真実を求めて Go Go

今まで、宇宙についての話題を中心に展開してきましたが、今後は科学全般及び精神世界や歴史についても書き込んでいきます。

ラムサ 「創造と進化」その3

2014年08月17日 | 日記

 前回は、「光と物質、そして太陽系の創成」について述べてきたのですが、ラムサの述べている宇宙とは、現在我々が認識している宇宙では無く、この宇宙よりも以前の宇宙であり、当然のごとく太陽系も現在の太陽系とは異なったものなのです。

 ここ2回に渉り、「創造と進化」について書き進んできました。それにしても「人間」という存在を追求するということは、我々が「旧約聖書の天地創造」に書かれている物語よりももっと「深淵」な部分を探求する必要があるのかもしれません。

 今回は、前の太陽系の中の地球について書き進めます。

 私たちのほとんどは、遠い昔にこの地球と呼ばれる場所にやってきた神々の中にいたのであり、ここですべての生命を創造し、進化させてきた。多大なる時間をかけ、父なる存在そのものである思考をもとに、あなたは自分の崇高なる知性と創造力を通して創造のための理念をつくり上げた。

 光の存在である皆は、水中にあった気体物質の反応を通じて生まれたバクテリアから、生命体を形成したのである。これが、あなたがさまざまな生命の形を創造するのに使った粘土とも言えるものだ。

 はじめの頃、皆の創造するものは、ただ「何かのかたまり」として自己を表現する物質の集まりにすぎなかった。物質という現実、そこから創造するという過程を理解し始めたばかりだったので、まだあなたの創造性はきわめて単純なものでしかなかった。しかし、長い長い時間をかけ、あなたは植物や動物、そしてこの地上界に生きるすべての生き物を創造したのだ。

 生き物たちは、あなたの創造的な感情の表現として、また創造的な生命の表現、つまり自分でも自己を表現できる生命の形として、あなたがつくり上げたものだ。花も皆の中のある一団によって創造された。色が施された。香りも加えられた。のちに花のその他さまざまな要素が、それぞれ違った種類にもたらされていったのである。

 これらのものを創造するのに、あなたは別に一生懸命働いたわけではないことを知っておく必要がある。というのは、光の存在であるあなたには、そうしようにもそれをする肉体がなかったからだ。どんなものであろうと、何か創造したいと望んだとき、あなたは単に、それそのものになったのである。

 物質に実体を与え、性格や知性、形を与えるために、自分の創造したものの一部となったのだ。それぞれの創造物が、その創造主の知性を持つ生きた存在となったとき、あなたは自分の創造物から離れていった。つねにもっと偉大な創造を求めていったのである。

 もしも創造主の「生命の呼吸」を内に持たなかったとしたら、皆が創造したものは、これほど美しく荘厳ではあり得なかっただろうし、そこに目的ある意味もなかったことだろう。

 自分の創造したものに、知性、あるいは本能という遺伝上の記憶パターンと呼べるものを吹き入れたのは、あなたなのだ。これがあなたの創造したものに対して存在の目的を与え、生殖のプロセスと遺伝子の共有を通して新しい種に進化できる手段を与えたのである。

 だが、新しい種も本能という知性はそのまま内に持っている。進化の過程を最初に動かした、創造性あふれる偉大な神々からの生命の息吹きを内に抱いているのである。だからこそ、生きとし生けるものには、すべて神なる本質が、そして神々であり自分の創造主でもあるあなたからの生命の火花が、その内面に存在しているのだ。

 神々が自分の創造したものを直接体験し、しかも創造性の表現を続けるための手段として、物質界での存在をつくろうと決心したのは、食物連鎖がしっかりと確立されてからのことだった。それも、創造したものとしてではなく、自分自身として体験する媒体を、である。そのために、彼らは人間という化身をつくったのだ。

 思考は浸透性の周波数を持っている。つまり物質を通過してしまうということだ。そのために、光という形の思考であった神々は、花になることはできたが、その香りを嗅ぐことも、その本質を知ることもけっしてできなかった。

 彼らはちょうど、木々の間をそよぐのに、木そのものを感じたり抱きしめたりすることができないそよ風のようなものだった。石を通ってしまうことはできても、それを感じることはできなかった。思考は石という物質に影響されることがなかったからだ。その低いレベルの波動を感じる能力を備えていなかったのである。

 神々が花の香りを感じ、花を手に取り、身に飾るには、またその美を知り、そのあざやかさを体験するためには、物質界に存在して、花と同じ周波数で振動する媒体をつくらねばならなかった。

 このために、ほかのすべてが創造された後、人間という化身が創造された。神々が、物質体、あるいは「固体」、つまり思考が最も低次のレベルまで変換されたものを通じて、自分の創造物を体験し、また自分の創造性を表現していくという目的のためである。

 人間は思考観念を用いて、神々が乗る車両として創造された。それは個々の神々にとって、完璧な化身だった。魂を宿らせることができて、しかも神の精神で包むことのできる化身だったからだ。これで神は、花に触れ、その香りを嗅ぐことができたのだ。その体験は、神々の行ないの中でも至上の宝と言える「感情」として、魂の内に永遠に記録される。

 これで神々は、木を見てはこれに思いを馳せ、その香りを楽しみ、その美に触れることが可能になった。これで神々は、互いの姿を見て、触れ合い、抱き合い、そして話すこともできるようになった。互いに育み合い、観察し合い、完璧に自由でいられるようになった。神々は、今度は人間としての遊びの対象となる、まったく新しい冒険を手にしたのである。それは、目には見えないながらも大切な本質、感情というものを体験するためであった。

 こうして、固体の密度を持たない光の存在である神々は、自分の観念にあった密度をつくり出したのである。この化身という固体を通して、神々はいまひとつのレベルで自己を表現することが可能になったのだった。

 それは、想念が物質という形で投影され、出現するという次元だ。この過程で神々は、人類と呼ばれる細胞物体の知性という形で表れた単一の「神」、つまり神なる思考そのものとなったのである。

 こうして、彼らは神なる人間、人間なる神になった。人間というすばらしい形態で自己を表現する神、自分の内にあって、自分の父なるものの永遠への広がりを続けていく神を表現する人間となったのである。

 最初の人間は、神々のある一団がいろいろな試みを繰り返して初めて誕生した。最初は男だけが創造されたが、それも目に見える形での性器を持っていなかった。それは体内にあり、自己複製(クローニング)というプロセスを用いて、自分で繁殖ができるのだった。最初の男性ばかりの化身たちは、皆一様に似たような姿をしていた。

 彼らは今日の皆の目から見れば、グロテスクと映るような下等な生き物だった。だが、当時の神々にとっては、彼らは美しかった。しかし脚があまり早くなかったために、いつもまわりの動物の餌食となった。そこで神々はいろいろ試し、長い時間をかけて手を加えて、やっと自分が完全に乗り移るに値するものをつくり上げたのだった。化身が完成すると、数多くの神々が、人生の探求という新しい冒険のために、大よろこびで化身に入っていった。

 神々が宿った化身は、きわめて危険な環境の中で生き、ほかの生き物と共存していくために、光の存在たちがいつも手を加えて改善してゆける力を持つようにつくられていた。神が感情という形で抱いた想念はすべて、一つひとつの細胞の中にパターンとして記憶され、自己複製のプロセスを経てもそのまま伝えられるように、この化身はつくられたのである。

 ずっと後になり、男をさらに完成させた形として「人間の子宮」、つまり女が創造されると、遺伝子の共有を通してこの化身に独自性を与え、それをさらに複雑化、高度化させることが可能になった。男はそれまでに得てきた叡智を自分の精子に持ち、女は卵子に持った。性行為を通じて両者の遺伝子パターンがひとつになり、親の学びや気づきを基盤とした、さらに偉大な存在が創造されるのであった。だが、そこで創造されるのは、さらに良い身体であって、精神ではなかった。

 神々が人間として生きることについての理解を深めるにつれて(生存がこのプロセスを必要とした)、原初の姿から身体をさらに完成させる働きは続き、それが「進化」と呼ばれるものとなり、皆の数え方で言うと、これが千五十万年以上続いたのだ。現在の皆の姿になるのに、それだけ長い時間がかかっているのである。

 あなたの身体はまだ若い。移動性の高い、立った姿勢の人間は、まだ千五十万年の年齢でしかないのだ。しかし、光の存在であるあなたは、いつのときにも存在していたのである。

 なぜなら、時間という概念がなかったというのに、思索する思考の始まりがいつだったのかを、いったいどうやつて決めることができるのか?

 つまり、あなたはときの彼方からある古い存在なのだ。あなたがときを数えるのに使う用語でいうと、何十億年という間、あなたは電磁場の中での創造を続けていた。それから今度は、電磁場の波動を下げて物質にすることが、これまでと違う新たな冒険となった。

 こうして、何十億年という創造と探求を通じて、人間は、凝縮した思考と集約された物質でできた、生きて呼吸する生き物となったのである。


 さて、あなたはほかのものよりも、なぜこの天地創造の物語を選ぶのでしょうか。その理由はわかっていますか。

 それは、私たちは皆、完璧であり、誰もほかの人間より劣る者はいない。それに生命は……ずっと続いているのだということも。

 そのとおりです!

 それはまた、あなたの宗教が教えてきたことは間違っている可能性があることを意味しています。

 このことですばらしいのは何だかわかりますか?

 それは、おそらく悪魔も、地獄や罪や呪い、あるいは恐ろしい神も存在しないということです。彼らは間違っていたかもしれないのです。

 そして、実際に間違っているのです。


ラムサ 「創造と進化」その2

2014年08月15日 | 日記

ラムサは、聖書に書かれている「はじめにまず言葉ありき。すべては言葉とともにありき」について、これは
「まったく正しくない」
「言葉は、思考なしにはまったく無の存在である」
という。

また、
「はじめ」は「思考の無限」であり、この無限性を「父なる神」と呼ぶ
「思考」こそがすべて在るものの基盤であり「創造主」
「思考」はすべての生命の起因、基盤となるもの

そして、「あなた」とは?
「神の直接の創造物はあなたしかいない」
「その他は、すべてあなたが考え、感じて存在させることによって創造したものなのだ」
「あなたは、父なる存在の完璧な複製である創造物である」

では、ラムサは「光」についてどのように解釈しているのでであろうか。


 今回は、光と物質、そして太陽系の創成についてです。

 はじめにまず、思考がそれ自体について思索し、広がっていったときにどうなったか。それは思考の本質のなかでも「光」と呼ばれるものになったのだ。「光」が最初に創造されたのは、思考が行なわれ広がっていくとき、その波動は必ずある周波数、「光を発する周波数」のレベルまで下げられるという理由からだ。

 つまり、思索され、拡張された思考が降りていく最初の形態が「光」なのである。あなたの血筋は、この「光の誕生」のときまでさかのぼる。なぜなら、最初に思索の対象となった想念から生まれた「光の分子」が、それぞれが「ひとりの人間」となり、「神」となり、「息子」となったからだ。こうして、創造の誕生のとき、すべては「光の存在」と呼ばれるものになったのだった。

 皆の誰もが、この同じ瞬間に創造され、存在するようになったのだ。過去に存在したもの、これから存在するもの、すべての存在は、神が自己について思索したこの瞬間に思考から光へと創造されたのである。思考から広がっていった光は、「思考の河」と呼ばれるすべての想念の流れ、つまり神の精神と隣り合わせに位置しており、その一部となったのだ。

 皆の一人ひとりがなった光とは、そのときもいまも、あなたそのものである知性であり、光という形に広がった神だ。この神なる光、あなたの最初にして永遠の身体であるものこそが、あなたの存在の精神、あるいは私が「あなたの存在の内にある神」と呼ぶものだ。

 あなたの精神は、まさに神、神の心なのであり、それも単一の存在としての、という意味合いのものだ。今日でも、あなたはこの原初の精神、原初の神なる自己を持っている。そしてあなたは、思考という、あなたの愛する父が思索をめぐらし、光へと広がったその瞬間に光の存在となったのであり、いまでも、この輝かしき原初の光体をそのまま内に有しているのである。

 さて、この初期の頃、思考、あるいは神が皆の存在の精神を通り過ぎていったとき、感情が創造されたが、それはまだつかみどころのないものだった。そのため、神なる父から流れ出てくる愛の河をとらえることができるように、それぞれの創造力を通して「個々の魂」がつくられた。途切れることない思考の流れの中に思考をとらえ、それを「感情という形で静止」させる(これが「記憶」と呼ばれるものだ)という目的のためだった。

 「魂」は精神の内に宿っているが、あなたを創造性あふれる存在にしてくれたのはこの魂だ。なぜなら、何かを創造するためには、ある思考の明確なイメージを「記憶の中にしっかりと維持しておく能力」が必要になるからだ。そうすることによって、その思考に思いをめぐらし、皆が現実と呼んでいる創造的な概念へと広げていくことができるのだ。

 たとえば、これまでにないような新しい花を創造しようとすれば、その花についての想念を出現させなければならない。この花についての想念は、途切れることない思考の流れから取り出さねばならず、この流れとは、とりもなおさずあなたの存在の精神、あるいは光とまったくひとつのものなのである。

 この想念は、感情という形で、ひとつの像として魂の中にはっきりととらえられる。これであなたは、自分の欲求を通じて「花」という想念のイメージを思い出すことができ、それに思いをめぐらせて、どんな形、色、あるいは高さにでも自分の好きなように、それを広げていくことができるのである。いつでも、どんなユニークな花でも創造することができるのだ。想念を完璧に静止した状態で記憶にとどめることによって、その姿を完璧に描くことができるのである。

 魂なしには、父なるものを創造物にまで広げられない。なぜなら、思いをめぐらせて、それを創造物へと広げるために想念を静止した状態にする、ということができないからだ。

 創造と皆が呼んでいるものは、生命という価値観なのであり、つねに存在していたものだ。創造には始めもないし、もちろん終わりなどはない。あらゆるものは、父なる存在である思考の息子たちの手によって創造されたのである。そして、息子たちが創造するものはすべて、父なる存在の自己の広がりとなるのだ。

 皆のまわりにあるものはすべて「物質」と呼ばれている。「物質」とは、父なるもののことだ。あらゆるものは神だからである。しかし、物質を創造した者、その姿を定めた者とは、最高の技能を持った職人であり、神々であるあなたたちなのだ。なぜなら、存在の始まりのときから、思考を通して思い描くことができた観念をすべて物質に創造していくという、明確な目的をもった知性があなたにはあったからだ。

 さて、すべての物質は光によって囲まれている。皆の世界にいる科学者たちも、光の周波数を下げる、あるいは減速してやると、どうも固体物質になるらしいとの感触を持ち始めている(そしてこの感触は正しい)。

 では、この光はいったいどこからやってきたのか?

 思考である。つまり神だ。ある想念を持ち、感情の中にこれを抱くとき、その想念は光の波長を持つ波動へと拡大していく。

 光の分子の動きを遅くして、それを凝縮すると、プラスとマイナスの極がある電磁場、つまり皆が電気と呼んでいるものになる。想念を電磁場よりもさらに減速、凝縮させると物質になる。そして物質は、形体と呼ばれる分子・細胞構造体となる。そしてこの形体は、創造に必要な観念として魂が思い描いていた想念によって、ひとつの形に保たれているのである。

 すべてのものの創造過程は、まず速度がまったくないもの、つまり思考をもとに、それを速度のあるもの、つまり光へと拡大し、その光を減速して、これやあれや皆のまわりにあるものすべてを創造する、という形をとる。

 愛すべき主たちよ、在るものすべての美と輝きを、自分の思考過程を通して創造したのは、あなたたち自身なのだ。想念から光へ、光から電磁場へ、物質へ、そして形体へと、考えることで、感じることで、すべてを創造し存在させてきたのは、あなた自身なのだ。

 思考が光へと下りてきた存在だったあなたは、自分がなった光に思いをめぐらせ、自分自身であるその光を愛したのだ。そうすることによって、光をさらにもう一段階下げて電磁場をつくり出した。

 神はあなたの思考過程を通じてこの電磁場になったのだ。その電磁場に思いをめぐらせたとき、あなたはそれをさらにもう一段下げて、物質体、あるいは「凝縮した思考」をつくった。これは、思考の最も低い形であり、「自己を思索する父なる存在」のいまひとつの次元なのである。

 だから、皆が存在を始めてまず最初にしたことは、「思考から物質をつくる科学」を認識することだったのだ。だが、この科学は一度として実際に教えられたわけではない。何もせずとも理解されたのだ。なぜなら、それは皆が直接関わっていた生命のプロセスだったからである。この科学、そしてその理解から創造による形が生まれてきたのである。

 形あるものの創造が始まった最初の頃、神々は自分に思いをめぐらせ(光という自己の存在についてだ)、太陽と呼ばれるものを創造することによって、光の観念を物質化した。

 これらの太陽はすべて、電磁場の波動を下げた結果できた気体物質を集約、融合させることで創造された。生命の中心である火花、つまりこの偉大なる太陽から、惑星と呼ばれる回転する球体がつくられ、それぞれの軌道に乗せられた。そしてこの球体の上に、あなたたち神々がさまざまな形あるものをつくり上げたのである。それを皆が学ぶのには、気の遠くなるような長い時間がかかったのだ。

 この宇宙、そしてさらに偉大な太陽系の数々を取り囲む多くの宇宙を創造したのはいったい誰か?
あなただ!
そう、あなたなのだ!
単純明快に、あなたがつくり上げたのである。一つひとつのものを創造するにともない、あなたは自分の体験を広げ、それが魂の内に感情を発生させた。これこそ思考の中でも最高の宝だ。そして物質の次元の創造も、さまざまな感情を通して行なわれたのだ。

 あなたがまさに光の始まりの火花であったこと、そして、創造主であるあなたたちが、崇高なる意志を通じてすべて在るものを創造したことにこそ、あなたの神性があるのだ。あなたがすべてを創造した。
神が宇宙を創造したのではない。
神は宇宙そのものなのだ。
魂の内に宇宙を感じることにより、自分の思考過程からそれを創造したのは、あなたである。


ラムサ 「創造と進化」その1

2014年08月15日 | 日記

今回は、以下の書籍の「創造と進化」という項目について書きます。

ラムサ著:「ラムサ ― 真・聖なる予言」 … 出版:角川春樹事務所

 前回、ラムサと言う存在について概略以下のように紹介しました。

「ラムサに関する書籍は、J・Z・ナイトという一人の女性チャネラーにより降ろされた物語です。ナイトという女性は実際に過去世のお話をラムサという形で降ろしてはいますが、その過去はこの地球での過去ではなく、またこの宇宙におけるどこかの惑星の過去のお話でもないのです。それは、かつてあったこの宇宙の過去世でのことでした。そして、ラムサは過去のその宇宙のその惑星で彼の集合魂により、その集合魂を成就するという目的で創られました。つまり集合魂の最終段階の仕上げのようなものでした。そして彼はその役を見事にはたしています。」

 さて、この本の「創造と進化」の最初に次のように書かれています。
「神の直接の創造物はあなたしかいない」
「その他は、すべてあなたが考え、感じて存在させることによって創造したものなのだ」


 では、これから「宇宙の過去世」における、宇宙の「創造と進化」についてのお話をしていきます。

 天界に光をもたらしたのは誰か。花の美しさ、木々の勇壮さをつくり上げたのは誰なのだろうか。人間という、不可思議な謎と言える存在を創造したのは、いったい誰なのだろうか。それは、すべての生命の総体である神ではない。在るものすべてを創造したのは、自分たちも神々であり、すべてを愛する父なる存在の息子である、あなただったのだ。すべてをである。父なる存在とは、すべてのものが、そこからできている物質、思考体だ。しかし、思考する能力、感じる能力、それに自由な意志という神なる本質を持ったあなたこそが、この世界での崇高なる創造主なのだ。

 神は確かに思考の総体であり、在るものすべての源である。しかし、父なる存在そのものである思考から、すべての創造物の美と魔法を創造したのは、あなたたちだ。創造力と、崇高なる神性を通して、思考を受け容れ、保持し、その想念を思いめぐらす能力があなたにはある。そして、その知性を通して、あなたは在るものすべてをつくり出したのである。

 あなたの宇宙はこうしてつくられたのだ。人間はこうしてつくられたのである。すべてはこうしてつくられたのだ。あなたはまさにすべての生命の創造主だ。皆は宇宙のみなし児などではないのだ。それどころか、宇宙を創造した側なのである!

 すべての生命は、あなたの存在、あなたの想念、そしてあなたの感情を待ってはじめて存在できる。一輪の花の生命、そしてその美しさには、それを感じてくれる人がいなければ、いったい何の存在理由があるというのか? あなたがいなければ、それは意味がないのである。あなたがいなければ、四季はめぐらず、花も咲くことはなく、太陽は昇らず、風も吹くことはなかったことだろう。この世界はあなたがしっかりとした目的をもって自分の思いどおりに創造したものだ。皆が生きているこのすばらしい場所をほかのいったい誰がつくってくれたというのだ。あなたたちだけが創造したのである。皆はそれほど崇高なる知性を持つ生き物だ。あなたたちは、そういう生物へと進化していったのではない。いつのときもそうだったのだ。

 あなたが限りなき存在となることを、私は教えに来ているのだが、まずはじめにあなた自身の価値と大切さから教えよう。自分が神なる存在であることを知り、その崇高な知性と驚くべき力について理解するためには、あなたが自分の血筋について理解しておくことが大切だ。はじめはまず驚くべき力を持つひと筋の光となり、それから人間という神秘の存在に進化していった過程を理解しておくことが重要なのである。それをまず説明しよう。

 聖書にはこう書かれている。
「はじめにまず言葉ありき。すべては言葉とともにありき」
これはまったく正しくない!
言葉は思考なしにはまったく無の存在だった。
思考こそがすべて在るものの基盤であり、「創造主」だからだ。

 「はじめ」は、すべては「思考の無限」であった。この無限性を私は「父なる神」と呼ぶ。あなたが神と呼ぶものは、限界のないもっと広い考え方で言うと、思考のことであり、それはすべての生命の起因、基盤となるものだ。いま在るもの、これまで存在してきたもの、これから存在するもの、それらはすべて思考、つまり神の精神である知性から派生してきたものなのだ。

 つまり、はじめにはまず思考という限りない空間があった。そして、自分自身のことを思いめぐらさなければ、また内面に思考を向け、自分自身でもあるこの思考自体について思いめぐらすことがなければ、神は形のない思考のままでいたことだろう。父なる神が自分自身であったこの思考について思いをめぐらせると、ある独自の形に自分を拡大することになった。というのは、ある想念が思いめぐらされると、この純粋な理性的行為が思考を拡大するのである。そして思考はさらに大きいものとなる。こうして、これまで自分の存在を拡大したことのなかった父なる神は、自己に思いをめぐらすことによって、偉大なる存在となっていったのだ。

 自分を理解し、偉大なる存在になる望みを父に与えたものは何だったのだろうか。愛だ。思いをめぐらす思考そのものの本質の部分、その目的とは、愛なのである。神の自分自身に対する愛こそが、自分自身に思索の対象を見いだし、独自の形に拡大したいという望みを与えたのである。この愛というものの動きの中から、あなたたち皆が生まれたのだ。というのは、神が自分を心に抱き、愛することで偉大なる存在となったとき、あなたたち皆が、この神が拡大していったものとなったからである。あなたたちの一人ひとりが、同じこのすばらしき瞬間に、はじめて思いめぐらされ、拡大していった思考の輝かしき一部となったのである。

 神である父の最初の創造物となった「あなた」は、それぞれが「神から生まれた神」であり、「父の息子」であり、そして「神の精神」と呼ばれる崇高な知性の一部となったのである。神々であるあなたたちだけが、神から直接創造された存在だ。あなただけが、父なる存在の完璧な複製である創造物なのだ。それは、父なる存在が拡大した姿があなただからである。父なる存在のすべては、その愛する息子たちをすべて合わせたものの内に、無限に息づいているのである。

 父なる神とは、生命という強制的で思索的である思考のことだ。あなたの思考がじっとしてはいられないように、それはけっして立ち止まらない継続する過程である。思考、あるいは生命が永遠に向かって拡張を続けていくためには、それを続ける理由がなくてはならない。その理由が、あなたなのだ。あなたたちの一人ひとりが神の精神の一部となったのは、あなたを通して生命が永遠に拡張を続けるためだ。永遠とはけっして時間の単位ではない。なぜなら、永遠とは、この瞬間のことであり、現在という瞬間の継続性、永続性そのものであるからだ。

 この過程を前進させていくために、父は皆の一人ひとりに、いまもこれからも実存していくたったひとつのもの、思考の総体を与えたのである。思考の総体とは、つまるところ神の総体のことだ。皆はそれぞれ、神によって、そして神のために、自分というものを与えられたのである。その自分とは、神なる知性であり、創造性に富む至高なる意志だ。そして、その愛する息子たち全員の成長を通じて父なる存在がなっていくもの、それはあなたがたやすくなれるものでもある。なぜなら、息子たちは一人ひとり、父なるものを受け取ることができる立場にいるからだ。こうして、自分の思索を通じ、あなたはいつでも神と同じものとなることができる。途切れない広がり、想像を超えるほどすばらしい世界そのものに…。


 はじめにまず、思考がそれ自体について思索し、広がっていったときにどうなったか。それは思考の本質のなかでも「光」と呼ばれるものになったのだ。「光」が最初に創造されたのは、思考が行なわれ広がっていくとき、その波動は必ずある周波数、「光を発する周波数」のレベルまで下げられるという理由からだ。つまり、思索され、拡張された思考が降りていく最初の形態が「光」なのである。あなたの血筋は、この「光の誕生」のときまでさかのぼる。なぜなら、最初に思索の対象となった想念から生まれた「光の分子」が、それぞれが「ひとりの人間」となり、「神」となり、「息子」となったからだ。こうして、創造の誕生のとき、すべては「光の存在」と呼ばれるものになったのだった。

 皆の誰もが、この同じ瞬間に創造され、存在するようになったのだ。過去に存在したもの、これから存在するもの、すべての存在は、神が自己について思索したこの瞬間に思考から光へと創造されたのである。思考から広がっていった光は、「思考の河」と呼ばれるすべての想念の流れ、つまり神の精神と隣り合わせに位置しており、その一部となったのだ。

 皆の一人ひとりがなった光とは、そのときもいまも、あなたそのものである知性であり、光という形に広がった神だ。この神なる光、あなたの最初にして永遠の身体であるものこそが、あなたの存在の精神、あるいは私が「あなたの存在の内にある神」と呼ぶものだ。あなたの精神は、まさに神、神の心なのであり、それも単一の存在としての、という意味合いのものだ。今日でも、あなたはこの原初の精神、原初の神なる自己を持っている。そしてあなたは、思考という、あなたの愛する父が思索をめぐらし、光へと広がったその瞬間に光の存在となったのであり、いまでも、この輝かしき原初の光体をそのまま内に有しているのである。

 さて、この初期の頃、思考、あるいは神が皆の存在の精神を通り過ぎていったとき、感情が創造されたが、それはまだつかみどころのないものだった。そのため、神なる父から流れ出てくる愛の河をとらえることができるように、それぞれの創造力を通して「個々の魂」がつくられた。途切れることない思考の流れの中に思考をとらえ、それを「感情という形で静止」させる(これが「記憶」と呼ばれるものだ)という目的のためだった。

 「魂」は精神の内に宿っているが、あなたを創造性あふれる存在にしてくれたのはこの魂だ。なぜなら、何かを創造するためには、ある思考の明確なイメージを「記憶の中にしっかりと維持しておく能力」が必要になるからだ。そうすることによって、その思考に思いをめぐらし、皆が現実と呼んでいる創造的な概念へと広げていくことができるのだ。

 たとえば、これまでにないような新しい花を創造しようとすれば、その花についての想念を出現させなければならない。この花についての想念は、途切れることない思考の流れから取り出さねばならず、この流れとは、とりもなおさずあなたの存在の精神、あるいは光とまったくひとつのものなのである。この想念は、感情という形で、ひとつの像として魂の中にはっきりととらえられる。これであなたは、自分の欲求を通じて「花」という想念のイメージを思い出すことができ、それに思いをめぐらせて、どんな形、色、あるいは高さにでも自分の好きなように、それを広げていくことができるのである。いつでも、どんなユニークな花でも創造することができるのだ。想念を完璧に静止した状態で記憶にとどめることによって、その姿を完璧に描くことができるのである。

 魂なしには、父なるものを創造物にまで広げられない。なぜなら、思いをめぐらせて、それを創造物へと広げるために想念を静止した状態にする、ということができないからだ。

 創造と皆が呼んでいるものは、生命という価値観なのであり、つねに存在していたものだ。創造には始めもないし、もちろん終わりなどはない。あらゆるものは、父なる存在である思考の息子たちの手によって創造されたのである。そして、息子たちが創造するものはすべて、父なる存在の自己の広がりとなるのだ。