こんにちは。
いい季節になってきましたね。
こんなさわやかな時に、またもや暗い話です。
私は、正式に発達障害と認定されたわけではないですが、
いろいろ見聞きするにつけ、おそらくそうであろうと思っています。
半世紀も生きてきて、いまさら正式に判断されようとは思いません。
ですが、もし今、自分が子供であったなら、
ぜひ発達障害なのか、そうでないのか判断してほしいですね。
グレーだというのなら、その答えでもいいです。
私が子供だった頃は、少なくとも私は、発達障害のことを聞いたことはありません。
今とは時代が違ったんでしょうね。
そして、発達障害である、もしくは、そうかもしれないということになったなら、
私ときちんと対話してほしいです。
向かい合って、私が何を困っているのかを聞いてほしい。
じっくりと、時間をかけて。
そして、一緒に、解決策を考えてほしい。
それで、毎日がスムーズに回りだしたとしたら、
私の人生は、また違った良いものになって行ったのではないか、
私は、今、自分を好きでいられたのではないかと思うのです。
世の中には、大人になる前から、いろいろなことにピン!ときて、
自分で努力できる、そんな子ばかりではないのですから。
たとえば、体育の授業。
(発達障害の方は、運動が苦手な方が多いそうですね)
小学校から高校まで、これは私の大きな悩みでした。
とにかく、運動が苦手。
走るのが遅く、跳び箱が跳べず、
球技などでは、ボールを上手く扱えない。
バレーボールなどの試合は、チームの足を引っ張るので周囲の風当たりは強いです。
鉄棒は前回りさえ怖くてできませんでした。
今でも覚えているのは、小学校の授業で(四年生か五年生だったかな?)、
チェーンでつるされた輪を両手で持ち、逆上がりするというもの。
クラスでできなかったのは私だけで、
先生は私に輪を持たせ、他の生徒何人かと私の足を持ち上げ、
(当時は太っていたし、背もわりと高かったので体重が重かった)、
逆上がりさせたのです。
私は手を放し、地面に落下。
怖かったし、痛いし、恥ずかしいしで、さんざんでした。
鉄棒さえ全くできないのに、できるわけないんですよね。
それから何十年もして、テレビで、やっぱり鉄棒の前回りが怖くてできないという女の子が、
低い鉄棒の下にがっしりとした男の人にうつぶせてもらって、
落ちるなら、その上に落ちればいいよという方法をとっているのを見ました。
その子はそのやり方で前回りができたのです。
「あ、私も、このやり方なら、あんまり怖くないかも。」
私はその時思いました。
だって、子供の頃、マットの上での前回りならできたんですから。
要するに、高い所から落ちるのが怖かったんですよね。
小学校の時の先生は、この方法に気が付かなかったんだろうか?
鉄棒の下にマットを積み上げるとか。
「どういうところが怖いの?先生と一緒にゆっくり練習してみようか。」
なんてことも、その頃含め学生時代、一回も言われたことはなかったけど。
小学校から高校卒業までの十二年間、
体育の授業のある前の日の夜は、本当にゆううつで。
でも、あの頃、少しでも先生が考えてくれて、
運動への努力の仕方を身につけていっていたなら。
そして、運動ができなくても、私の全部がダメなんじゃない。
自信を持ちなさい、と私にわからせてくれていたなら。
長くなりましたので、続きは次回で。
題名の「ぜいたくな願い」は、
周囲の人間にいろいろ求めるのはぜいたくなのかな?という意味です。