読書の記録

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仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか

2017年08月02日 | ビジネス本

仕事ができる人はなぜモチベーションにこだわらないのか

相原孝夫

幻冬舎

 

タイトルの勝利であろう。本文中の論旨はけっこう強引というか矛盾しているなあと思われるところもあるし、Amazonの評価をみると賛否真っ二つだが、著者が指摘する「ハイパフォーマンスを上げる人が必ずしも仕事に対してのモチベーションが高いわけでもない」という話はわからなくもない。

 

ぼくの勤務先の同じ部署に、ものすごく優秀な部員がひとりいる。仮にA君とする。A君は業務ジャンルを問わず、クライアント仕事から社内プロジェクトから雑務総務までなんでもこなす。それも同じ顔色で卒なくこなす。仕事はかなり速い。出てくるアウトプットはつねに水準以上だ。家庭の都合で遅くまで残業ができないという事情もあるが、それにしても速い。

人柄もよく、社内外から慕われている。ぜひ彼にお願いしたい、という仕事の指名も少なくない。

が、彼はあきらかに仕事へのモチベーションが高くない。低い、とは言わないが、熱意みたいなものはほとんど感じられない。どんな仕事がしたい、とか、どんなキャリアビジョンを描いているか、とかそういう話を何度かふってみたことあるのだが、いつもそういうものは特にない、とはぐらかされてしまう。目の前の仕事を、顔色も変えずに淡々と猛スピードでこなしている。

だから、会社の評価はほぼ常に高いところにあるようだ。社内政治とか自分からのアピールとかを一切しない人だから、トップをとるとか、表彰されるとかはないが、まわりの人がやきもきして他薦してくれたりして、A君は常に安定して上位10%圏内にいる。高値安定株みたいなものである。

 

そういう人物が近くにいるものだから、本書に出てくる「ハイパフォーマーはひょうひょうとしている」という指摘はまさにその通りなのだと思った。A君はモチベーションの高低というかムラがなく、どんな仕事に対しても同じような距離感で取り組んでいる。いたずらに自分の仕事や成果をアピールすることもない。よりごのみもない。なんか達観しているようである。

A君を観察するに、おそらく彼は自分の人生の中で、仕事ないし会社というもののマインドシェアが、ある一定を超えていないのである。サラリーマンだから、時間のシェアはどうしても仕事や会社に割かれるが、心のシェアはそうでもない。彼の心のシェアには家族のことや趣味のこともたくさん占めている。彼のモチベーションは人生そのものにあって、会社や仕事はその一部でしかない。だからといって仕事がいいかげんではなく、責務は全うする、というところだ。こういう人はビジネス外時間はクールで、飲み会などには出席しなそうだが、彼の場合、事情が許す限り出席している。社内の人間関係も円滑だ。人付き合いというのは、気がのらなければひどく疲れるもので、それこそモチベ―ションを下げそうなものだが、それさえ達観しているようだ(人嫌いなのでたいして友達はできません、ともさらっと言いのけてくる)。要するにいやいやでもしぶしぶでもないのである。

つまり、本書でいうところの、ハイパフォーマーは「道」と「つながり」を大事にし、結果的に生産性を挙げていて評価に結び付いている、という指摘をまさに地で行っちゃっているのである。まさか著者は、A君を取材したのではあるまいな。

 

A君や、本書に出てくる「ハイパフォーマーな人」をみていると、司馬遷の史記のくだりを思い出す。

ひとつは「桃李もの言わざれども下おのずからみちを成す」という漢句で有名な、名君といわれた李将軍を讃えた話。この漢句が意味するところは、「桃の花は何も言わないけれど花がきれいなので、それを見に人がくるので自然にその下に道ができる」ということで、優れた人は声高なアピールがなくても、自然に人に慕われ、人がついてくるの意だ。李将軍は部下を大事にしておごり高ぶらず、その誠実さで人がついていった。アレオレ詐欺とかアピール合戦が横行する昨今だが、4000年の歴史を耐えた言葉だけに、この漢句は人間の生き方の叡智が詰まっていると思う。

もうひとつは管妟列伝に出てくる妟子の話。晏子は、朝廷で主君に使えていたとき、「ことばをかけられれば、まっすぐに言い、ことばをかけられなければ、自分のおこないをまっすぐにしていた」。この距離感で3代の主君に仕え、諸侯のあいだに名声があらわれていた。つまり、上司や上役から声をかけられたときは一生懸命その人のために働いたり相手をするが、自分から上司や上役に声をかけたり、御用を伺うことはまずしない。この距離感の取り方は、社内政治や派閥なども横行する会社の渡り歩き方の極意のひとつだと思う。

李将軍の話も、晏子の話も、ぼくが心にとどめ、大事にしようとしていることだ。僕よりA君のほうがそれができているのがなんともくやしいが、モチベーションという本書曰く「思考停止」の言葉に踊らされず、自分を信じて目の前のことを誠実にとりくむことの義はたしかに存在する、と信じたい。

 


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