読書の記録

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趣都の誕生 萌える都市アキハバラ(文庫本増補版)

2008年12月09日 | 東京論
趣都の誕生 萌える都市アキハバラ(文庫本増補版) ---森川 嘉一郎

 5年前に本書が単行本で初出されたときは、ちょっとした話題となった。都市記号学と文化社会学を巧みに組み合わせた秋葉原論は、ありがちなサブカル論やニューアカに堕さない鮮度と説得力があった。
 あれから5年。アキバも変化があった。秋葉原クロスフィールドの完成やヨドバシカメラの進出やつくばエキスプレスといった官民の逆襲(?)、電車男とメイド喫茶というマスコミの褒め殺し(??)、そして秋葉原通り魔事件。
 が、その後の秋葉原をめぐる諸事情を新章で補填したこの増補版、驚くべきことに、5年前に書かれた本編部分さえ説得力にまったく衰えがない。それどころかより確信度が高まったかのようでさえある。本書初出以降、著者は秋葉原やオタクについて発言する機会が多くなったため、本書における提言の新鮮度においては、その分を割り引かなくてはいけないが、それでも慧眼に満ちている。

 つまり、表象的な、あるいは社会風俗的な揺れ動きはありつつも、2000年代あたりからゆったりとおこっている東京という都市像の変容と、その先鋭としての秋葉原の姿は、いみじくも本書が予言していたように日本全体が持つ「未来の喪失」そのものの不可避的な動態とさえ言えるのかもしれない。結局、行政がロアビルその他を画策しようと、ヨドバシカメラが巨艦店を繰り出そうと、マスコミが面白おかしくネタを求めようと、実は、それさえもが秋葉原がもともと持つ求心力の成せる技だったりもする。秋葉原に向かわせるその原動力が「未来の喪失」であるならば、実は官公行政も家電流通も、マスコミも、本質的には衰退してきており、彼らの「未来の喪失」が知らず知らずに秋葉原の磁場に引き寄せられているに他ならない。組織として未来像をつくりあげる意思や行動力や経済性があるならば、官公庁や家電流通やマスコミは、必ずしも(中長期的に社会に福利厚生を還元するという観点からは効率的・合理的とも思われにくい)秋葉原に引き寄せられはしないはずなのである。

 だから、秋葉原が趣都化することは、時代の黄昏そのもののシグナルであるかもしれず、秋葉原の繁栄とは、ソドムの街のごとく、時代の爛熟と退廃の香りさえ感じさせる。官から民へ。そして個へ、さらには「非社会」へと行き着いた街の原動力は次はどこに行くのか。「神」への大逆流か、それとも、「個」のさらなる分裂へと向かうのか。

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 ところで、本書の特筆すべきは語り口のうまさである。プレゼンテーション能力、あるいは文章力の卓抜さが上げられる。パワーポイントのスライドのような、巻頭カラー口絵は、初出の単行本のときも目を見張ったわけだが、本文の切れ味も大言壮語っぽいところ含めて実に巧い。

「趣味というのは、文化的権威に対してどのような態度をとるのかによっておおまかに定義できる」
「大学の講堂の描き方は他の多くのラブコメにおいても認められる特別なもので、偏差値のヒエラルキーが都市風景の均質化に抗して、東京にいくつかの例外的に祝福された場所を、90年代以降も残存せしめていた希な事例としてみることができよう」
「(大阪万博に携わった著名人の名前をずらりと並べて)まさにきら星のごときメンバーが勢ぞろいしていたのである。しかしそれは、大衆に対する前衛の敗北を証す葬列でもあった」

 すごい書き方するなあ。

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