読書の記録

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人工知能と経済の未来  2030年雇用大崩壊

2016年10月05日 | 経済
人工知能と経済の未来  2030年雇用大崩壊
 
井上智洋
文芸春秋
 

 最近の新書はどうも軽薄なのが多くて敬遠気味なのだが、これはなかなか面白かった。著者の「どうだ!」という鼻息が聞こえてきそうだ。

 人工知能(AI)がにわかに注目されている。ディープラーニングとか、シンギュラリティとか。
 つまり、人間の手に負えないくらいにAIが進化したとき、われわれの世界はどうなるのか、というユートピアかディストピアかみたいな怖さ半分興味みたいなものがあるのだろう。SFの世界では、1968年の時点で「2001年宇宙の旅」によって「コンピュータの反乱」がテーマとして扱われていたが、コンピューターが暴走して人間の駆逐に乗り出すとかではなく(局所的にはそういう事故もありそうだが)、シンプルかつインパクトのある影響としては、雇用が奪われるというところでいま議論が起きている。
 たしかに、AIによって将棋や囲碁で人間が太刀打ちできなくなったからといって、この世から棋士がいなくなるわけではなさそうだが(社会的関心の変動によって給料に動きはあるかもしれないが)、自動運転車や、ドローンの荷物配送によって、タクシーやトラックの運転手の雇用が減る、なんてことはありそうだ。
 
 そこらへんをマクロ経済学的観点とからめているのが本書である。
 過去の産業革命による人類史や経済史の変遷なども比較しながら、著者はAIによるパラダイムシフトを2030年ころと見定める。このころが「汎用型AI」の本格的登場とみるのである。
 この「汎用型AI」というのは、「なんにでも応用が利くAI」ということで、対義語は「特化型AI」である。今現在、世の中で見ることができるAI、将棋や囲碁でプロ最高位をも任す「ポナンザ」や「アルファ碁」は将棋や囲碁に特化されたAIである。iPhoneの「Siri」も「特化型」である。Googleが開発を進めているとされる自動運転車も「特化型」である。
 「特化型AI」はいくら技術的に進化しようとも、もちろん「特化」の対象とされる人的雇用は影響をうけるかもしれないが、それ自体はこれまでの経済史でおこったことと基本的にはかわらない。家庭の風呂が普及することによって銭湯が廃業になるとかと、基本的には同じ範疇の話である。

 それに対して「汎用型AI」のインパクトはその比ではない。「汎用型AI」は、いわば産業革命における蒸気機関みたいなものだ。あらゆる場面で応用がきき、様々な産業体や技術領域で飛躍的な生産効率の向上を促す。
 経済史的には、蒸気機関の普及とそれによる一連の工業化を第一次産業革命、電気と石油によるエネルギー革命を第二次産業革命と呼ぶことが多いが、第3次産業革命については、原子力エネルギーによって立つ言い方と、IT技術の敷衍によって立つ言い方と二種類あり、本書では後者のとらえ方である。
 産業革命は、単に生産効率が上がるだけでなく、社会構造をかなり変えてしまうくらいのインパクトを作り出す。移動の高速化は、地理認識を変えるし、さらに大量かつ長距離の物流拡大は、グローバリゼーションという世の中の見方をつくっていくし、調達されてくる物資が変われば、建造物や街の姿そのものが変わる。振興する都市と没落する都市が出てくれば、行政構造そのものが変革を強いられる。
 そして、第4次産業革命にあたるのではないかと予見されているのが、この「汎用型AI」登場である。
 
 過去の産業革命がそうだったように、根こそぎ経済構造が変わる。タクシーの運転手が失業する、どころの騒ぎではない。
 もっとも、過去の産業革命では、一時期に失業者が膨れ上がっても、時間をかけて新たな雇用に吸収されるというのが経済学的な見方である。労働者当人の幸せはこの際おいといて(そこが経済学が無慈悲と呼ばれる所以だ)、人類史全体としてはまあなんとかなったわけである。
 ところが第4次産業革命だが、著者の見立てで、およそ9割の人間が職を失う。過去の産業革命とは比較にならないほどのインパクトである。残るのは資本家と、ほんのわずかなAI代替不可能な職能の人々だけである。まさか9割の人が全員マッサージ師になるわけにもいかないから(マッサージ師はAI代替不可能だそうである。これで思い出したけれど、南のとある孤島はサトウキビ産業でほとんど占められ、農家の収入は非常によいのだけれど、その稼いだ金の受け皿となる産業が孤島なだけにほとんどなく、結果的にパブやスナックが異常に多いそうである。農業と水商売のみで経済が循環している例)これは人類史上未曾有の局面だ。それどころか、資本家に対するところの労働者がほぼ絶滅してしまうので、結果的に「資本主義」は自然死するという。マルクスもびっくりである。なるほど。搾取する対象がなければ、資本主義も成り立たないわけだ。
 そうすると元・労働者階級は賃金収入がなくなるから、飢え死にするしかなくなるが、そんな状態にあってなお貨幣経済というものは存続しうるんだろうか、などとも思うのだが、著者はここで、増税を財源としたベーシックインカム(BI)論を展開する。おお、ベーシックインカム! こちらも最近とみに注目されている。まさかAIがBIに結び付くとは! なるほど、貨幣が循環していれば消費社会は継続され、ひいてはGDPは伸びていくわけだ。これは「汎用AI」によって生産効率がめちゃくちゃ向上していることが条件である。(これも思い出した話だが、先のとは別の南の孤島は、リン鉱石がやたらに獲れるため、それを輸出できれば島の経済はまわってしまい、穴掘りは出稼ぎ労働者に任せて島民はみんなベーシックインカムで悠々自適に暮らしていたそうだ。しかし、リン鉱石が枯渇してしまって島の経済は破綻、島民は労働どころか教育さえ受けておらず、魚を獲り方も料理の仕方もわからず、お先真っ暗とのことだ)

 ベーシックインカムについてはまだ思考実験の範疇を出ていないように素人としての自分は思うのだが、AIの進化を、経済史や人類史の中に配置させて考えてみるのはなかなか面白いと思う。2030年ころがその分岐点とのことだ。
 ただ、2030年というと、いっぽうで、地球の人口が100億人を突破していて農地と水が不足しているとか、平均気温が2度ほど上昇して、今の気候と地勢の条件が通用しなくなっているとかも言われている。「マルサスの罠」は突破できても「リカードの罠」につかまるんじゃないか、そのときに行き場を失った汎用型AIは何をもたらすのだろうか、などとも考えてしまう。
 
 いずれにせよ今から20年以内だ。東京オリンピックもいいけれど、その先のことも考えたいものである。
 

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