい一週間をありがとう、と伝えたい。


そして卒業式。
いまひとつ実感がわかなかった。

卒業コンパも、これまでで一番「卒業コンパ」らしく、心から楽しめた。
コールをかけるのがあんなに楽しいのは久しぶりかもしれない。
(べんさんの苦労も知らず、気ままにコールかけてちょっと申し訳ないです)

でも、やはりいまひとつ「卒業」という実感がわかない。


ところが、四年間住み慣れた下宿―総理官邸を引き払うとき、もう大学生活は終わるのだと痛感し、さみしさがこみあげてきた。

あたりまえのように毎日生活していた場所が、もうない。

大学生活の終わりを、目に見える形で実感させられた。


そのさみしさに耐えかね、官邸での最終飲み会を開いた。
来てくれた大豆、キプロス、のせ、とうそん、みぃこ、ボブ、どうもありがとう。
おかげで官邸での最後を締めることができました。

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そして今は宙ぶらりん。
どうなることやら。




卒業。

2008年03月20日 02時05分05秒 | Weblog
今朝九州から帰還。
休むまもなく、明日は卒業式。

最近、学生生活の名残惜しさをうだうだと書いてばかりいるので、もう書きません。

でもやはり実感が無い。

高校までと違って全く式の練習をしないから、実感が湧かないのかもしれない。

一応31日までは学生なので、その日になったら大学生活をきっちり締めるようなことを書いておこう。

どこにいるのか分からんけど。

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明日でしばらく会えなくなる人もいるのか。
そう考えるとさみしい。

悔いの残らないよう、いろんな人と話しておこう。

だからみなさんもそうりさんに話しかけてやってくださいな。







RUCC漢道(おとこみち)・3

2008年03月19日 06時39分37秒 | Weblog
合宿中お通じが良くなかったが、この日の朝は快調(快腸?)。
陰陽石からパワーをもらったこともあり、なんだか調子がいいので宮崎まで一人で自走することにした。

こういう無茶はもうできないだろうし、それにひとりくらいは自走する人間がいても良かろう。
これがRUCC漢道である。

…とばかり、今にも泣きだしそうな空の下、宮崎に向けて走った。

途中にある綾の大吊橋は、地上140メートルの高さを誇る。
足元の一部が金網になっていてなかなかこわい。

途中雨に降られながらも無事宮崎駅に到着。

合宿一日分の充実度だった。


帰りのフェリーはかなりゆれた。
台風に襲われる夢にうなされるくらいゆれていた。

もうすぐ南港着。

あぁ現実が~

RUCC漢道(おとこみち)・2

2008年03月18日 15時28分19秒 | Weblog
陰陽石をあとにして、近くにある三の宮峡へ。

トロッコの軌道跡が散策路になっていて、いくつもの素堀のトンネルをくぐりながら断崖絶壁の渓谷美を堪能。

櫓の轟(とどろ)は岩の回廊の割れ目から豪快に水が流れ落ち、迫力満点。

奥には戦時中に架けられた竹筋コンクリートの橋もあった。


あまり期待してなかっただけに、みどころいっぱいで充実。

みんなと来たかったな。
ぼくらだけでこれを味わうのはもったいない。

RUCC漢道(おとこみち)・1

2008年03月18日 13時11分34秒 | Weblog
今日は宮崎からフェリーに乗る予定。

フェリーは19:10出航。
時間が余るのでガンジー、コイケと宿の近くにある「陰陽石(いんようせき)」を見に行くことに。

朱塗りの鳥居をくぐって川に下りると、厳かに屹立する陽石が。
あまりのみごとさにコイケも圧倒された様子。
陰石はその下の方の水際にあった。

陰陽石は、長い時間をかけて川の流れに削られてできたらしい。
自然の力はすごいね。

春合宿最終日・1

2008年03月17日 18時53分15秒 | Weblog
今日は合宿最終日。

宿を出てから一時間ほどでTT。
えびの高原道路を駈けのぼる。
最後のTTなので全力を出してみたものの、寄る年波には勝てず順位はBクラスにとどまった。

とりあえず前会長には勝った。

その後、韓国岳を眺めつつ1000メートルダウンヒル。
途中の菜の花畑(三分咲)で新会長によるパオンコール。

新会長「ボルベリア…」
みんな「RUCC!」

「ボルベリア」とは、スペイン語で「もう一度帰りたい場所」らしい。
三泊目の「国民宿舎ボルベリアダグリ」から。

宿は小林駅から歩いて30秒(笑)

これから春合宿第二部!