読書の記録

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17歳のための世界と日本の見方

2008年07月16日 | 哲学・宗教・思想
17歳のための世界と日本の見方---松岡正剛---ノンフィクション

 僕が、17歳・・・高校2年生のときにこれを読んでも・・・たぶんわっかんないだろうなあ。

 たとえば地理学者の鈴木秀夫氏が提唱した「砂漠の思想・森林の思想」が紹介されている。「砂漠の思想」は一神教を生み出した素であり、「森林の思想」は多神教を生み出した素である。
 西欧的価値観のかなり根源なところにある二元論。イエスかノーか。あるいはゼロサムゲーム。つまり、生か死かといった二者択一的なものの考え方は「砂漠の思想」から由来している。そして「真実はひとつ、あとはすべて間違い」の極北に、一神教というものはある(もっとも、西洋哲学には対立事項を昇華させる試みとして弁証法が研究されてきたわけだけれど)。
 要するに、砂漠の生活とはひとつの「生」と多くの「死」であり、選択の間違いはすぐに死に直結する。それが「真実はひとつ!=生。あとは間違い!=死」という観念を発達させたわけだ。
 かたや日本を含むアジアの多神教。神を真理だとするならば、多神教とは、たくさんの真理が並存している状態ということになる。前後左右、東西南北にそれぞれなんらかの情報があり、みんなの言い分を聞き、各々の大団円を考え、曼荼羅的に融合させる、つまり多元論。これは「森林の思想」から生まれたと考える。森林地帯というのは、滝を選ぶか丘を選ぶか洞窟を選ぶか樹海を選ぶかで、さまざまな「生」がある。どれを選んでも「生」という意味では正解だ。

 なるほど。談合とか、妥協とか、すり合わせとか、馴れ合いとか、調整とか、落としどころとか、中選挙区制とか。つまり、みんなの言い分を少しずつ聞いて、各人少しずつ不満はあるかもしれないが、しかし互いの存在がそれぞれ矛盾同士なようなものでも、本来は連立しない複数の方程式を近似値で計算するような、いわゆる日本型意思決定は、「森林の思想」なのだな、と思う。

 世界社会の近代化において、西ヨーロッパ諸国、特にイギリスとアメリカでの規範が大きく覇権を握り、それが転じたものが、いわゆるグローバル・スタンダードと呼ばれるものになるわけだが、このコンセプトの真ん中には、実はキリスト教的バランス感覚があり、これは民俗学的な慣習や思考と言ってもよい。だから、新自由主義とかリバタリアニズムとか言っても、そこには教会思想的な互恵意識や、ノブレス・オブリージュのような本能とも言える暗黙知がある(もちろん、同時に社会階級意識や選民意識も並存することを意味する)。
 が、このキリスト教的基盤を持たず、「森林の思想」を有する日本(こういった日本のポジショニングは「照葉樹文化圏」とか「文明の生態史観」とかが有名)が、形だけグローバル・スタンダードを実践すると、フィードバック機能がうまく働かず、グロデスクな変化をまねく。

 だがしかし。21世紀の世の中、二者択一で意思決定できるほど単純ではない。それをひとつの答えのみをまっしぐらに進み、他を全部排除するのは、ファシズムかでなければ原理主義と同じだ。
 というのは、社会の営みは、算数とは違うのであって、たいていの物事には複数の正解がある。Aという答えが正解だからといって、Aでないものは全て間違いということはなく、実はBというのも間違ったことは言ってなかったりする。だから、AとBのどちらを選ぶかというのは、Aを選ぶ長所と短所、Bを選ぶ長所と短所のどれを選んでどれを捨てるか、という意思決定に過ぎない。
 が、二者択一的な意思決定に慣れてくると、「Aが正解、非Aは全て間違い」という意見と、「Bが正解。非Bが全て間違い」という意見の真っ向対立になる。ゼロサムとか、ディベートとか、議論のカスケードとか、小選挙区とか二大政党制とかを進めると、こういうことが往々にしてある。意思決定のスピードは速いかもしれないが、たとえば、Aが勝利するとして、BはBを選んだ際の長所も含めて、跡形もなく抹殺されてしまい、Bの復活はまず許されない。

 そう考えると、「悪い慣習」と見なされていた、談合・妥協・すり合わせ・馴れ合い・調整という、意思決定の方法論は、それは「砂漠の思想」から見た場合に「悪い」という、言わばひとつの解釈なのであって、「森林の思想」から見れば、ものすごく持続可能で有機結合的な「知恵」と考えることだってできるかもしれない。Aの長所とBの長所をなるべく活かし、Aの短所とBの短所をなるべく減らすCという答えを探す態度もまた、あって然るべしなのだ。

 で「砂漠の思想」と「森林の思想」。どちらが正解でどちらが不正解か、というのはもはや不毛な議論なのは言うまでもない。

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