読書の記録

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「いき」の構造

2013年12月02日 | 民俗学・文化人類学
「いき」の構造

 九鬼周造
 
 
 日本人の美意識をつづった古典として、「陰翳礼讃」や「武士道」と同じく、教養の書として今なお絶大な人気がある。
 
  格子風の立方体による図解が有名だが(ググればいくらでも出てくる)、ポイントは「いき」の対面に「野暮」、「いき」の下に「上品」があることだ。「いき」とは野暮と上品の等距離にあるポジションであり、このポジションこそ、本書でいうところの絶妙な「軽微な平衡破却((へいこうはきゃく)」があらわれる。この「平衡破却」こそが「いき」を放つエネルギーそのものである。
 つまり、日本人はこの「軽微な平衡破却」にこそエロを感じるという美意識を持つ民族ということである。「いき」を構成する有名な3要素―「媚態」と「意地」と「諦め」というのは、言わば「平衡破却」の正体であると言える。そしてこれらの具体例として本書があげているのが、おくれ毛と薄布の湯上り薄化粧。当世ならばチラリズムや着エロといったところか。
 日本絵画のア・シメントリーな構造美学や、日本庭園における全容を俯瞰して見ることができない造園法なども、言うならばこの平衡破却である。

 また「いき」の3要素のひとつ、「媚態」というのが、実は二元論で成立しているという指摘は面白い。これは「媚態」とは自分と他者の相互作用を意図して行う振る舞いというということ。つまり、ひとりで媚態は完成しえないということである。もちろんここでの相互作用とは主に男女の間柄であり、「媚態」とは要するに恋愛に直結するわけだが、このように恋愛に「いき」が介在することによって、西洋の恋愛は覚悟だが、日本の恋愛は美意識ということに発展する。
 ここには、ここには神を持たずに自分を律するという日本の文化背景をみることができる。
  
 

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